Call 9
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  <SIDE 拓也>

『な、なんだ、何をした!』
 男達は慌て、目を細めながら、何とかその光に目を慣れさせようとした。
『なにかありましたか?』
 目が慣れてくると、平然としたホテルマンが目の前に立っていた。彼には、光は見えなかったのかと、男達は訝しがる。
 目の前のホテルマンに気を取られ、彼らは背後に回りこんだ人物に気がつかなかった。
『何を隠している!』
 爬虫類男が、ワゴンに近づき、シーツをめくろうとする。
「崇志!」
 ホテルマンが叫ぶのと同時に、爬虫類男の背後で声が上がった。
「京、目を閉じろ!」
 爬虫類男は、驚いて振り返る。どうしてホテルマンが、うしろにもいるんだ?
 え、と思い、もう一度振り向いたとき、クローゼットの扉が開く音が背中でする。と同時に、再び、眩しい光がたてつづけに、3回、男達の目を焼いた。
 がツンという音がして、大男がクローゼットから蹴り出される。
 三人とも涙を流し、目を擦っている。
「京! 京! しっかりしろ!」
 ホテルマンが少年を抱き寄せ、叫んでいる。少年はぐったりしながらも、薄目を開け、なんとか唇を動かそうとしている。だが、声は出ず、ごほごほと、苦しく咳きこんだ。
「あーあ、あんなことして、知らないよ、拓也、怒らせて」
 どうして同じホテルマンが二人いる。まだ目がおかしいのか。
 男達は眼に染みる痛さを堪え、立ちあがった。
『何者だ、お前たち!』
 サラリーマン風の男が、裏声で叫ぶ。既にかなり腰が引けている。
『正義の味方』
 ホテルマンはにこりと艶やかな笑みを浮かべ、ストロボを光らせた男を背後に匿った。
『ち、畜生。生かして帰さねーぞ』
 大男が、いち早く立ち上がり、身構えた。
『誰が、誰が京をこんなにした』
 振り返ると、ホテルマンが三人を睨んでいた。
『だ、誰でもいいじゃない!』
 爬虫類男が叫んだ。完全に拓也の気に呑まれている。
『お前か!』
 拓也は静かに京を降ろすと、息を吐いた。
『……許さない』
 静かに構える姿勢に、爬虫類男は身の危険を感じ、ナイフを取り出した。
『それで、京の身体を傷つけたんだな!』
 だが、拓也は怯まなかった。
『な、何よ! 殺してないわよ!』
『当たり前だ!』
 右足が上がった、と思ったときにはもう、左肩に激痛が走り、吹き飛ばされていた。
『このやろう!』
 大男が拓也に飛びかかろうとすると、脇に何かが当たった。
『お前はこっち』
 勝也は木刀を男の脇に突き出し、その動きを止めた。
『おじさんももう逃げられないよ』
 何もかも捨てて逃げ去ろうとした男が、正也に入口で襟首を押さえられていた。
『立てよ。一発で伸びるほど、やわじゃねーだろ』
 拓也は自分で蹴り飛ばした男の足を踵で踏む。
『く、くそっ』
 ナイフを握り直した男は今度は間合いを取り、じりじりと、距離を離していく。
『すっこんでろ、ガキが!』
 大男は、力任せに、勝也を押さえこもうとした。勝也は腰を落とし、木刀でその腕を受け、身体を回転させて、男の後ろに回った。男は振り返る間もなく、勝也の真っ直ぐに振り下ろした木刀を、背中に受け、あっさり意識を手放した。
「身体だけじゃん、もう」
 背中を踏んで振り返ると、爬虫類男が、拓也に向かって、ナイフを右払いに翻していた。
 拓也の右足を封じ込めるつもりのナイフに、拓也は左に体を倒し、左手を支えに、両足で男の右手を挟み、身体を捻った。
『うわーっ!』
 男は、自分の勢いもあってか、右手を突き出したまま倒れこみ、仰向けに、床に放り出される。
 なんとか起き上がろうとしたところを、再び、蹴られてもんどりを打つ。
『ひ、ひーっ』
 うつ伏せになって頭を抱え込んだ男に、拓也は脇腹を狙って右足を繰り出した。ごきっという鈍い音が聞こえる。
『立てよ』
 冷たく響く声に、男は脇腹の痛みを堪え、這って逃げ出そうとする。
 その背中目掛けて、再び、拓也の足が飛ぶ。
「もうやめて、タクちゃん、殺しちゃう!」
 足が届く寸前、背中から羽交い締めにされた。
「殺してやるんだ! 絶対許さない!」
「ダメ! もう、動けないよ、あいつ」
「離せ! 勝也!」
「だめだって!」
 誰の声も届かないと思ったとき、小さな声が拓也を呼んだ。
「た……くや……さん……」
 拓也ははっとして力を抜く。勝也もほっとして、拓也を離した。
「早く、京を病院に連れて行ってやって」
 拓也は慌てて京に駆け寄り、その細い身体を抱き上げる。
 京は崇志によって、傷口は押さえられ、バスローブを身につけていた。それでもまだ、じわじわと血が滲んでくる。
 拓也は勝也が呼んでくれたエレベーターに乗りこんだ。
「下でアキちゃんたちが待ってるから」
 拓也が頷くと同時に、エレベーターのドアは閉まり、静かに下降を始めた。
「京……」
 大切な、大切な、恋人。
「京……」
「た……」
「喋らなくていい……」
 京の目から、静かに涙がこぼれていく。
 京は安心したように目を閉じた。
「こんなに痩せて……」
 こんなに京は軽かっただろうか……。拓也の胸に苦いものが広がっていく。
 堪え切れずに零れた涙が、京の頬に届く前に、京は久しぶりの、温かな眠りに引き込まれていった。


