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  暁けの 星は 光の矢を 放ち

  太陽を 空に 導く

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「河合美也(よしなり)です。よろしくお願いします」
 折り目正しい礼のあと、頭を上げた青年の顔を見て、荒谷(あらや)保は軽い衝撃を覚えたように目を瞠った。
 ずきりとこめかみの奥がその瞬間だけ痛くなった。
 青年だ、男だというのは、彼の着ている清潔そうなスーツからもわかっている。
 けれど一瞬だけでも女性なのかと疑いたくなるほどに、その容姿は整いすぎていた。
 一番印象的なのは、真っ直ぐに逸らされることなく、自分に向けられた綺麗な目だ。
 日本人にしては珍しい、少しオレンジがかったような茶色の瞳と、長いまつげ。
 上司に当たる保にも怖じることなく、しっかりと見つめてくる。
 保のかけている度の低いメタルフレームの眼鏡のレンズを、無い物のように直線的に見つめてくる瞳に、心臓が落ち着かない鼓動を刻んだ。
 髪も少し色を抜いたような茶色だが、不潔な感じはなく、さらりとしていて艶のあるところを見ると、染めているのではなく地毛の色なのだろう。短くはないが、スーツの襟を越すほどでもなく、新入社員としては不適格というほどでもない。
 男性にしては白い肌が、少し青みがかって見えるのは、強い目の印象とは裏腹にやはり緊張しているためだろうか。
 そのためか薄めの唇が妙に赤く、艶かしく見えて仕方がない。
 鼻は大きくも小さくもなく、高さも嫌味なほど高くはない。
 全てがバランス良く、誰がこれほどまでに熱心に彼を作ったのかと聞きたくなるほど、美しい顔立ちをしていた。
 四月に入社し、二週間の研修を終えて、保の部署に配属されてきた新入社員は、この河合美也一人で、それがこんなに美しい青年だとは聞いていなかった。
「課長の荒谷保だ。頑張ってくれ」
 人事の社員に連れられてやってきた美也を見た社員たちも、驚いたのか見惚れたのか微妙な反応で、二人の挨拶を固唾を呑んで見守っているだけだ。
 履歴書と配属書の入ったバインダーを手渡した美也は保の指示を待っているようだった。
 その間も、社員たちの目は全く気にしていないようで、保つだけをじっと見つめている。
 美しいと感じた青年に見つめられて、背中がむずむずとするが、それに気づかれぬようにと、保は自分の目の前の机を指差した。
「そこが河合君の席だ。実は私もこの四月に課長になったばかりで、河合君には私が受け持っていた顧客先を引き継いでもらうことになるから、しばらくは私と一緒に回ってもらう。その間には仕事も覚えるだろう」
「よろしくお願いします」
 保たちの勤める会社は、貴島(きじま)ビジネス不動産という会社で、建築やレジャー、商業施設やイベントなどの、外側の部分を請け負う貴島グループの中の不動産部門を受け持っている子会社に当たる。
 貴島ビジネス不動産は、主に中小企業にテナントビルを仲介するのが主な業務である。保が課長を務める第三営業部は、小売店舗が営業相手となる。
 オフィス店舗を紹介する第一営業部、ショッピングセンターなどの大きな商業施設に店舗を紹介する第二営業部に比べれば、地味だと思われても仕方のない部署ではあった。
 実際、営業の多さに比べれば、社員はとても少なく、保が課長に昇進するので仕方なく一人を補充したような形だ。
 貴島ビジネス不動産がもう少し業績を上げれば、第三営業部など真っ先に切り捨てられるかもしれない、小さな扱いだった。
 美也くらいの容姿であれば、本社の貴島興産の営業や秘書でもいいだろうにと思いながら、社員たちに紹介する。
 微笑を浮かべて頭を下げる美也の印象は、顔がいいのに気取らない好青年と映ったようだ。
 特に混乱もなく、美也は第三営業部に迎え入れられた。

