好きという気持ちで強くなる








 明日から夏休みという終業式の日、小学校の教室は軽い興奮状態に置かれていた。
 長い校長の話、通知表の配付、夏休み中の注意点の指導、そして大掃除。どれもが早く終わらせたいことばかりだけれど、その煩わしさも「明日から夏休み」という前では霞んでしまう。
 みんなが色々な約束をしながら帰り始めた教室内で、女子生徒たちが甲高い声で何やら騒ぎ始めた。
 何がそんなに楽しいのかと、男子の中にも首を突っ込む者がいたが、彼らはその騒動の元が一枚のプリクラだと知ると、すぐに興味を失くした。
 幹は最初から興味すら示さず、早々に教室を出ようとした。
「モト君、見てー」
 騒ぎの中心にいた北島が、プリクラ手帳を見せようとする。
 あんなに分厚い手帳を毎日持ち歩くなんて、重くないのだろうかと幹はいつも思っていた。ただでさえ分厚い手帳は、プリクラが隙間なく貼られ、元の倍近くにも膨らんでいる。
「いいよ、俺は」
 別に見たくもないし。素っ気無く通り過ぎようとした幹に、北島の取り巻きの女子生徒が意味ありげに幹に話しかける。
「さくらったら、鵬明高校の彼氏がいるのよ。一緒にプリクラ撮ったんだって。優しそうな人よー」
 鵬明の名前が出て幹は足を止めてしまった。
「ほら!」
 手帳を開いて差し出されたので、仕方なくそれを覗き込んで、幹は驚きに眼を見開き、言葉を失った。
 北島と一緒にプリクラに写っているのは北斗だった。
 二人で並んで北島は裏ピースをしている。フレームは彼女の名前からか、今の季節にもかかわらず、桜の花で飾られている。
「いいでしょー」
 得意げに北島が手帳からシールを一枚剥がした。
「モト君にあげる。モト君は北斗さんとの写真なんて、持ってないでしょー?」
 ペトリと二の腕に貼られたプリクラ。
 幹は何も言えずに教室を飛び出した。
 なんだよ、これ。なんだよ、これ。心の中は疑問でいっぱいになっていた。
 どうして北斗が彼女と一緒に写真に写っているのかわからない。裏切られたような腹立たしさの中に、それとは別の熱さがあった。
 その熱を感じると苦しい。息が苦しいような熱さに、何がなんだかわからなくなる。
 北斗に対する腹立ちとその熱さで、胸が悪くなるほどだった。
 走って学校から飛び出すと、どこへ行けばいいのかわからずに、無我夢中で走っていると、いつも北斗と会う公園にたどりついていた。
 木陰にある水道場で顔を洗って、流れるままの水を飲んだ。
 錆びたような味が苦かった。
 もう一度確かめようと、腕に張られたプリクラを取ろうとしたが、走って汗をかいたからか、いつの間にか剥がれ落ちてしまっていた。
 無くてよかったのか、無いと困るのか、幹には考えられなかった。
「ばかやろう……。……北斗のばか」
 ぽたぽたと雫を垂らせて、幹は聞く相手のいない罵りを呟くように口にしていた。


 終業式とは名ばかりの式を体育館で終えて、北斗は教室に戻った。
 自分の席に座り込むと、はぁと疲れきった溜め息が零れた。
「どうしたの、松倉。これから楽しい夏休みだっていのに憂鬱そうに。って、明日からも補習という授業があるけれどねー」
 冬樹が茶化すように話しかけてくる。
「補習が嫌なんじゃないんだよ……」
「うんうん、真面目な松倉だものね。だったら、何か他に悩み事? ミキちゃんと喧嘩した?」
 幹のことをミキちゃんという女の子だと思い込んでいる冬樹は、冷やかし半分のカウンセラーになろうとしている。
「ミキちゃんじゃなくて、幹くんっていう男の子なんだよ」
「えっ、女の子じゃないの?」
