提出するものをすべてそろえて、財団法人の協議会事務所へ提出し、ビルを出 た真央は大通りの歩道で大きな伸びをした。
 寝不足の目に太陽は痛いほどに眩しかったが、疲れはあまり感じなかった。疲 れてはいても、気持ちが澄み渡っているのだと感じられた。
 期限ぎりぎりの提出ではあるが、真央と同じように最後まで粘った者達がいる らしく、数人の提出者と擦れ違った。
「帰ろう」
 自分の家に。
 自分と聡寿の家に。
 帰る場所があってよかった。
 彼がいてくれる家に、笑顔で帰るために頑張れた。あの家に。
 きっと一人だったら挫けていただろうと思う。仕事が一つ駄目になったくらい の気持ちで、捨て去っていたデザインだったと思うと、聡寿の存在の大きさに今 更ながら感激する。
 第一次の審査の結果が出るのは10日後。一次通過者のプレゼンテーションの 後、最終審査が行われるのがまたその10日後。
 やることはやったから、もうどんな結果が出てもいいと思っていた。
 自分の中では最高のできのものを描けたから、今の充実感だけで満足だった。
 今日は午後から休みにしてもらってある。休日も泊り込んでいたので、その間 にした会社の仕事も出勤扱いにしてくれて、倉持が半日とはいえ休みをくれたの だ。
 本当なら身体を休めろという倉持の思いやりなのだろうが、ひとつの仕事を仕 上げて、テンションがかなり上がっており、あまり休めそうになかった。
 それでもどこかへ出かける気にはもちろんなれず、自分の家に帰りたい気持ち でいっぱいだった。
 聡寿はまだ仕事で帰れないだろうから、久しぶりにゆっくり食事を作って、聡 寿をまとうと思った。
「ポトフがいいな」
 具が溶けるほど煮込んで、美味しさをすべて沁み込ませてと考えていると、今 からもう心がほっこりする気がした。
「俺。今から帰るから、今夜は帰ってこれるか?」
 聡寿に電話すると、『お疲れさま』と労いの言葉をかけてくれて、なるべく早く 帰るからと言ってくれた。
「よーし! 買い物して帰ろう!」
 真央は気合を入れて、駐車場を目指した。

 たくさんの荷物を持って家に帰りついたとき、マンションの下で携帯が鳴った。
 表示された番号を見て真央は眉を寄せる。
 今頃になってよくもかけてこれたものだと不快感もあらわに、真央はその電話 を無視した。
 電源を切ってしまいたいが、そうするともし聡寿から連絡が入ると困るからと 思うと、オフにしてしまうこともできない。
 部屋の入り口まで来た時、再び電話が鳴った。また同じ名前が表示されている。
 とにかく説明書を見て着信拒否の方法がないか調べることにしようと、真央は 急いで部屋に入った。
「おかえり。遅かったんだな」
 鍵を開けた真央は、思いもかけない出迎えを受けた。
「聡寿、帰ってたのか?」
 久しぶりに会うような気がする。
 驚きを押しのけて、喜びがこみ上げてくる。
「今日は休みを貰ったんだ。昨日、完成したって連絡貰って、今日は早めに帰る んじゃないかと思って」
「ただいま」
 真央は笑顔で聡寿を抱きしめる。
 柔らかい身体。暖かい温もり。鼻腔をくすぐる甘い香り。
 ああ聡寿だ、と実感できた。
「簡単だけど、お祝いも用意した」
「お祝い?」
 聡寿の肩越しに部屋の中を見ると、薔薇の花束とワインがテーブルに飾られて いる。
「発表とか、まだなのに」
「結果はいいんだ。あんたが頑張ったお祝いをしたいだけ」
「…………ありがとう」
 結果よりも今を大切に思ってくれる、自分と同じ気持ちでいてくれる恋人の思 いやりが嬉しくて、真央はゆっくりと聡寿に口接けた。
 背中に回される手が服を掴む。真央はもっと深くと聡寿を抱きしめた。
「愛してる、聡寿」
 今言える言葉はこれだけ。それ以外の言葉は出てこない。胸がいっぱいで、身 体が震えるほどだった。
「……僕も」
 小さく囁くような声。真央はしっかりそれを受け止めた。
 しばらく離れて暮らした。声を聞く事はできたが、とても長く感じた。
 けれど以前のように、恐怖を伴うような喪失感には襲われはしなかった。
