Call 8
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  <SIDE 拓也>

 その男は呼び出されるままに、ホテルの一室へとやってきた。ホテルのロビーが騒がしいと思っていたら、ここで『聖夜』の撮影があったらしい。急に入った撮影だったのだろうか、彼はそのスケジュールを掴んでいなかった。
 惜しいことをした。聖夜の撮影は、一切外部に見せないことになっている。ロケすら内密に行われ、厳重な警備態勢なのだ。それをかいくぐることは、常にその行動を追っている彼にも出来なかったというのに。
 まあ、いい……。今日は、その聖夜と対面できるのだ。誰も知らない、生の、聖夜と。
 男はだらしなく顔を緩ませて、指定されたホテルのドアをノックした。
「どうぞ……」
 ドアを開けたのは、あの憎らしい、いつも聖夜を撮っているカメラマンだ。本当に憎い。だが、反対に、このカメラマンをはることで、聖夜の秘密に迫れたのだから、ある意味では感謝しなくてはならないだろう。
 部屋の中に入ると、聖夜がいた。
 今はもう、普通の、男の格好をしている。そう……、聖夜は本当は美少女ではなく、美少年モデルなのだ。それを知っているのは自分だけなんだと、男は小躍りしたくなる。
「それで? 君の要望って何?」
 聖夜はニッコリ笑って、男に話しかけてきた。男性の格好をしていても、綺麗だ。その美しさが、男を魅了する。
「聖夜が男だってばらされたくなかったら。俺のものになれ」
「嫌だと言ったら?」
 聖夜は顔色一つ変えずに、即答した。男はかっとする。
「言ってるだろう、ばらすだけだって! いいのかよ、聖夜が男だって、世間に知られてもさー!」
「そんな証拠、どこにあるのさ」
 男の興奮に対しても、聖夜は冷静で、男は余計にいきり立った。
「俺、俺の目の前にいるお前が、決定的な証拠じゃねーか!」
 男の台詞に、聖夜が声を立てて笑い出した。
「バカじゃないの? これが証拠? たったこれだけのことで、聖夜を脅したのかよ!」
 聖夜は冷酷な笑みで男を見返した。
「それでも、証拠になるかな?」
 聖夜は男の後ろを指差した。
 男は恐る恐る振り返る。そして、そこには……。
「せ、聖夜……」
 にこりとも笑わない聖夜が、そこに立っていた。
 男は慌てて聖夜と、部屋の中にいる聖夜を見比べた。
 何故? 何故? 何故?
 男に答えてくれるものはいない。
「ち、ちくしょう……!」
 男はジーンズのポケットから、バタフライナイフを取り出し、構えた。
「ふーん……」
「ま、いいけどさ」
 聖夜たちは驚く様子もなく、口元だけに薄い笑みを浮かべて、男を見ている。
「わーーーー!!」
 男はナイフを闇雲に振り回し、拓也に切りかかってきた。こうなってしまっても、聖夜に切りかかることは出来ないらしい。
 拓也は一瞬、膝を落とし、男のナイフをかわすと、左足を軸に、右足で蹴り上げた。男のナイフが宙に舞う。そのナイフがカーペットの上に落ち、男は慌てて手を伸ばす。
「ぐぅっ!!」
 伸ばした手を、聖夜のヒールが踏み潰した。男は呻き、必死でもがく。なんとか手を引きぬくと、足をもつれさせながらも、逃げ出そうと、ドア目掛けて走った。
「崇志、ドアを開けて!」
 誰かの叫び声がして、ドアが開いた。男は廊下に転び出る。
「勝也!」
 拓也は叫び、自分も男の後を追った。
 男が逃げるのに、ある部屋のドアが開いた。男は、ドアを開けたのが少年だと知ると、かまわずに、少年を突き飛ばして、部屋の中に飛び込んだ。
「考え、なさ過ぎなんじゃないの?」
 脅かし、人質にとろうと思っていた少年は、冷ややかに言うと、手に持っていた木刀を男の胸につきつけるように構えた。男はじりじりと後退さる。
 男の歩調に合わせて、少年はぐいぐいと進んでくる。
「勝也、どけ」
 その声に会わせて少年がすっと身体をずらせると、男に向かって、大量の水が降り注いだ。


**********

  <SIDE 京>

 どうしようもなかった。
 ナイフが作る酷い痛みも、押さえつける強い力も。身体を這い回るざらついた手の感触も。
 自分ではどうしようも出来なくて、ただただ悲しかった。
 皮膚を裂く感触と、自分を押さえつける男の生臭い息。
 幾度も迫り上がってくる嘔吐感をやり過ごす度に胃液が往復するが、ここ数日ろくに食べていなかった事だけが救いだったかもしれない。苦い水のような酷い味の液体が口の中に広がってゆく。
 しかしそれを繰り返すたび胃酸で喉がやられ、気管が爛れてゆくのが解る。
 痛みと窒息、そして耐え難い嫌悪感。
 ナイフが引き抜かれ、2つめの傷を作ろうと移動する。
 血を流し続ける真新しい傷のわずかに離れた場所に平行に刃が当てられ、先程も感じたプツ...という感触が再び京の胸に生じた。
 ギリ...と刃が進む。
 今度は前よりも時間をかけずに刃がめり込んでくる。
(あ...あ....あ...拓也さん..........俺...俺...っ...)

