Call 2
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<SIDE 拓也> 待ち合わせの時間から20分が過ぎて、さすがにおかしいと拓也も気になり始めた。今までに京が待ち合わせに遅れてきた事は一度だけ。その時も、時間より少し前に、遅れるからという連絡があった。 何も連絡を入れずに遅れてくるなんて……。 だが、外せない用件があると言っていた。予定がただ延びていて、連絡の入れようがないだけかもしれない。とにかく待つしかないか……。 そう思い直したとき、携帯の着信メロディーが鳴り始めた。コートのポケットから携帯を取り出して、表示も確認せずに、通話ボタンを押した。 「もしもし?」 『正也だけど』 聴き慣れた声に、がっかりする。 「どうした?」 『不機嫌な声だなー、何かあったの?』 心配そうな台詞とは反対に、正也の声はクスクス笑っている。 「何もないけど。そっちこそ、なに?」 『明日の件だけど、時間、大丈夫?』 「ああ、大丈夫。遅れないように行くから」 聖夜という名前で、モデルとして活躍している正也は、明日、聖夜のストーカーと対決することが決まっていた。そのストーカーはかなりしつこく聖夜につきまとい、ある疑問を持つに至ったらしい。 ――――― 聖夜は実は男なのではないか? ――――― 写真を撮るまでは出来なかったらしいが、正也として、カメラマンと常に一緒に行動している所を目撃され、正也の写真を撮られてしまった。つまり、聖夜と正也は別人物であることを見せなければならなくなったのだ。 いずれ……。聖夜は業界から退くとしても、その伝説だけは残したいというのが正也の希望である。そのために、拓也も出来るだけの協力はしてやるつもりだった。 「直接指定場所へ行くから。お前は崇志さんと一緒に来るんだろ?」 『うん。……ところでさ、待ち人来たらず?』 これだから双子は嫌になる。離れていても、声の調子一つで相手の状況を感じ取ってしまう。 「まだ時間じゃないんだよ」 きっと嘘はばれているだろうけれど、そう言いたいのは、せめてものプライドだろうか。 『拓也くーん。明日は僕の拓也君だからねぇ』 笑い声とともに電話は一方的に切られてしまった。 「ったく、……」 それにしても……、と思った。携帯のディスプレイで、京が既に30分以上遅れていることを確認する。 何かあったんじゃないだろうか。急に不安になる。 拓也は思い切って、京の携帯へ電話をかけてみた。大切な用件なら、彼のことなので、マナーモードにしてあることは間違いがない。 電話は通じなかった。コール音すら鳴らず、留守番電話センターに転送された。 電波が届かない場所にいるのか、電源を切ってあるのか……。 「待つしかないか……」 視線を改札に向けて……、期待と不安と入り混じった気持ちの中、拓也は待ち人の姿を、駅の雑踏の中に捜し求めていた。 ********** |
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<SIDE京> 不自然な頭痛と頬に当たる冷たく硬い感触に、京はぼんやりと意識を取り戻した。 全身に感じる身に覚えの無い痺れと身動きの出来ない体。 無意識に出たうめき声は、不幸中の幸いにも掠れて音にはならなかった。 (...ここはどこだ?) 頭痛に霞む目を凝らし薄暗い周りを見渡すと、そこはどこかのバスルームのようだった。 設えの生活感の無さで、ホテルのような場所である事は解るがそれ以上の事は解らない。 後ろに廻された腕は不自然な体勢のせいか、全身に感じるものとはまた別の痺れを起している。 京は自分が何者かに拉致された事を認識した。 (...なんなんだ...一体) 攫われた事は解ったが、何が目的なのかがまったく解らない。 指先が冷えきっている。縛られてから大分時間が経っているようだ。 