**********
  <SIDE 京>

 長く辛い夢を見ている僅かな隙間に、気まぐれな幸せをほんの少し与えられたような感じだった。
 今もそれが続いている事が無性に嬉しい。
 だからどうしても目を覚ましたくなかった。
 なのに身体は無情にも覚醒してゆくのを止めてはくれない。
 半分起きてしまった意識が、またあの硬く埃の匂いがする絨毯の模様を視界に入れるのを厭がり、戒められた腕や脚がもう限界だと駄々をこねている。いつのまにか既に癖になってしまった動きで、痺れた腕を開放しようと動かし...
(.....?)
 京は、不思議なものを感じたように微かに眉を寄せた。
 腕が苦しくない。と。
「京...?」
 疑問を解決できずにいると、不意に今一番欲しい声がすぐ傍で聞えた。
 だからやはりこれは夢なんだと理解する。
 目を開けたくない。
 目を開けたらまたあの男達と向き合わなくてはならないのかと思うと、このまま何もかも見ないで閉じこもってしまいたかった。
「京...」
 また自分を呼ぶ優しい声が嬉しくて、夢だと思っていても涙が零れた。
 目尻を伝う濡れた感触を感じながら、夢の中でも泣けるんだな。などと思っていると、頬に優しい感触が触れた。
 驚きのあまり思わず目を開いてしまう。
 あれだけ閉じ篭っていたかったのに。
 自分からその心地よい世界を手放してしまい、京はうろたえた。
 だから、目の前に広がったものが何なのか。余りにも眩しくて解らなかった。
 自分を抱きしめる優しいぬくもりが自分の欲しかったあの腕だということも。
 目の前の人が、自分の愛する人だということも。
「京....よかった」
「...た..くやさん..?」
「そうだよ。僕だよ」
「拓.也さん..?」
「うん」
「ほんと...に?」
「本当だよ」
 そう言って優しく微笑んだ愛しい人の顔が、一瞬切なそうに歪んだ。
「よかった.........京」
 京は久しぶりに自由になった両腕を、自分を抱きしめる広い背中に恐る恐る廻し、ぬくもりが本物である喜びを確かめるように指先に力を込めた。