PI

 その時、パソコンから無機質な音が響いた。
 MAILの受信を知らせるビープ音。
「そこまでだ。早くMAILを見ろ」
 悪趣味な「遊び」が始まってから一言も話さずにいた首謀者の男が行為を中断させる。
 残念そうに肩を竦め、爬虫類男がマシンを操作し始める。
「坊やの口を濯いでやれ。まだ息を止められちゃ困るからな」
「へーへー。ヤワなガキだな。オイ」
 洗面所に引きずられ無造作に口のテープをはがされる。
 途端に溢れ出る大量の唾液と胃液が、勢いよくカランから流れ出る水に混じって排水溝へと吸い込まれていった。
 久々に口から大量に流れ込む酸素を京は貪るように肺に流し込む。
 目の前の鏡に映る自分の姿は最悪だった。顔にこびりついた赤黒い血。引き裂かれた血まみれのシャツ。
 頭から水をかけられ無造作にリネンで顔を拭かれると、そのまままた男達の前に戻された。
 もう、まったく身体に力が入らない。僅かな抵抗すら出来なかった。
 ナイフを入れられた場所は燃えるような痛みと共に血が流れ続け、貧血のせいか治まらない吐き気の他に頭痛と寒気が強く襲ってくる。

 MAILを読む3人が歓声を上げた。
 プログラムの引き渡しに「R」が応じたらしい。

----京君は大人になれるのね
 霞む意識の中、突然あの幾度も夢で繰り返す声が聞こえた。
----何故京君が助かって、うちのまー君が死んじゃったのかしら。
----どうしてだと思う?
[おばさん...嫌だっ...どうして僕にそんな事聞くの?...わかんないよ...わかんないよそんなの]
----おばさん解ってるのよ。君が見捨てたんでしょ?
----自分だけ助かればいいと思ったんでしょ?
[...違う]
----隣に座ってたのにね。フシギよね。どうして京君が生きてて、うちのまー君が死んじゃったのかしら。
----自分だけ助かればいいと思ったんでしょ?
[違う!]
----ねぇ...そうなんでしょ?
[違う!!]
----ねぇ...ねぇ!そうなんでしょ!
[違うよ...!]

(あぁ....解った)

 京は、不意にある思考へ辿りつく。

(そうか...馬鹿だなぁ俺...)

         あの時も寒くて痛くて、どんどん友達の声が消えていって。
         僕のお腹の上にはバスの椅子が乗っかってて...重くて...苦しくて。
         目の前でまーくんが真っ白な顔でこっちを見てるんだ。
         呼んでも答えてくれないし。
         手を伸ばしたけどどうしても届かなくて。
         一生懸命手を伸ばしたのに届かないんだ。
         だんだん気持ち悪くなってきて、いきなり口から血が出てきてびっくりした。
             それに耳とか聞こえなくなってきて。
                   目もさ...

         -----まーくんに届かなかったんだ。

(やっぱ、俺...好きな人と幸せとか..思っちゃ駄目だったんだ...だってほら。こんな事になってるし...)

----京君の代わりに、まー君が死んだのよ。解る?
[ごめんなさい...本当はまーくんが助かるんだったの?そうなの?ごめんなさい...おばさん]
----京君はいいわね。これからちゃんと大きくなれるんですもの。
[おばさん...]
----大人になって好きな人が出来て、まー君は死んじゃったのに、自分一人で幸せになるのかしら?
[ごめんなさい。おばさんごめんなさい]
(でも...俺、今、すごく好きな人が...いてさ...)
----おばさん、京君の事許さないから。


『じゃぁこのガキ好きにしていいな』
大男が嬉しそうに言う。
『プログラムがホンモノならな』
『なに、まだ殺しゃしないさ。』
『わたしにも楽しめるらいは残しておいてよ』
『はやくプログラム手に入れて解析するんだな』
『解ってるわよ!』
 爬虫類男が解析の準備を始めるらしく、ジュラルミンケースから新たな機械を取り出すと設置に取り掛かかりはじめる。
 それを横目で見ながら大男が床に横たわったままの京へのしかかり、裂かれたシャツはそのままに嬉々としてベルトを引き抜いた。

