林の切れ目が見えたとき、加賀の足がぴたりと止まった。
 緊張した面持ちで通りの方を睨むように見つめるので、彰紘は不安になってしまう。
「あいつら……いる?」
 加賀の背中に隠れるようにして、自分も通りの方を見ようとした。
 早朝の住宅街には、人影らしきものも見当たらない。
 こんな朝早くの街に出たことのない彰紘は、明るいのに人通りがない街の不気味さを感じてしまう。
「大丈夫のようだ」
 そろりと一歩を踏み出す。
「これからどうすんの?」
「腹ごしらえと、足だな。できれば四輪駆動車が欲しいところだが、この辺にレンタカー屋はないか……」
「電車とかは? 案外、公共機関は避けると思われてんじゃねーの?」
「ダメだな。私なら、公共機関の監視は外さない。その上で主要道路を押さえる。だから……、行くなら、空だ」
「そらー? ソラって、空?」
 彰紘は指で頭上を指差した。
「そのために空港に行きたいんだ。この近くには小型飛行機専用の空港があったはずだ」
「でも、飛行機って……そんな簡単に飛ばせられるもんなのか? 借りるにしてもかなりの費用がかかるんだろ? それに、誰が操縦すんの?」
 コンビニを探して歩きながら、彰紘は心配そうに尋ねた。
「裏の手を使うから大丈夫だ。この辺からなら、直接基地に通信できるはずだ」
「加賀さんって、さっきから、あったはず、できるはずって、言ってるけど、もしかして確証はないんじゃ……」
 気になる点を問い質すと、加賀は苦笑する。
「いかにも予定のないことだから、敵の目をかいくぐれる可能性は高い。しかも、直接乗り込めるから、危険をより回避できる」
 明るいところで見る加賀は、夜の中にいるときほど胡散臭くはなかった。あの時はいかにも怪しい人物だったが、今は彰紘自身が加賀に助けられ、頼っているという、精神的な部分も多いだろうが、真面目な男に見えた。
 サラリーマンには見え難いが、特殊な場所で働いているらしいので、それは仕方のないことなのだろう。
 コンビニエンスストアにたどりつき、手に持って食べられるものと飲み物を調達し、近辺の地図も一緒に買って通りに出た。
「空港ってあるの?」
「あぁ、ある。2キロほど歩く。なるべく裏道を通るぞ」
「この辺のこと、詳しいんだな」
 地図にない道を通り、小さな民間空港も知っている。いくら頭がいいといっても、それはこの辺に土地勘があるとしか思えない。
「ガキの頃に住んでいた。ものすごくやんちゃだったな。足がやっと届く自転車を乗り回して、この辺りは全て探険したし、飛行場にももぐりこんで遊んでいた」
 懐かしむような笑顔を、彰紘はぼんやりと眺めた。
「なんか、想像できない。ガリ勉で、机に張り付いて勉強してきたって思ってた」
「君は……ガキの頃、何になりたいって思ってた?」
 加賀の話は突然あらぬ方向に飛ぶ。それについては諦めもあったし、慣れてもきていたので、彰紘はもう怒らずに質問に答えてやる。
「俺は……親父が大工でさ、大きな会社の下請けばっかりでさ、だから勉強して、学歴つけて、人を使えるような大きくて有名な建築屋に入れって、そう言われて……」
「君自身のなりたいものは?」
「……だから、もう何も考えていない頃から、ずっとそう言われ続けて、ずっとずっとだったから、他のことなんて考えられなくて」
 加賀に聞かれて答えられない自分が悔しかった。
「中学の時に……そんなこと、自分には向いてないって思ったんだ。勉強よりさ、親父の作ってくれた木のおもちゃの方が、俺はいいなって思ってた。何しろ勉強も嫌いだったからさ、成績も伸びなくてさ。なのに成績が下がれば塾に行く回数も増えて、それでまた勉強が嫌になって成績が下がって、そしたら家庭教師がくるようになって。最悪な気分で……塾もさぼったし、家庭教師の来る日は帰らなくて、親が諦めるのを待っていたら、最高のバカが出来上がったんだよ」
