ひとつのひかり  −9−



 何日が過ぎただろう。
 既に日付の感覚はなくなっていた。
 好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、用意された食事をとる。
 言葉だけを並べてみればとても贅沢な生活に思えるが、それは次第にヒデトを精神的に追い詰め始めていた。
 アルコールが抜けていき、思考力が戻りつつある。だからこそ、軟禁状態の生活にストレスを感じ始める。
 一人きりで世間から隔絶されたように感じる。一人きりではないのに。
 多くを語らない少年は、毎日ヒデトの世話をするためだけに居た。
 ヒデトが暴れればそれを片付け、無理矢理抱かれてもそのシーツを清潔なものに替えている。
 室内は清浄に保たれ、空気さえ毎日新しくなっているように感じられた。
 規則正しい生活をするシュウに合わせるように、自然とヒデトも朝起きて、夜眠る生活をするようになっていた。
 そうしなければ、夜中に起きても水をもってきてくれる者も、食事の世話をしてくれる者もいないからだ。
 自分で用意をしようとは思わなかった。元から世話をされる生活に慣れてしまっていたし、最後の抵抗心みたいなものだった。世話をするのが嫌なら、ここから出せという。
 シュウはリビングのソファーで寝ていた。
 ヒデトが抱いた夜でも、ベッドシーツを取り替えると、ソファーへ行ってしまう。
 どうしてベッドがないのかを聞くと、シュウは寝室が一つだからと答えた。
 だったら一緒に寝るかと聞くと、首を横に振った。
 元々他人に親身になるつもりもないヒデトは、それっきり、シュウがどこで寝ようが気にしなくなっていた。
 カーテンを開けると、眩しい光が室内にストライプ模様を作る。
 鉄格子が爽やかな朝に、背徳の模様を刻み付ける。
「おはよう」
 リビングに入るとシュウが声をかけてくる。
 ヒデトのいる世界ではその挨拶が当たり前になっているが、その言葉をふさわしい時間に使うことは、少なくなっていた。真夜中に使うことも抵抗なくなっていた。
 それが今では、最もふさわしい時間にちゃんと言ってもらう身になっている。
「あぁ」
 けれど自分から言うことはなかった。
 口の中で適当に言葉を濁す。
 テーブルに着くと、ミネラルウォーターが差し出され、温められたお弁当が置かれる。
 この弁当も最初見た時からすればもうなくなっていて当然なのだが、いつしか補充されている。当初シュウが言ったように、外から差し入れられているのだろう。
「なぁ、今度差し入れがある時は、酒を頼めないか。酒でなくてもいい。ワインでも、ビールでも」
「アルコールは駄目だ」
 シュウは相変わらず無表情でそれを却下する。
 ムカッとするが、それでどうにかなるものではないとヒデトはもう知っている。
 どれだけ打っても、酷い言葉で傷つけても、シュウは顔色一つ変えないのだ。
「だったら、もう出してくれるように頼んでくれよ」
「無理」
「どうしてだよ。俺はもう酒は抜けたし、まともに働けるぞ。そりゃもう歌手は無理だろうけど、どこか仕事を探すさ。いつまでも、ここにいられるわけでもないんだろう?」
 歌手は無理だと言うヒデトに、シュウははじめて感情らしいものの切れ端をその目元に見せた。
 悲しそうに、だがすぐにそれを消して、首を横に振った。
「お前も嫌だろう。こんな男の世話させられて、乱暴されて、犯されて。もうやめようぜ。お前が嫌だって言えば話は早いんじゃねーのか」
「俺は嫌だって言わない」
 シュウの口元がキュッと締まる。
 その答えにカッとして手を振り上げた。
 逸らされることない目。ただ真っ直ぐに見つめてくる瞳。
 なのに何故こちらの言うことを聞いてくれない。
 様々な感情が胸の中を渦巻いた。
 シュウが目の前にいるときだけ、ヒデトの心に感情が生まれるような気がした。
 手を振り下ろすことは……できなかった。
 怖い。怖い。怖い。
 揺るがないシュウという一人の少年。
 一人立つその姿は、真っ直ぐに伸びて、凛々しい。
 ヒデトには眩しすぎて、……怖かった。
「勝手にしろ。どうにでもなれ」
 テーブルをバンと叩いて、ヒデトは寝室に戻った。
 ベッドに飛び込む。
 目蓋の裏に映るもの、耳の奥に響くもの。華やかなスポットライトの渦、自分の名前を必死で呼ぶ歓声。
 自分が粗末にして捨ててきた……いや、それらに捨てられたのはヒデトのほうだ。
 遠ざかった栄光。縋りつこうとして、より堕ちてしまった。
 何もかもなくした。
 ……自由になる時間さえ。
 ククッと笑ってヒデトは、床に座り込んだ。ベッドを背もたれにして、壁を見つめる。
 どれだけの時間をそうしていたのかわからない。控えめなノックが聞こえたが、ヒデトは返事をしなかった。
「昼ごはんだよ」
「いらねー」
 細くドアを開けてシュウが呼びかけてくる。
「食べないと駄目だよ」
「いらねーって言ってるだろう」
「ここまで運んでこようか?」
「うるせーんだよっ!」
 シュウがいなくなれば困るのは自分なのに、それなのに邪険にしてしまう。
「来いよ。こっちへ」
 シュウはいる。自分のところに。それを確かめるために呼ぶ。
 パタパタとスリッパの音がして、目の前に足が現われた。
「服、脱げよ」
 ここにいるだろう? いてくれるだろう?
 そんな簡単なことが聞けずに、酷い言葉で繋ぎとめようとする。
 足元にシャツが落ちる。
 惨めだった。
 こんなに落ちぶれて、たった一人を繋ぎとめられずに、それでも縋りつき、しがみつこうとする自分が惨めだった。
 ふわりと抱きしめられた。
 暖かい肌。優しい香り。甘い息遣い。
 たまらずに抱きしめた。
 そうすることでしか、引き止める術を知らなかったから。
 


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