いまいち冴えの無い頭を必死で振り絞り、今までの記憶を辿ってみる。 朝早くから行き付けのダイバーズショップへ行き、先日潜ったバイトの件で話をした。 その後酸素を手配し、行きがけ母親に頼まれた用事を済ませ、例の胸くその悪い会社へと向かった。 最後に銀細工職人の中村さんの所へ行き... (拓也さん...!) 京は慌てる。待ち合わせの時間は恐らくとうに過ぎているだろう。 彼の元に行かなくては。京の思考はそこに行き着く。 ガッチリと締め付けられた手首の戒めを解こうと動かしてみるが、痛みが増すだけで埒があかない。 それでも必死でもがいていると、突然バスルームの扉が開いた。 「Wake up boy〜!」 耳を塞いで丁度良いような大声に、京の気分が最悪になる。 (...ぅるせぇ...) 入口を塞ぐかのような巨体。薄暗さと逆光で顔が見えない。 返事をしないでいると唐突にバスルームの照明が点され、薄暗さに慣れた目の奥を急激に刺激した。 明るさに馴染む前に髪を掴まれ強引に男のほうへ顔を向けられる。 「Hey boy! Who are you? Your name?」 (勝手に攫ってきて何言ってんだよっ!) 睨む勢いで巨体の主を見上げると、そこには恐ろしくガタイの良い外国人の男が立っていた。 本能的に身が竦む。 あのグローブのようなデカイ手で殴られたら気を失うどころの話ではないだろう。 恐い物から目が離せない状態で、京は身体を強ばらせたままその男の青い瞳を見つめる。 「カレはエイゴがワカラナイのヨ」 突然そのデカイ男の後ろから、たどたどしい日本語が聞こえてきた。 京は息を呑む。そう...この声だ。あの時急に後ろからかけてきた妙に慇懃な呼びかけ。 髪を掴まれたまま視線だけをその声の方に向けると、神経質そうで病的に痩せた男が、ニヤニヤと卑らしく笑いながら京を見ていた。 赤く充血した目と粘り付くような病的視線に、京の背に嫌なものが流れる。 「Stop!」 向こうの部屋からもう一人の声が聞こえてきた。 (...何人居るんだ) 彼らが早口で会話を始める。英語が解らないと思われているならば丁度良い。 状況がつかめるまで何も動けないと、京は気付かない素振りで聞き耳を立てた。 声の様子から恐らく3人組みと思われた。 今自分の頭を掴んでいるガタイの良い男と、神経質そうな爬虫類男。そして声だけしか分からないがもう一人の良く喋る男。 話の内容から誰かを探しているようだ。 プログラムがどうとか言っている。 京は、彼らの話に出てくる、とあるフレーズに驚愕した。 「Kv」 それは数年前京が作ったプログラムソース。 潜りに行った海外で知り合った気の良いオッサンの希望で、半ば御遊びで作ったもの。 それが成り行き上、ある商品に組み込まれて使われている事は知っていたが... 『こんなガキが「Kv」のプログラマーな訳ないだろう!』 『名前は合っているぞ?』 『そのツラ見てみろ。どう見てもジュニアかジュニアハイだろうが』 『東洋人は若く見えるんだぜ?同じ会社のタナカを見てみろ。あれで35だって言うからお笑いだ』 『だけどよ...』 『んなこたぁどうでもいい。今はもうこいつしか手がかりが無いんだ』 『あせってんなーははは』 『うるさい!』 『本人に聞くのが一番だ』 『そりゃそうだ』 会話がそこまで行きつくと、傍に居た2人の視線が京へと注がれる。 京は恐怖で萎えそうになる気力を必死に奮い立たせ、相手が起こすだろう次の動きに備えた。 「オマエのナマエはツキノ?キョウ・ツキノ?」 どう答えたら一番よいか瞬時には判断できずにいると、後ろの巨体男が京の髪を更に強い力でグイと後ろに引っ張り返答を促す。 痛みに思わず小さな悲鳴がもれた。 持ち物を調べられたら、名前などいずれ解られてしまう。 もしかしたら、解っていて聞いてきている可能性もあるのだ。気を失う前、自分は名前を呼ばれた事を思い出す。 