 聡寿の存在を心の中に感じられた。以前のように、失ったもの、幻影のように 疑ったもの、また失うかもという二重の喪失感は沸き起こらず、自分の帰る場所 として信じることができた。
 これからは本当の意味で、二人の生活を始められるような気がした。
「聡寿……」
 聡寿の身体を抱き上げようとした時、不意に響き渡ったのは、また携帯の着信 メロディーだった。
 なぜ帰ってきたときにすぐに切っておかなかったのかと、自分を恨めしく感じ る。
「出なくていいのか?」
 少し咎めるような聡寿の視線に、真央は仕方なく携帯を取り出した。が、また も不快な名前を見てしまい、真央は眉を顰める。
「あいつだ……」
「誰?」
 真央のらしくない険しい表情に、聡寿が不安そうに見上げてくる。
「俺のデザインを盗んだ奴」
 真央のきつい口調に、聡寿ははっとして表情を引き締めた。
「今更、なんだろう」
「俺がコンペに間に合ったのか確かめるつもりなんじゃないか?」
「……そんな」
 聡寿も眉を寄せて、痛みを堪えるような顔をする。
 そんな聡寿を抱きしめてから、真央は通話ボタンを押した。
 決別の宣言をするために。
「もしもし」
『竹原、俺だ。わかるか』
「吉田だろ。お前のしたこと、俺は忘れないからな。二度と俺に顔を見せるな」
 冷たい響きの真央の声に、聡寿が身体を固くする。けれど吉田に対して、微塵 も同情は感じなかった。聡寿もまた、真央や自分に対する吉田の仕打ちは忘れよ うもなかった。
『何言ってやがる。お前こそ、……お前こそ、ひどいじゃないか』
 吉田の声は切羽詰っているように思えた。口調も早口で、ところどころ聞き取 り難いのは、何も携帯の電波状況が悪いせいばかりではないだろう。
「俺が何をしたって言うんだ。お前にデザインを盗まれて、今日の今日までやり 直していたんだ。あぁ、そうだ、お前のおかげで、前よりずっといい物に仕上が った。その点に関してだけは感謝してる。だから、二度と俺に顔も見せるな、電 話もかけてくるな。盗作の件は忘れてやる」
『バカ言うな! お前だろう、お前が汚い手を回したんだ。おかげで俺は破滅だ っ!』
「何のことかわからない。もう切るぞ」
『いいか、俺が破滅する時はお前も道連れにしてやる。お前の大切なあいつも、 滅茶苦茶にしてやる。覚えてろっ!』
 一方的に呪いの言葉を吐いて、電話は切れた。
「まだ何かするつもりだろうか」
 あまりに近くにいたことと、相手の声が怒鳴るほどに大きかったせいで、内容 は聡寿にも聞こえてしまったらしい。
 顔色を失くす聡寿に、真央はすぐに笑顔に切り替えた。
「あんなの、負け犬の遠吠えだって。大丈夫。あいつが以前使った手はもう使え なくなってるし、このマンションも聡寿の事務所もセキュリティーはしっかりし てるし、俺の会社だって、丈夫にできてるんだぞ。何しろ建築屋の会社だからな。
何もできないって」
 聡寿を抱きしめ、真央は安心させるように頬に優しいキスを落とした。

 深夜、真央は倉持からの電話を受けた。
『すみません、もうお休みでしたよね』
「何かあった?」
 時計は午前零時近く。余程でなければ、今の真央の状態を知っている倉持が電 話などかけてくるとは思えない」
『実は美杉が芸術文化劇場建設財団に訴えでまして。竹原のデザインは自分の記 念ホールのデザインを盗用したものだと』
「はあ? 盗んだのはそっちだろう。それにデザインは変えた。訴えられても痛 くも痒くもない。むしろ訴えさせて恥をかかせてやりたいくらい」
 吉田を使って、真央のデザインを盗みだして、自分の記念ホールを建てようと している企業。その名前はもう聞きたくなかった。
『それがですね、向こうはどうしても真央さんと村社さんの交友関係を持ち出し て、このままではコンペ自身に傷がつくと揺さぶりをかけているようです』
「俺のデザインと聡寿は何も関係ないよ。聡寿だって、コンペの審査は無関係だ し」
『ええ、そうは思うのですが……。財団の方から真央さんに事情説明に来るよう にと』
 その呼び出しを伝えるための電話だったらしい。