「今は? 今も建築家を目指しているのか?」
 彰紘は笑ってしまう。
「だからー、うちの大学、本当バカなんだって。建築学部なんてないし。潰しの利く経済学部だよ。将来は平凡なサラリーマン」
「どの方面に進むとかは? 業種に希望は?」
「なんか、加賀さんって、本当に真面目なんだな。学校の就職指導受けてるみてーだ」
 とりあえずの危険が去っているからか、彰紘も一時の緊張が薄れてしまっていた。
「きっと、その辺の企業片っ端から受けて、どこかに引っかかるのを待つんだよ、俺なんて。そうだ、俺が研究に協力したら、加賀さんの会社にコネ入社させてくれるっていうのはダメかな?」
「それでいいのか? 君は……やりたいものがあるんじゃないのか?」
 加賀が足を止めた。彰紘は笑を引っ込めて、振り返った。
「調べたのか? ……そうだよな、調べたんだ……」
「違う」
「違わないだろう? 調べたんだろう? だから知ってるんだろう?」
 落ち着いたつもりでも、気持ちは高ぶったままだったのかも知れない。ちょっとした刺激さえも、笑い流せなくなってしまっていた。
「私が言いたいのは、今からでも間に合うと」
「間に合うわけないじゃん。もう高校だって卒業したし、こんなバカが、今更工学部に入れるわけがない。リニアなんて、日本の一部でしか……」
 言ってしまってからはっとして口を閉じた。
 たまたまテレビで見ていた磁力の実験映像に釘付けになった。それが中学生の時だった。
 ドキドキして、ワクワクして、自分もやりたいと思った。
 それを口にしたとき、両親は呆れながら言ったのだ。リニアなんて、研究者のすることで、研究なんて一文にもならない。しかも研究している機関はごくごく限られていて、普通の人が入れるものではない。幼稚園児のような夢を語っていないで、建築士を目指すんだ……。
「私がこの仕事についたのは、飛行場に遊びに行って、どうしてあんな鉄の塊が飛ぶのか不思議に感じたからだった。どうして飛行機が飛ぶのかを父親に尋ねたら、父は笑って言った。パイロットがいるからだと。それから私はパイロットを目指し、途中で父の答えがずれていることを知り、軌道修正をした。高校生の時だった。自分の夢を追うのに、手遅れだとか、間に合わないとかは、考えなくていいんじゃないのか? 君はまだ二十歳になったばかりだ」
 加賀の説得につい夢を見てしまいそうになる。
 本当に、もう一度夢を見てもいいのかと。
「でもさ、そんなことができたのは、加賀さんが頭が良かったからだよ。言っただろう? 俺、バカだもんな」
「自分をバカだと言うのはよしなさい。君はバカなんじゃない。大人になる方法を勘違いしているだけだ」
「大人に……なる方法?」
 彰紘は意味がわからずに眉を寄せて加賀を見た。
「君は自分の夢を自覚した時に大人になったんだ。その夢を摘み取られそうになって、抵抗した。もう摘み取られてしまったと思って無気力になっているのだろうが、まだ夢は君の中にある。君の前には、道がある」
「あれを大人になったと言ったのは、あんただけだよ」
 ぐれた、荒れたというのは簡単だろう。実際に誰もが彰紘をそう見ていた。
 まだ犯罪に手を染めなかっただけましだと思われたのか、成績が下がる一方の彰紘から、少しずつ遠ざかり、大学受験の時点で、両親さえも彰紘を見放した。
「人が自分の生き方を変えるのは、大人になった証拠だよ。君は中学生のときに大人になったんだ。私は今だに子供の頃の夢を追っている、大人になりきれない人間だ」