覚悟を決め、ぎこちなく「そうだ」と答えると、先程まで声しか分からなかった男の前へ引き摺り出された。 突き飛ばされ、転がった身体に痛みが増す。 床には絨毯がひかれてはいたが、長い間後ろ手に拘束された肩や腕は思ったよりも苦痛を訴えていたらしい。 打ち付けた部分が鉛のように重苦しく京を苛んだ。 『「Kv」を作ったのはお前か?』 ゆっくりと気味の悪いほど優しく問いかける声。 『我々は「Kv」を作った人間を探している...「Kv」を作ったのはお前か?』 恐怖よりも強い本能が「答えるな」と警告してくる。 黙ったまま問い掛ける男の顔を見つめていると、髪を掴んでいる男の手が京の頬を張った。 乾いた音が部屋に響く。 こめかみに近い位置に受けた衝撃は、京の視界をぐらつかせるのに十分だった。 喘いでいると、何が楽しいのか傍に居た爬虫類男がカンに障る甲高い声で笑う声が聞こえてくる。 「イイモノミツケタわ」 爬虫類男がニヤニヤ笑いながら、京の鞄から取り出したノートパソコンをちらつかせる。 「パスワードをオシエナサイ」 否定の意を込め首を振ると、ヒステリーを起こしたような爬虫類男の声が何かを早口に喚き散らし、持っていたマシンでいきなり京を殴りつけた。 抵抗すらできず3度目の衝撃を頭に受けようとした時、慌てて止めに入る2人の男の声が再び沈み込んでゆく意識の中に微かに響いて消えていった。 ********** |
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<SIDE 拓也> いくらなんでもおかしい。 確信したのは、待ち合わせの時刻を45分過ぎてからだった。 今までのロスタイムに、歯軋りする。こんなにも時間を無駄にしてしまった自分が腹立たしい。京に何かあったのだとしたら、この45分が、どれだけ貴重だったのだろうかと思ってしまう。 もう一度と思ってかけた京の携帯は、やはり繋がらなかった。 拓也は思い切って京の自宅へと電話をかけてみた。 『はい、月乃です』 柔らかな声は、京の母親のものだった。 「すみません、三池ですが、京君は……?」 『あら? 確か今日はご一緒だと……』 やはり家にも連絡は入っていないらしいとわかって、拓也はなおさら焦ってしまう。 「ええ、そう約束をしていたんですが、実は僕、待ち合わせの時間にかなり遅れてしまって。携帯が通じなくてですね、店のほうに、京君も来ていないらしいんです。もし良ければ、今日、彼が出かける先をご存知でしたら教えていただけませんか? 僕、まだもう少し遅れそうなんです」 『まあ、そうなんですか? 実は私も用事を頼んでしまって。そちらのほうには私が連絡を入れてみます。まだそこにいるようでしたら、三池さんのほうに連絡を入れるようにします。あとは……、アルバイトの会社に行くと言っておりました。会社名は……、確か『D』とか……。その後は多分待ち合わせだと思うんですが……』 「わかりました。ありがとうございました」 簡単な挨拶を済ませ、拓也は電話を切った。『D』社ならば、ハローページで電話番号が調べられると思い、電話ボックスへ入った。 この会社に行っていなければ、母親の用件というほうに何かがあったとみるべきか……。 時間が時間だけに電話には出ないかもと思ったが、幸い相手は残業をしていてくれたらしい。 『はいDです』 中年と思われる相男が電話に出た。 「申し訳ありません、そちらに月乃京が伺っていると思うのですが」 『あなたは?』 「兄です」 『少しお待ち下さい』 どうか、用件が長引いているだけでありますようにと願いながら、拓也は相手の妙に明るい保留メロディーをイライラしながら聞いていた。 『お待たせいたしました。月乃さんは4時半頃、当社を出られたとの事です。よろしいでしょうか?』 「……ありがとうございました」 落胆を隠せず、拓也は電話を切った。 4時半にこの会社を出たならば、十分待ち合わせには間に合う……。 