文月小夜&SELENE




 

 ホテルの車に、最寄の駅へと繋がる路線へと送ってもらう。会場へと向かう賑わう人々の中、拓也は迷わず京の手を取った。
「え……」
「迷子になったら困るからね」
 艶やかに微笑まれ、京は恥じらいに頬を染める。それでも無理に手を離さないのは愛しい想いか、それとも旅先の開放感か。そのまま二人は足早に電車へと乗り込んだ。
 到着したのは開始の10分程前。
「開始の直前が、一番盛り上がるだろうね」
「うん。今日は5時半からだっけ?」
 京が何気なく、腕時計を見た。
「あれ?新しい?それ」
「あ……うん」
「綺麗だね」
「そう?どうかな……って思ったんだけど」
「よく似合っているよ。僕もそういうの好きだし」
「ほんと?」
 珍しく嬉しさを表に出した後、少し照れる様に視線を逸らした京に、拓也は優しい笑みを向ける。混雑をこれ幸いとし、拓也が京を抱きしめた。
 同時に点灯へのカウントダウンが始まる。
「THREE!」「TWO!」「ONE!」
 冷えた空気が、人々の興奮で上昇したような気がした。
「ZERO!」
 ゲート型の電飾が艶やかに光を放った。
 次々に灯されてゆく、ボールトの煌き。
「わ……」
 『光の願い』と銘打たれた今年の神戸ルミナリエ。
 まるで自分の想いのようだと京は思った。
 暗黒の海にある、あの優しい光を誰よりも何よりも求めていた自分。
 拓也に逢いたいと、知らずに願っていた強い想い。
 アートディレクター、ヴァレリオ・フェスティの感性が、艶やかに且つ完成されたオブジェとして、展開されてゆく。京が初めて目にする光のドラマは、ここまで完成された美しいものだった。
「すごい……」
「想像以上だね」
 満足そうな拓也の声が、同じ事を考えていたことを教えてくれる。
 京は愛しい人の温もりをもっと感じたくて、拓也の肩へと頬を寄せた。
 小さく髪に触れるキス。しっかりと抱きしめてくれる温かい腕が嬉しくて、京の目に少し涙が滲んだ。
「拓也さん」
「愛しているよ」
 耳もとにそっと囁かれた言葉は、愛しい人にだけに優しく伝わった。

 海外通りに近いビルの最上階で、二人は少し遅い食事を取っていた。
 ゆったりとしたイタリアンレストランは、見事なほど外の混雑を感じさせない。終日完全予約の人数限定だからこそ、出来る事だと説明される。
 眼下には光の粒子が眩いばかりに煌いていた。
 ホテルといいレストランといい、この時期これだけの物を押さえる拓也の手腕に、京は驚きを隠せない。
「拓也さん……すごい」
「なにが?」
「……全部」
 上手く説明が出来なくて、京はぽそっと呟いた。
「京が居てくれたら、僕は何でも出来るよ」
 嘘の無いその言葉に包まれ、京は心が温かくなってゆく。
 上質なワインと、絶品の料理。穏やかな会話と、優しい微笑み。
 京にとって、誰よりも大切な人が生を受けた聖なる1日は、いままでのどの日よりも最良になると、目の前の人が約束してくれた。

「大丈夫?」
 少しワインを飲みすぎただろうか。
 京はそんなことを考えながら、光り輝く衣装を纏った街路樹の下を、拓也に肩を抱かれながら歩いていた。
 ホテルの少し手前でタクシーを降りた。こんな素敵な道を車で飛ばすのが勿体無く感じて。
 自然に肩を抱かれ、京は少し迷ったものの、拓也に身を預けた。思いの他、人通りが少ないせいもあったし、身体を温かくしているアルコールがいつものタブー意識を緩くしていた。
「寒くない?」
「……うん」
 優しい声に、小さな声で答える。
「拓也さんこそ、手、冷たくない?」
「大丈夫だよ」
 肩に回された手が、ときおり首をくすぐる。
「…ぁ、……もう」
 くすぐったさと、拓也の指先から感じる微かな欲望に、京はあえやかな声を漏らしてしまう。
「そんな声出されたら、ちょっと……、クルな」
「拓也さんが……」
 京は恥ずかしさを隠すために、むっとした素振りで拓也の脇腹を肘で突く。
「……可愛い」
「……はぁ」
 何をしても何を言っても、拓也には叶わない。クスクス笑う拓也に、京はぷいと、せいぜい強がって見せた。