「わかった。いついけばいい?」
 日にちと時間を確かめる。それはもう日が変わったばかりの今日の日付だった。
すぐにも出向いて来いという意向のようだ。
 真央は怒りや腹立ちの気持ちを押さえ込むように、ゆっくりと電話を置いた。
はぁと、深い溜め息をつく。
「大丈夫か?」
 寝ているとばかり思っていた聡寿に声をかけられ、真央は驚いて顔を上げた。
「あ、あぁ、大丈夫」
 真央はすぐに人懐っこい笑顔を浮かべる。
「盗作されたって騒いでいるらしいけど、俺はデザインを一から書き換えたし、 聡寿のことでも後ろ暗いこともない。説明に来いって言われたから、明日……い や、もう、今日か。午後から行って、堂々と説明してくるから」
 真央は微笑んで、起こしてごめんねと謝った。
 優しい笑顔だけれど、聡寿はそれでも不安を消させなかった。







「大丈夫なのか?」
 ネクタイを締めるうしろで、聡寿が心配そうに真央を見ている。
「正々堂々としてるさ。何を言われても、俺には後ろめたいことなんて何もない。
むしろ言い返してやりたいくらいだけど、それは今回の件とは関係ないから我慢 するよ」
 くるりと振り返った真央は背広に手を通して、ネクタイの結び目を直そうと手 を添える。
 その手を遮るようにして、聡寿はネクタイを綺麗に整えた。
 これでよしと顔を上げると、真央が嬉しそうにニコニコ笑いながら聡寿を見て いた。
「なんだよ」
「すんげー、嬉しい」
「は?」
 何がそんなに?と思っている間に、聡寿はぎゅっと抱きしめられた。
 普段の真央はあまりスーツを着ない。デザイン関係の仕事で、オフィスに詰め ていることが多いので、自然とカジュアルになっていく。
 営業や接客の時だけスーツを着ていくので、聡寿が目にすることは少ない。
「こら、真央」
 聡寿が叱ると、真央は聡寿に頬摺りする。
「だって、聡寿にネクタイを直してもらうなんて、初めてだもんな。今、幸せだ なーって思った」
「はー」
 そんな単純なことだったのかと、聡寿は呆れて溜め息をつく。
「馬鹿なこと言ってないで早く行け」
 真央の肩をとんとんと叩いて、聡寿は強く抱きしめようとする真央の腕を押し 返す。
「よし、聡寿のエネルギー貰ったから、頑張ってくる」
「あっ」
 身体の離れた真央を見て、聡寿は嫌そうな顔をした。
「何?」
「変なことするから、せっかく直したネクタイが歪んだだろ」
 指摘されて自分の胸元を見下ろした真央は情けなさそうに眉尻を下げる。だが すぐに悪戯っ子のようにほくそえんで「もう一度」と聡寿にむけて胸を張る。
「自分でしろ」
 その額をぺちっと叩いて、聡寿はさっさと行けとばかりに、玄関へ先に出て行 ってしまう。
「冷たいなー、聡寿」
 不満そうに言いながらも、真央の顔は笑っていた。

 広い室内に半円形に机が置かれ、ドアを背中に、真央はその中央に立たされて いた。
 真央の隣には美杉社長も立っていた。
 壁際に置かれたボードには、今更見たくもなかったが、美杉の記念ホールの完 成予定図面が張られている。
 ……間違いなく真央のデザインである。
 けれど今はそれを主張してはいられなかった。
「では、美杉さんは、この竹原さんが我が財団に提出されたデザインは、この美 杉記念ホールの盗作であると訴えられているのですね」
「はい」
 低い声で自身有り気に頷いてから、美杉は薄い笑いを浮かべて真央を横目で見 た。
「竹原さん、何か反論は?」
「見ていただければわかります。盗作ではありません。並べて下さい」
 真央の堂々とした発言に、美杉はおや?と軽い驚きを浮かべる。だが、すぐに 負け惜しみなのだろうと、気を取り直す。
 財団側の主任が頷いて、端の席に座っていた男性が、手に書類を持ってボード へと近づいた。マグネットクリップで、真央のデザインした完成予定図面を、記 念ホールの横に張りつけた。
 そしてボードをよく見えるように、財団側の人間、それから真央と美杉に向け た。
「なっ、そんなっ、ばかな」
 驚いたのは美杉だけだった。
「どこが盗作だといわれるのでしょうか」