(...拓也さん...ごめん)

『.......Kvの...リカバリプログラムは作ってない...防御プログラムによるシステム破壊には.....中身をソックリ入れ替えることでしか...対処できない』
 突然発せられたその言葉に、3人が驚いたように声の主を見つめる。
『Kvの防御は共存型のウイルスだ。逆コンパイルした時点で発生変化し、ホスト自速のおよそ1000G倍で増繁殖する』
『お前!言葉が!!?』
『な!...なによ!よくも騙してくれたわね!』
『騙すも...何も、最初に...そう思い込んだのはそっちだ。...その後口を塞いだのも』
 一切の抵抗も見せず、ただ力無く横たわったままの京が静かに言った。
『...大したタマだな。坊や』
『「Kv」は....「I社」のロバート...ハインツマン氏の...管理下に有るはずだ...どこから手に入れた』
『いくらでも方法はある。クソ忌々しいロバートが死んで管理が手薄になったんでな。』
『.......ロバート...』
『なんだ知らなかったのか。そりゃいい傑作だな。』
 京はもう何も考えられなかった。
 ロバートが死んだ?
 言葉は耳に入ってきた。だが、理解が出来ない。
『まぁいい...ではもう一度聞く...「Kv」を作ったのはお前か.......?』
 首謀者の男が確かめるように言い放つ。
 京は大きく息を吸い込んだ。
 傷口が大きく軋み、全身に激痛が走る。
『.........Kvを....作ったのは...』

**********
   
<SIDE 拓也>

 ホテルの部屋のドアチャイムを押す。中の様子は、何もわからなかった。
 顔が強張らない様に……。
 Pホテルの制服を着た拓也は、澄ました顔でドアが開けられるのを待った。
「What’s?」
 出てきたのは、ごく普通のサラリーマンと見られる、男だった。だが、顔色はかなり悪い。
『申し訳ございません。上のフロアで水漏れがございまして、点検させて頂きたいのですが』
 丁寧な英語で、入室を請う。断られれば、ドアを破らなくてはならない。
『水漏れの点検? そんなのは、我々がチェックアウトしてからにしてくれ』
『ですがお客様、今点検させて頂かないと、これより先の損害につきましては、お客様持ちということになりますが』
 拓也が告げた途端、男の顔がひきつる。
『水漏れですって? 嫌よ、そんな部屋。一刻もいたくないわ。部屋を替われるんでしょうね』
 奥から、独特な訛りのする英語が聞こえてきた。
『もちろん、水漏れしていましたら、今よりはグレードの上の部屋に替わって頂きます。差額は、当ホテルからの見舞金ということで』
 にこりと微笑みすら浮かべる。それが拓也の限界だとも知らず、中から神経質そうな男が近づいてきた。
『水漏れしているわ。なんだか、天井に染みがあるもの』
 拓也は深々と礼をして、再度入室の許しを請うた。
『いいわよ、入って。ただし、室内の荷物には手を触れないで。大切なものばかりなんだから』
『かしこまりました』
 拓也は廊下においてあったワゴンを室内に運び込む。
『大丈夫なのか?』
『大丈夫よ。隠したわ』
 ひそひそとした話し声は、拓也の後ろを二人がついて来ていることを教えている。内心、『バカが』と罵りながら、拓也は室内をぐるりと見回した。
 そこに京の姿はない。どこに隠したのか。別の部屋なのか。
 拓也は胃が痛くなるほど緊張していた。ここに京がいるという確証が欲しい。
 そうでなければ、この二人を取り押さえることはあまりに危険なのだ。何しろ、犯人は、三人なのだから……。
『どうしたの? ほら、染みが出来ているでしょう?』
 どこか爬虫類を思わせる男は天井を指差した。
『バスルームを拝見してもよろしいでしょうか?』
『どうぞ』
 拓也はバスルームへ移動しながら、その男がクローゼットの前に立つのを見た。
 何かを隠したいとき、人は、自然と庇うように立つ。
 バスルームに何もないことを確かめて、拓也は部屋の中央に戻った。
『まことに申し訳ございません。それでは、今すぐ、お部屋を移動して頂けますか?』
『いいわよ。ただし、荷物の移動は自分でするわ。大きい荷物があるの。部屋さえ教えてもらえれば、自分たちで運ぶわ』
 承知しましたと言い、拓也はワゴンを部屋の中央に押し進め、トントンと持ち手を鳴らし、合図を送った。
 ガバッとシーツが膨らみ、室内に強烈な光が瞬いた。

 


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