 何度も女の子ではないと言ったはずだが、やはり聞いていなかったのかと、北斗は憂鬱の上に疲れを乗せる。
「うん、小学生の男の子なんだ」
「だったら、他に悩み事?」
「う……ん。今時の小学生って、すごいなと思って。まだ小学生なのに、交際するんだね……」
 北斗がしみじみと呟くと、冬樹は何を今更と楽しそうに笑い出した。
「なんか、松倉って面白いのなー。年寄りみたいな言い方するし。小学生の交際って言ってもさ、どうせ好きよ、じゃあ付き合おうかって感じで、何か一つでも気に入らないことがあると、もう別れようって感じだろ? 交際って言うのかなぁ?」
 冬樹の訳知り顔の解説に、北斗はそうなのかなと首を傾げた。
「でも、そんなんじゃないと思うんだ。幹くんが僕に失礼なこと言っただろうって怒ったから、仲直りに来ましたって言ってたんだよ?」
 北斗が難しそうな顔で説明をすると、冬樹も笑みを消して眉間に皺を寄せる。
「何、それ?」
「うん……とね、僕と幹くんが一緒にいて、幹くんが鵬明受けるって言ったら、彼女が怒って。ほら、ここって男子校だろ? 彼女は受けられないよね。それで彼女が拗ねて、僕に嫌な顔をしたから、僕に謝らなきゃもう別れるって言ったんだって。それで彼女が僕に謝りに来て、謝った証拠に一緒にプリクラ撮ってって言われて。プリクラって緊張するね」
 話を聞いているうちに、冬樹は何度もつんのめりそうになった。
「それ、なんか変だと思わなかったわけ? 松倉は」
「え? どこか変? 変かな……。まぁ、幹くんは彼女とあんまり仲良さそうじゃないなと思ってたから、最初は驚いたんだけど、幹くんもちょっと我が侭なところあるし」
「そうじゃなくて!」
 冬樹はあまり疑問を感じていない北斗の目の前で、両手で机をバシンと叩いた。
 北斗は大きな音に目をパチパチさせている。
「どうして謝ったことに証拠がいるのさ。そんなの、松倉が謝ってもらったよって、その幹って奴に言えばいいだけだろ?」
「………………そう? …………そう、だよね」
「なんか厄介なことになるんじゃないの? そのプリクラをどうしたのか、確かめたほうがいいと思うよ」
「え、でも、彼女の連絡先知らないし」
「だから、その女の子じゃなくて、幹って奴だよ」
 幹くんに?と北斗は首を傾げる。
 幹があの写真を見たからと言って、何か問題が起こるだろうか?
 彼女を取ったように思ってしまうだろうか?
 自分の方こそ、彼女と付き合っているのならそうと教えて欲しかったのにと、昨日は腹が立った。
 腹が立つと同時に、どうしてなのかとても悲しい感じがした。
「あとで電話でもしてみれば?」
「……うん、そうする」
 冬樹の言い分を信じたわけではないが、明日にも勉強会をすると約束をしていたので、その連絡を入れなければならなかったのだ。
 終業式のあと、校門を出たところで、北斗は幹の携帯に電話をかけた。小学生ならもうとっくに帰っている時間だった。
 けれどいくら呼び出し音を鳴らしても、幹は出なかった。
「どこか出かけちゃったのかな」
 北斗はふうと息を吐いて、幹にメールを送った。
『明日の勉強会はお昼からでいいの?』と。
 いないとばかり思っていた幹から、すぐに返信があった。
『明日は中止』
 その短いメールに、北斗は言いようのない不安を感じた。
『どこか具合が悪いの? 何か他に予定が入った?』  何度かメールを送ってみるが、返信はなかった。電話をかけてみても、留守番電話に切り替わる。
「幹君……」
 真夏の太陽の下、北斗は途方に暮れたように立ち尽くしていた。