**********

 意識を取り戻した京は2本目になる点滴を受けながら医者の説明を聞いていた。
 外傷に関して、こめかみの傷は皮膚の裂傷だけだったのでテーピングで押さえてあるという。
「CTも問題ナシ。でも吐き気とか目眩があったらすぐ言って」
 身体のあちこちに残る傷と痣は、やはり時間が経たないとひかないと言われた。
 問題の胸に付けられたナイフの傷は思った以上に深く、筋肉の場所であったこともあり、それぞれに20針縫ったと言われた。
「大丈夫。細かく縫っておいたから。若いし奇麗に塞がるよ。血は結構出てたけど圧とかギリギリ足りてるから輸血はしない。でも、絶対安静ね。これ約束。」
 やたらテキパキと話す年齢不詳の医者に愛想良くにっこりと微笑まれながら言われ、それとはまったく反対に京は無表情のまま黙って肯いた。
「まだ痛い?一応痛み止めは点滴に入ってるけど錠剤でも出しておくから。我慢できなくなったらすぐ飲んで。その方が治り早いからね。それより。君。痩せすぎ。ちゃんと食べなさい。血が足りない以前の問題。何日食べてないの?脱水症状起してるよ。熱あるの自分で解る?寒気は?解熱剤も出しとくから。」
 これに対しても、京はただ黙って一度肯くだけ。
 あまりの無口さに、拓也は不思議なものを見ている気がする。
 無口とは聞いていたがここまでだったとは。
 少し離れた場所で様子を見守る勝也が何の違和感なくその様子を見ていることから、普段もそうなのかと驚いてしまう。
「今日は絶対安静。このままここに泊まって。本当は大事を取って何日か入院して欲しい所だけど、絶対無理しないって約束できるなら明日帰っても良いよ。どうする?どっちにしても何日か通院してもらうことになるから。もし帰るなら受付に寄ってって」
 また一つコクンと肯く。
「あとは...これからどうするか決まったら教えて。それに合わせて必要とあらば診断書書くからさ」
 その言葉を聞いて、始めて京が肯く以外の動きを医者に向けた。その表情には微妙な不安の色が浮かんでいる。
「大丈夫。三池のにーさんからちゃんと言われてるから。安心して。悪いようにはしない」
 にっこりと微笑まれ、また京は一つ。今度は躊躇いがちに肯いた。

**********

 次に目が覚めた時には、外はかなり明るくなっていた。
 京は自分が病院のベットに横になっているのだと気付くまで、ややしばらくかかってしまった。
 このわずか数日の間にあまりにも色々な事が有り過ぎたように思う。
 体と頭がバラバラで、まだどこか夢の中にいるようなそんな感じがする。
 上手く纏まらないままぼんやりしていると、そっと髪を撫でられた。
 その手の持ち主に顔を向けると、目の前の人が優しく笑った。
「気分は?」
 拓也が心配そうな顔で京の顔を見つめる。
「...大丈夫」
 思ったよりしっかりとした声で、京は返事を返した。

「ね、拓也さん今日...何日?」

**********

「あぁ...ほら、すこしふら付いてる...」
 車から降りようとした時、そういって拓也の腕が京を支えるように廻される。
「だ...大丈夫」
 そういって慌てながら微笑んだ顔が少し戸惑いぎみで、久しぶりに間近で見る京のその表情に拓也は安堵のため息を漏らさずにはいられなかった。

 初めて来た京の家を拓也はさりげなく見渡す。
 門の前までは何度か送った事があったが、中まで入るのは今日が初めてだった。
 外観は勿論、内装まで今時珍しいくらいの純和風建築。
 だが決して古くないことから、誰かのこだわりで建てられたことが解る。
 今回の件に付いて、多少なりとも京の両親に話さなくてはならないと思って来た。
 だが家の中は静まり返り、人の気配はない。
「昨日から、父さんの休暇にあわせて、皆で地中海に行ってる」
 拓也の疑問を察したのか、さらりと京は言った。
「え?京は行かなかったのか?」
「...だって....」
 その問いかけに、京は戸惑ったように視線を逸らす。
「拓也さんの誕生日が...」
 消え入るような声でその理由を伝えられる。
「俺。着替えてくるから」
 赤くなった顔を隠すように、京が自分の部屋へと消えた。

 切り裂かれて血まみれになったシャツは捨ててしまった。
 ホテルのバスローブも血に染まり使い物にならなかった。
 仕方が無いので、とりあえず病院の患者服を借りて京の自宅へと送ってきた。
 このまま京を家族に引き渡し安静にさせようと思ったが、誰もいない家に今の京を一人にしておくわけにはいかない。
 自分がこのまま京の家にいても構わないのだが...そう思いつつ、拓也はポケットの中にあるメモの縁を指でなぞった。