 真央は鋭い視線で美杉を見た。
 それは誰の目にも明らかだった。
 美杉記念ホールを「暗」とするなら、芸術文化劇場は「明」。一方が夜なら、も う一方は太陽。悲しみと希望のように、一対と言われれば納得もいくが、盗作と いわれればその根拠を尋ねたいくらいだった。
「竹原、お前、あのデザインは……」
 ぎりりと悔しそうに美杉は真央を睨みつける。
「美杉さん、我々は盗作ではないと判断しますが、異存はありませんね?」
 今更確認するまでもないだろうというように、財団側の主任は席を立った。
「ま、待て。彼は確かに私の記念ホールの盗作を企てていたんだ。発覚しそうに なって、慌ててデザインを差し替えたに違いない」
「その根拠は? 証拠はありますか?」
 一人の質問に、美杉はぐっとつまる。
「盗作しようとした側が、盗作されようとした建物より素晴らしいデザインを出 してくるというのは、あまりありえない話ですがね」
 一人の発言に追従するように、財団側の人間は笑った。暗に芸術文化劇場の方 が素晴らしいと褒めている。
「しかし、……彼は、竹原は瀞月流の村社という代表と癒着関係にある。そんな 人間がコンペに参加してもいいのか」
 真央の最も心配していることを突いて、美杉は今度こそと勝ち誇ったように真 央を見た。真央は平静を装って、真正面を向いて顎を上げた。
 決してうろたえない。疚しいところはないからだ。
 誰に指摘されても、堂々と顔を上げたままでいる。真央が心に誓ったことであ る。
「それにつきましては、瀞月流より、辞退の申し出がありましてね」
 真央は衝撃に息を詰めたが、動揺を押し殺すように歯を噛み締めた。
「外界の噂で流派を傷つけられたくないということでした。財団とも緊急に話し 合いを持ちました結果、コンペ自体には瀞月流は無関係であるし、こちらから出 演を依頼したことですので、お受けいただくことに再度お願いしました。コンペ にも参加されない、財団とも無関係の美杉さんには口出しいただくことではない ですね」
 淡々と語られる現実に、美杉は拳を震わせながら、部屋を出ようとした。敗北 を認めたのである。
「美杉さん、これ以上のアドバイスはご無用ですよ。今回の根も葉もない噂は竹 原さんへの侮辱に他ならない。こちらはそれらを証拠として提出することもでき る。まぁ、出る所へ出ても構わないが、私はむしろ、この記念ホールの設計士に 話を聞いてみたいところですな。この二つの建物は同一人物の手がけたものだと 感じることができる。うちのコンペのデザインは竹原さんのものだとあなたも認 められた。それ以上の追求は竹原さんの権限によることになりますが」
 主任は穏やかな視線を真央に向けた。
「私の持てる力はすべてこの芸術文化劇場に注ぎました。それ以外の捨てたもの は、……過去でしかありません」
 思い出なら、自分の中にある。あの暗い時代を提出しなくてよかったと思える。
 美杉は荒々しく部屋を出て行った。
「竹原さん」
「はい」
「コンペは今回のこととは無関係に、公平に厳正に審査します。審査結果をお待 ち下さい」
「ありがとうございました」
 見る人はわかってくれる。真央にはその事実だけでよかった。
 深く頭を下げて、真央は財団をあとにした。
 建物を出て、聡寿へと電話をかける。
 昨日も同じように電話をかけたと思い出して、真央は苦笑する。
「竹原……」
 呼び出し音が鳴り続ける中、植え込みから出てきた人物が真央に声をかけた。
「吉田」
 その名前を読んだ時、電話の向こうで聡寿が「どうだった?」と心配そうに声 をかけた。







 青い顔で自分を睨みつける吉田を見て、真央は今繋がったばかりの通話を一方 的に切った。そのまま電源までも落とす。
聡寿は心配するだろうが、この男との話し合いが終われば、すぐにもかけ直す つもりだった。
「竹原……。あんまりじゃないか」
 吉田は震える声で真央を詰った。
 自分が怒るならまだしも、吉田に責められるわけがわからない。怒りたいのは、 詰りたいのはこちらだ。
 時間と証拠があれば、裁判にかけてでも、正当性を訴えたいくらいだ。