『三軒も回らなくちゃならないから、拓也さんは駅で待ってて?』 京の言葉を思い出す。では、もう一件はどこだ? 拓也は仕方なく、家に電話をかけた。 『あら、どうしたの?』 外出先から電話をかけたのかよほど珍しかったのだろう、母親が驚いたような声を出した。 「勝也、いる?」 『ちょっと待ってね』 うちの電話の保留メロディーも変えた方がいいよなと、のんびりした音楽を聞きながら、拓也は指で公衆電話を叩いて待った。 『何かあった?』 突然の兄からの電話に、勝也は何かを察したのか、少し低めた声で聞いてきた。 「京が今日、どこへ行くのか聞いてないか? 待ち合わせに……、遅れてるんだ」 『何分?』 「50分」 京が時間に遅れる子ではないと、勝也も良く知っているので、え?と言う声が電話の向こうで漏れた。 『…………プログラムを届けるとか言ってたけど』 「そこはもう当たった。4時半に向こうを出ているんだ。そこから先がわからない」 『ちょっと待って、キャッチが入った』 今度は無機質な女性の声が聞こえてくる。 『京のお袋さんだった。頼んだお店は2時に出てるって……』 「そこから会社に行ったんだな……」 そう言いながらも、拓也の視線は駅の改札に向けられている。もしかしたら、そこから京が出て来るのではないかと思って……。 『1箇所だけ心当たりがあるにはあるんだけど……』 「それを先に言えよ」 つい、イライラが高じて当たりそうになってしまう。 『P駅の近くにある銀細工の出来る店だとか言ってた。大切なものを頼んだって言ってたから……』 「P駅だな?」 『うん……』 「お前、家にいるな? 万一京から電話があったら、すぐに携帯で知らせてくれよ」 『わかった』 勝也の返事をすべては聞かずに電話を切った。 駐車場まで駆け戻って、エンジンをかける。低いエンジン音が腰に響いてくる。 銀色のボディーは、二つ向こうの駅を目指して、滑らかに滑り出した。 P駅の駅前のロータリーに車を止め、傍のDPE屋で、銀細工の店がないかを尋ねた。そこから路地を二つ分曲がったところに、その店はあった。 こじんまりとした店内は、けれど居心地が良さそうで、アクセサリーや食器はセンスが良く、店主の趣味の良さを伺わせる。 「すみません」 声をかけると、店の奥から店主らしき人が出てきた。 「今日、こちらに月乃京がうかがいませんでしたか?」 拓也の問いに、相手はおや?と、片眉をひょいと上げた。 「失礼ですが、あなたは?」 さきほどと同じように兄だと言いかけて、それはだめだと思った。相手は形式的に京と付き合っている人ではないのだ。 「三池拓也と申します。彼の友人です。実は待ち合わせの時間に彼が遅れてて、探しています」 拓也の名前に頷いて、店主は少し申し訳なさそうに告げた。 「京君は6時少し前にここを出ました。時間を気にしているようでしたが。何か……、あったのでしょうか……」 「そうですか……。すみませんお騒がせしました」 拓也は礼を言い、店を出た。 6時少し前なら、5分ほど遅れただけで待ち合わせには間に合ったはずだ……。 慌ててこの道を駆けて行く京の後ろ姿が目に浮かぶ。 迎えに来てやれば良かった。こんなに暗くて寂しい道、なにかあったら……。と、そのとき、拓也の視界にきらりと光るものが映った。行きは慌てていたために見落としてしまったのだろう。 …………それは、京の携帯電話だった。拓也が買ってやったストラップがついている。電源は落ちていた。いや、……どうやら落とした時の衝撃で壊れてしまったらしい。 「京……」 何があった。ここで……。 まさか交通事故か……? そう考えたとき、拓也の携帯が鳴った。 「もしもし!」 「タクちゃん、すぐに戻ってきて、変なメールが入った」 勝也の切迫した声が響いた。 「わかった」 拓也は車に駆け戻り、愛車を駆りたてた。シルバーメタリックのセリカは、夜空に排気音とタイヤの悲鳴を残して、駅の風景を見る見る間に消した。 |