「加賀さんと俺とじゃ全然違うよ。俺のは……つまんない理由だ」
「人が自分の生き方を変えた理由が、つまらないことであるはずがない。君は君を理解できる人に、今まで出会えなかっただけだ」
「いいんだよ、つまらなくて」
「君は、それをつまらないことにしてしまっていいのか?」
 鋭く指摘されて、胸が詰まった。
 本音を引き出されそうで怖い。
「一緒に行こう。この道は君を変える道だ。私は君に、輝く未来があることを教えてあげたい」
 加賀の言葉に轟音が被さった。道は開け、一見草原のような広い場所が目の前に広がっていた。
 二人の頭上を大きな影が被さり、小さくなっていく。
「こっちだ。もぐりこめる場所がある」
 加賀が彰紘の手を引っ張った。
「えっ……潜り込むって、飛行機を貸してくれるように申し込むんじゃないの?」
「そんなことをしたら、飛行許可申請が出されて、あいつらに察知されてしまう。無許可でいく」
 さらりと無謀な計画を打ち明けられて、彰紘は混乱してしまう。待ち伏せされたのを振り切ったときも、今も、もしかして温厚に見える加賀が、一番危険なのかもしれないと感じる。
「大丈夫だ。一時はパイロットも目指したんだ。軽飛行機くらい操縦できる」
「う、嘘だ……」
 けれど、加賀は彰紘を強引に引っ張り、金網の破れ目を見つけた。補修はされているのだが、よく見れば、溶接が不十分な場所があった。
「昔から、ここだけはイタチの通り道らしくて、すぐに破られてしまうんだ。さぁ、行くぞ」
「け、警報機とか、鳴らないのかな」
 どちらかといえば、鳴るのを期待している自分を感じながら、置いていかれるのが嫌で、加賀の後を追う。
「9時に定期便が下りてくる。ポイントまでくらいは十分に飛べるくらいの燃料は残っているだろう。こっちだ」
 警備員に見つかったら、俺は誘拐されたんだと騒いで、自分だけは助かろうと考えながら、身を伏せて歩いた。あながち、誘拐も間違いではないだろう。
 加賀の言った通り、9時ちょうどにセスナ機が下りてきた。綺麗な着陸を見せ、滑走路を滑り、格納庫へとゆっくり前進している。
 加賀がそれを見届けて走ったので、彰紘は遅れないように必死でついていった。
 二人が走り寄るのを、飛行機から降り立ったパイロットが驚いて見つめていた。
「悪いな、借りるよ」
 ぽんぽんと肩を叩いて、加賀は彰紘に乗れと、タラップに背中を押しつけた。
「え? ちょっ……、ええっ?」
 パイロットがパニックを起こして、抗議の声を上げられなくなっているうちに、加賀はさっさとコックピットに乗り込んだ。
「か、加賀さん! 俺の飛行機ですよ!」
 パイロットが喚き始めた。
「すぐに返すよ。後で届ける」
「そう言って、前の飛行機、返してくれなかっ……!!!」
 全てを言わせず、加賀は飛行機のエンジンをつけ、ゆっくりスタートさせた。
「あの人、加賀さんのこと、知ってた!」
 大きなエンジン音にかき消されそうになりながらも、彰紘は遠ざかっていくパイロットの姿を振り返って見た。
 彰紘の疑問には答えず、加賀は管制塔からの制止の警告に答えるため、マイクのスイッチを押した。
「滑走路を空けろ。M3スクランブルだ。行き先は言えない。このまま離陸する」
 加賀の一言で管制官は静かになり、今飛び立とうとしていた飛行機が、滑走路から離れていく。
「行くぞ。少し揺れるかもしれないが、大船に乗ったつもりで俺に任せろ」
 少しなんかじゃない! と、何度も抗議をあげることになるのだが、飛行機のエンジン音に消され、加賀に届いたとは考えられなかった。




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