 最初は得意先である、テナントビルの持ち主に美也を紹介して引継ぎをしていった。
 どの得意先も美也を見ては驚き、こんな綺麗な人が今度から来てくれるのかと喜んだ。
 美也は仕事を覚えるのも早く、てきぱきとこなしていくので、保の苦労はほとんどないと言ってもいいくらいだった。
「疲れただろう、挨拶回りばかりで」
 ほぼ担当先を回り終えたところで、夕食にでもと美也を誘い出すと、とても嬉しそうについてきた。
 上司として嫌われてはいないのだと思うとほっとする。
「いいえ、俺は課長について頭を下げただけですから、ぜんぜん疲れてません。課長のほうが大変だと思います。俺に引き継いで、残業で自分の仕事をされているんですよね?」
 営業中では自分のことを『僕』という美也も、保と二人になると自分のことを『俺』という。
 美しい顔から俺などと言われると、最初はちぐはぐな印象がして戸惑ったものだ。
「どこでも綺麗だと言われて、嫌じゃなかったか?」
 とにかく誰もが手放しで美也を褒めた。仕事の能力ではなく、その外見だけを。
 男としてはそれはあまりに嬉しいことではないのではないかと、保は部下に対して気を遣う。
「うーん、自慢しているつもりじゃないんですけど、慣れました。今じゃこれも武器になるのかなって思えますし」
 乾杯のビールグラスを合わせる。
 ここにビールを運んできた女性店員は、あからさまに美也を見ていたが、美也は本当に慣れた仕草でそれを受け流していた。
「それにしても瞳が特に綺麗だな。日本人にしては珍しい。ご両親のどちらかが外国人だとか?」
 髪の色も黒ではない。日本人でも茶色味の濃い地毛の人はいるが、ここまで薄い色だとハーフなのではないかと思ったりする。
「父方の祖父母は父が幼い時に亡くなったそうで、他に親戚もなくて、純粋な日本人なのかどうかわからないらしいです。母のほうは純粋な日本人ですよ。父はそうですね、少し日本人離れしているかなぁ。でも俺の顔は母そっくりなんです」
 美也は本当に外見のことに拘りはないようで、淡々と話すには不幸な話を、さらりとしてくれる。
 気まずくならないようにと保は慌ててしまい、話を変えればいいというのに、また容姿の話をしてしまった。
「名前負けしていないよなぁ。君の名前をつけた人は、君が綺麗に育つことを見越していたんだろうか」
 美しさを断定するという名前。
「父がつけてくれたんだそうですよ。外見ではなくて、心の美しい人に育って欲しいという意味がこめられているんだそうです」
「そうか。素晴らしいお父上だな」
 保の顔が少しばかり暗くなる。
 保には父がいない。庶子というのではないのだが、母が保を妊娠した直後に、不幸な事故で他界してしまったという。保母子にとって更に不幸なことは、二人がまだ入籍していなかったことにある。だから戸籍上では私生児のままだ。
 目立ちたくないようにと、とにかく平凡に生きてきた。地味な印象の髪型、眼鏡、服装。
 それらが自分を守る鎧だったのだ。
 身長だけは180を越してしまい、それだけは隠しようもないので、外見だけはとにかく目立たないようにと心がけているくらいだ。
 おかげで社員たちにも傍にいるのに気づかれず、陰口として色んな話を聞かされてしまうことがある。聞かなかったふりをするのも、時には大変なのだが。
「名前のことでは父を恨んだりしたこともあるんですけどね」
「どうしてだ?」
「昔から女っぽい外見で、今でこそもてはやされますけど、小さな頃は気持悪いって言って、いじめられてばかりですよ。外見が女みたいなのに美しい也でしょう。いじめるには恰好の名前だったみたいですよ」
「そう……か」
 話せば話すほどに、墓穴を掘っているように感じる。話題の振り方の下手さ加減に自分でも嫌気がさしてくる。
「ズボンをはくなとか、女の子たちの列に行けとかはまだ軽いほうで、漫画にあるような壮絶な虐めとかも体験したことありますよ」
 美也のほうは苦笑しながらも笑い話として、話題を提供しているに過ぎないようなこだわりの無さだ。
「子供というのは残酷だからな。その時にお父上はなんと?」
「父は俺が三歳の時に病気で亡くなりました」
 さらりと返されて、保のほうがつまってしまう。
「それは……悪いことを聞いてしまったな」
「いいえ、もうずいぶん前のことですから。今は父に感謝しています。父の願うとおり、心が美しいかどうかは疑問ですけど」
「素直でよく仕事のできる新入社員だと思ってるよ」
 保が冗談混じりに褒めると、美也も軽く笑った。
 美也は話す時に瞳を逸らさずに、じっと保を見つめて話すので、心がざわつく感じがする。
 相手は男だとわかっているのに、その性を超越するような美しさで見つめられると、時折寒気に似た鳥肌を覚えるのだ。
「辛い事を思い出させてしまってすまなかった」
 辛い思い出をそうとは感じさせずに話す美也に、保は戸惑いながらも謝罪した。
「ぜんぜん辛くないですよ。むしろこんなこと、ほんと、何でもない軽いことだったんだなーっていうほど、辛い経験を大人になってからしましたから」
 それもまた笑顔で話す美也は、どのような過去を背負っているのだろうかと、興味が湧かないわけではなかったが、保はそれ以上に興味を示さないように感情を押し込めた。
 表情を動かさないようにすることには慣れている。暗いという印象ばかりを他人に与えてしまうようだが、注目されるよりは相手にされないほうが気が楽なのだ。
 美也は人差し指で自分の目を指差し、身体を前に出すようにして顔を近づけてきた。
「この瞳の色はヘーゼルという名前の色なんだそうです。そう、教えてくれた人がいました」
 何かを訴えるような瞳が保を見つめた。
 心の奥底まで見通そうとするその蜂蜜のような色に、保はまたこめかみの奥がズキッと痛んだ。



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