「もう少し、飲もうか」
 ホテルに戻り、エレベーターの中で、拓也は珍しく、京を誘った。
「俺、まだ未成年なのに」
「えー、僕はその頃から、飲んでたけどな」
「不良だ」
 もちろん、京だって全く飲めないわけではないし、こっそり飲んでいることだってある。今も食事の時にワインを飲んで来た。
「いや?」
 拓也に聞かれて嫌と言える京ではなかったが、今夜はあまり飲めない。だって、まだ拓也に渡していない……。
「少しだけなら……」
 拓也はニッコリ笑って、誰もいないエレベーターの中で京の唇を盗んだ。
 高台から神戸の街見下ろす大きな窓のあるバーは、まさに宝石をちりばめた素晴らしい夜景を、二人の目の前に広げてくれていた。
「僕は、Ballantine’s30をロックで……京は何を?」
「良く解らないから……なにかビールを」
「じゃぁ、Black Velvetなんかどうだろう。黒ビールのカクテルだよ」
「うん。じゃ、それにする」
バーテンダーがそれに応え、柔らかく微笑んだ。
 奇麗に磨かれたグラスに、南極のものだという、奇麗に丸く削られた氷が落され、30年もののスコッチ・ウイスキーが、ゆっくりとそそがれてゆく。氷の中に封じ込まれた気泡が、パチパチという音を立て始めた。
「地球の……10万年くらい前の空気です」
 ゆったりとした壮年のバーテンダーが、説明と共に拓也の前へグラスを置いた。
「すごいね……」
 アルコールが氷を融かし、氷から太古の空気を、小さく弾き出す不思議な様子を、京は興味深そうに覗き込む。
「Black Velvetも、なかなか奇麗だよ」
 拓也の言葉に、京がカウンターへと視線を向けると、丁度バーテンダーがシャンパンの栓を抜いた所だった。
 良く冷えたシャンパンとスタウトを両手にそれぞれ持ち、冷気が立ち上がるほど凍らせたピルスナーグラスに注いでゆく。炭酸が含まれた互いの液体が刺激しあい、細かい泡がまるで絹のように静かに沸き上がった。 軽くステアした後、クリスタルのマドラーを引き上げると、琥珀色の泡がクリームのようにふわりと後を追うのが、とても美しい。
二人は、目の前に置かれたグラスを『乾杯』と小さく持ち上げた。
「美味しい……」
 小さな声が、幸せそうに感想を述べる。
「よかった」
 京がほんのり、目尻を酔いに染めて笑いかけると、拓也もまた嬉しそうに微笑んだ。
「ビール、好きだよね」
「うん……」
 京は、唇に僅かについた泡を指先で押さえ、また一口その濃いブラウンの液体を喉に流し込んでいった。