**********

 着替えを済ませた後、どうしても行きたい場所があると京が言うので拓也は車を走らせた。
 そこはあの日、京を探して最後に訪れた銀細工の店。
 カランとあの日と同じように良い音を立てて扉が開く。
 店の奥からあの品の良い主人が顔を出し、京の姿を見て一瞬、多分髪だけでは隠し切れないやつれた顔とこめかみのテーピングのせいだろう、驚いた顔をしたが、すぐにっこりと笑うと何も言わずカウンターの後ろのケースからあるものを取り出した。
 一目で手の込んだ細工と解る銀の箱が、透明のケースに入った状態で梱包されている。
「こちらです」
「ありがとうございました」
 京は柔らかな声で礼を言うと、そっと大事そうにその「箱」を受け取った。

**********
   
<SIDE 拓也>

『誕生日プレゼントだ。ただし、正也には内緒だぞ』
 病院で京が治療を受けている間に、洋也が拓也に渡したのは、一枚のメモ用紙だった。どうしてこんな物が誕生日プレゼントになるのか、わからなかった拓也だが、その部屋に通されてみてはじめて、ブレゼントという意味がわかった。
 この部屋をどのように使うつもりだったのか、兄弟の思いやりとして、拓也は不問にすることにした。どうせ、自分も恋人と共に、ここへ来たことには間違いがない。兄が書いたメモ用紙には、ただ、ホテルの名前が書いてあっただけだったのだ。
 まさかこれだけの怪我した京を家に帰すわけにもいかず、拓也の家に連れて帰ろうか、どうしようかと話し合ったときに、洋也がそのメモを渡してくれたのだった。
 どちらにしろ、京の家族が旅行中とかで、一人、家に残すわけにはいかなかったので、ホテルを取れたことはありがたかった。Pホテルには自分たちが取った部屋も残ってはいるが、京をそんな所へ連れていく気にはならない。
 薬を飲んだとはいえ、まだ熱があるのか、京の顔色はまだ悪かった。
「拓也さん……」
 運転中、ずっと黙り込んだ拓也に、いつもと違う空気を読み取ったのか、京は不安げにその名前を呼ぶ。
「ん?」
 優しい声は、今までと何も変わらないのに。疲れたような、怒っているような、掠れた声が返ってきた。
「誕生日、おめでとう……」
 外は、薄闇に包まれ始めている。イヴの夜が始まろうとしているのだ。拓也がこの夜に生を受けた、聖なる夜。
「……ああ」
 一瞬、不思議そうにした拓也は、その包みを見て、やっといつもの笑顔を京に向けた。
「ありがとう」
 拓也は泣き出しそうに顔を歪めて、その包みを持つ京ごと、抱きしめた。
 こんなもの……、欲しくなかったのだと言えば、京は悲しむだろうか。
 これを頼みに行かなければ、京は真っ直ぐに自分の所へ来てくれた。そうすれば、どんな危険からも守ってやったのに。
「……っ」
 息を飲む気配に、拓也は慌てて京を離した。
「ごめん、痛むか?」
 京は静かに首を左右に振る。
「恐かっただろ?」
「大……、じょう……ぶ」
 堪えていたものが吹き出す瞬間、感情が波のように押し寄せる。それを塞き止めることは出来なかった。
「拓也さん!」
 必死でしがみついてくるその身体を、やはり細いと思って抱きしめる。今度は痛みが京を襲わないように。
 静かに抱きしめ、頬を撫でる。そして、暗い笑みを浮かべると、京の耳朶を抓んだ。
「京……、僕は酷いな」
 拓也は痛々しい目で京を見つめる。
「どうして……?」
 不安そうに揺れる瞳が拓也を見上げてくる。
「身体中、まだ痛いだろ? でもな、僕はまだ京に痛いこと、したいんだ」
「え?」
 拓也は弄っていた京の耳朶に口接けると、コートのポケットから、小さな箱を取り出した。
「クリスマスブレゼントだよ」


**********

 


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