 今はもう乗り越えたので、余計な関わりは持ちたくない。
「なんてことしてくれたんだ」
「さっきからなんのことを言ってる。それは俺の台詞だろう。俺のデザインを… …盗んだくせに」
 はっきり口に出すと、気持ちがすっとする。もっと早くに責めればよかったか もしれない。
 けれど真央には聡寿がいてくれた。だからもう関わりたくないというのが本音 なのだ。
 ここで美杉ともケリをつけたばかりなのだ。
「あのデザインはくれてやる。二度と話しかけてこないでくれ」
「だったら、どうして、俺の仕事の邪魔をする!」
「いい加減にしろよ。そんなことするわけないだろう。名誉毀損で訴えるぞ」
「ぜ、全部、仕事がキャンセルされたんだ!」
 吉田は真央の腕を掴んで、必死の形相で叫んだ。
 通りを行き交う人が何事かと目を向ける。二人の様子に、喧嘩かと眉を寄せて、 足早に行き過ぎる。
「それが俺とどんな関係があるんだよ? 俺は何もしてないぞ。デザインを描き 直すのに、昼夜を惜しんでたんだからな。お前のせいで」
 掴まれた手を引き抜こうとするが、吉田は万力のような力で、真央の腕を掴ん で離さない。
「離せ。警察を呼ぶぞ」
「お前が、手を回したんだ。うちに仕事を頼むなって、圧力をかけたんだろう!」
「俺は、お前にデザインを盗まれたあの日から、ずっと、会社に泊まりこんで、 デザインの描き直しをしていた。そんな時間、一秒だってなかった。いい加減に してくれ!」
「俺はもう、お終いだ。お前のせいで」
 何を言っても通じない。吉田の頭の中は、真央が仕事の妨害をしているという 誤解だけでいっぱいなのだ。
「お前、どうしてデザインを盗むなんてしたんだ。デザイナーにとって、一番し たくないことだろう」
「それさえあれば……、それさえすれば、今後も大きい仕事は、全部、うちに… …」
「吉田さん、それ以上はますます自分の首を絞めることになるんじゃありません か?」
「美杉……」
 割り込んできた声に振り返ると、先ほどまで会議室で向かい合っていた男が、 憎々しい顔で立っていた。
「美杉さん、俺は、あんたの言うとおりにした。なのに、なのに酷いじゃないか っ」
「やれやれ、どこにでも噛み付く男だな。こんな男を選んだ自分が情けない」
「クズが……」
 真央が吐き捨てると、美杉は鼻に皺を寄せて笑った。
「仕事の選り好みなんかしやがって。若いくせに、偉そうに」
「貴方には関係ありません。先日の件は、吉田を使って成功したではありません か。もう、うちに関わらないで下さい」
「その態度が気に食わないね。どんな建築でも、それを描くのがそちらの仕事だ ろう。生意気なんだよ」
「いくら話をしても平行線でしょう。失礼します」
 真央は怒りを抑えて、決別の挨拶をする。
「村社聡寿といったかな。あの、綺麗な男」
 立ち去ろうとする真央の背中にぶつけられた言葉。
 ぎくりと真央は立ち止まる。
 表情を見られたくなくて、振り返れなかった。
「君と一緒に暮らしているねぇ」
 美杉は楽しそうに話しかける。
「道ならぬ恋というのかなぁ。世間に忍ぶ恋か。いいなぁ、若い時の情熱は」
「何が言いたい」
 声が震えそうになる。懸命にそれを堪える。
「一時の思い込みの恋はいいね。男同士はいいっていうしね。けれど、リスクも 大きいんじゃないかね?」
「お前が……雑誌に売ろうとしたのか?」
「ほう、もう嗅ぎ付けている人がいるのか。世間には隠し通せないものだね。ば れたら困るんじゃないかい?」
 ギリと歯が擦れる音がする。
「どうして、そこまでして、俺を叩こうとするんだ」
 拳を握り締める。爪が手のひらに食い込む。
「憎いからだよ。他に理由がいるか? それとも、もう一度仕事を下さいと、土 下座でもするか?」
 高笑いが聞こえる。
 胸の中で炎が燃えているように感じられる。
 悔しさというのは、こんなにも、熱いものだったのかと、真央は唇を噛んだ。



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