「酔った?」
「……んん……でも少し暑い……かも」
「飲ませ過ぎちゃったかな……」
「このくらいなら平気だよ」
 拓也の差し出す、冷たい水を受け取りながら京は強がる。
 部屋へと続く廊下を、少々頼りない足取りで歩いていた京を思い出し、拓也は内心苦笑した。
「まだ大丈夫だよ」
―――渡すまでは、起きてないと
 京はアルコールを振り切るように、小さく息を吐く。
 時計が12時を指したのを確かめ、京は自分のバックから小さな包みを取り出した。
「拓也さん……誕生日おめでとう」
「京……嬉しい。ありがとう」
 差し出したプレゼントごと、京は拓也に抱きしめられ、そのまま甘い口接けを与えられた。
二人でソファに座り、拓也は京を腕から離さないまま、貰ったばかりの包みを広げる。
「これ……もしかして」
 拓也が京の手首を取り、箱に入っていたものと見比べる。
「京と、同じ?」
 『同じ』というフレーズが恥ずかしいのか、京は自分が贈った物を正視できず、首筋まで真っ赤に染めてしまう。
「嬉しい。ありがとう」
 早速身に付けてくれようとする拓也を見て、京は突然驚いた声を出した。
「……あれ?」
「ん?」
「色……」
 困ったような、泣き出しそうな黒い瞳が拓也を見つめる。
「どうしたの?」
「………………選んだのと……違う」
「京のと……同じだよね?」
「うん……でも……文字盤の色が……」
 拓也は箱から取り出した時計を見詰めた。
 パールホワイトの文字盤は京と同じ物で、拓也にとっては嬉しい贈り物である。が……。
「他の色を選んでくれていたの?」
 掌に乗せた時計をそっと京に見せる。京はそれを見て頷いた。
「どうしようか……、僕はこれでも嬉しいけれど。どんな色のを選んでくれたの?」
「ん……青いのを包んでもらった……」
 拓也はそっとその時計を元通り、箱にセットした。
「拓也さん……」
「これもいいけど、僕は京が僕にって選んでくれたのが欲しいから、帰ったら一緒に交換してもらいにいこう? ね?」
 拓也はニッコリ笑って、京を抱きしめようとした。
 いつもなら拓也の腕に身を任せる京が、どうしたことか、手を突っぱねて、俯けて顔を隠す。
「京?」
「だって……、今日渡さなきゃ意味がない」
「そんなことないよ」
 俯く京の頭を拓也はそっと抱え込んだ。
「プレゼントはね、ちゃんと受け取ったよ」
「でも……」
「京は僕に、品物だけ渡してくれたの?」
「え?」
 京はゆっくり顔を上げる。そこには優しい微笑みが京を待っていた。
「京が僕の誕生日をお祝いしてくれるっていう気持ち、僕はそれが何より嬉しいよ」
「拓也さん……」
「家族との旅行を断ってまで、今夜ここにいてくれる。きっと、お父さんの反対はすごかったと思うのに。それでも僕と過ごす時間を選んでくれた。
 京が僕の誕生日を一緒に喜んでくれるという気持ちや、そのためにしてくれた色々なこと。プレゼントを選んでくれる時にはきっと僕のことを考えてくれたんだろうなとか、一緒の物を身につけるために時計を、同じ物を自分もつけたいと思ってくれた想いとか、そんなもの全部が、とても嬉しいよ。
 その気持ちを、僕はちゃんと受け取りたい。
 受け取らせてくれるだろう?」
 京はぎゅっと拓也の胸に顔を押しつけるように抱きついた。
「帰ったら、一緒に交換にいこうよ。それまで誕生日が続いているみたいで嬉しいよ、僕は」
「拓也さん……」
 生まれてきてくれてありがとう……。
 そんな言葉は直接言えない。けれど、それだけで胸がいっぱいになる。
 もしもこの日、拓也がこの世に生を受けていなければ……。
 そう思うだけで胸が張り裂けそうになる。
「いつもはクリスマスと一緒でつまらないと思っていたけれど、京がいてくれるなら、それだけで最高だな」
 拓也の胸で涙を隠す京をわかっているのか、拓也はそっと京の髪を撫でる。
「ありがとう……、京」
 拓也はプレゼントをテーブルに置き、京の頬を両手で持ち上げる。
「愛してる。僕の……京」
「拓也さん……」
 俺も。という言葉は、拓也の唇の中へ消えた。

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