ひとつのひかり  −6−



 何度目の朝なのか、昼なのか、ヒデトは目を覚ました。
 今が夜ではないとわかるのは、カーテンを通して光が室内を薄明るくしているからだ。
 グシャグシャのシーツに寝転がったはずだったが、目覚めると、糊のきいたシーツの上に寝ていた。
 いつもそうだ。
 ヒデトがどんなに暴れて散らかしても、翌日目覚めると綺麗に片付けられている。
 シーツも新しいものに換えられている。
 シュウに対する暴力は、酷くはならないが、治まりもしなかった。
 それでもシュウは表情を変えることなく、ヒデトの世話をし、部屋を掃除し、食事の用意をする。逃げ出すことはできなくても、拒否することもできるだろうに、黙々とヒデトの傍にいる。
 苛立った。酒を飲めない苛立ち、無表情なシュウに対する苛立ち。外に出られない苛立ち。
 それらの苛立ちは暴力になった。
 いくら暴力をふるっても、それですっきりすることはなく、さらに酒が欲しいという欲望が募るばかりだった。
 起き上がろうとすると、眩暈がする。
 クラクラと揺れる室内に、しばらくじっと耐える。
 こんな眩暈、酒を飲めば治まるのに……。
 そう思うと無性に酒を飲みたくなる。だが、酒はない。
 不毛な会話を繰り返すことにも疲れた。
「おい、水」
 それであの少年が水を持ってると思った。
 苛立ちをぶつけたかった。水をかけてやれば、今度こそ本当に、シュウも怒るかもしれないと思ってしまう。
 けれど、シュウは現われなかった。
「水! おい、水持って来い!」
 先ほどよりは大きな声で呼びかける。
 自分で用意しようという気持ちにはならなかった。そのためにあいつがいるのだとすら思っている。
「おい!」
 何度か叫んで少年がやってこないと、ヒデトは急に不安になった。
 シュウがいなければ、自分は一人だ。
 いなくなれば清々すると思ったのに、一人きりになることが嫌だと感じた。
 不安に息が荒くなってくる。眩暈の治まらぬまま、ヒデトは立ち上がった。
 一人になったらどうしよう。不安に揺れる気持ちのまま、壁伝いにキッチンを目指す。
「おい!」
 キッチンのドアを開けるが、そこに人影はなかった。
 決してファンには聞かせられないような罵詈雑言が口から飛び出す。一人かもしれないという不安は、恐怖にも近かった。
 力の入らない足で、キッチンを出る。
「シュウ! てめー、このやろー、出てきやがれ!」
 力の限り叫んだ。酒に焼かれた咽は、ヒデトの大切な声を嗄れさせている。
 大きな声を出すと、ゴホゴホと咳き込むほどに、咽の力はなくなっていた。
 それでもヒデトの叫び声が聞こえたのか、廊下の奥のドアがガチャンと開いた。
 腰にバスタオルを巻きつけて、髪から雫を垂らしたシュウが、驚いたように目を見開いてヒデトを見ていた。
「あ、ごめん。水? 食事にする?」
 シュウは新しいタオルで艶やかな髪の水を弾くように、ガシガシと乱暴に頭を拭きながら、廊下に出てきた。
 余分な肉のついていない薄い胸はまだ成長途中なのだろう。太陽に曝されたことなどないような白い肌の表面を、幾筋もの水が滑り落ちていく。
 まるで清潔な水さえも、シュウの肌に触れてはいけないように。
 飛沫を弾きながら、シュウはヒデトの横を通り過ぎていこうとした。
 その細い肩を鷲掴みにした。
 驚いて振り返ったシュウの瞳は、それでも一点の曇りもなく、ヒデトを見ていた。
 濡れた前髪が額に張り付いている。その先から雫が鼻筋をたどり、ピンク色の唇ではじけた。
 昨日打った頬は腫れていないようだ。だが、昨日打った感覚はまだヒデトの中にある。
 自由にならない生活。酒のない日常。どこにいるのか、これからどうなるのかさえわからない現実。
 そんなところに一人になったかもという不安は、ヒデトに残虐性を自覚させた。
「酒だ」
 肩を掴んだまま、少年に命じる。
「ない」
 シュウの答えなどわかっていた。もう何度も何度も聞いていたのだから。
 肩を掴んでいない方の手を振り上げた。昨夜も打たれたはずなのに、また打たれるとわかっているはずなのに、シュウはただヒデトを見つめたままだった。
 怯えるでもなく、蔑むでもなく、いつもと同じ目でヒデトを見つめる真っ直ぐな瞳。
 何故だかヒデトは自分のほうが怖くなった。
 上げた手を振り下ろす。
 それはシュウの頬を打ちつけた。
「怖くないのかよ。助けを呼べよ」
 よろめいたシュウは顔をあげてヒデトを見た。
 黒い瞳は澄んでいた。その美しさが眩しすぎる。
「もっと酷いことをされるぞ。お前、自分がどうなってもいいのかよ!」  シュウは口を開かなかった。それでも視線がそらされることはない。
 ヒデトは今や自分の方が恐怖に支配されていることを知った。
 何故、こんな見知らぬ少年に。見知らぬからこそ、得体の知れない恐怖というものがあることも、ヒデトは正常に判断できなくなっていた。
 続けて手を振り下ろすことでしか、恐怖を追い払えないような気がした。
 パシッパシッと音が鳴る。
 それでもシュウは悲鳴をあげなかった。助けを求めることも。
 ただ彼はひたすらに、ヒデトを見つめるだけだ。真摯とも呼べる視線なのだが、ヒデトにそれがわかるはずもなかった。
「気持ち悪いな、お前。マゾかよ。へっ、俺はサドかもよ。もっと打たれて、縛られて、痛いことでもされてーのかよ!」
 ヒデトはシュウに怯えてそんなことを口走っていた。
「なんで俺を見るんだよ! 見るなよ! 気持ち悪ぃんだよ!」
 ヒデトは細い身体を突き飛ばした。廊下の壁に当たって、シュウはしゃがみこんだ。壁に手をついて踏みとどまることを避けたように見えた。
 しゃがみこんだ拍子にバスタオルが解けた。細く白い裸体があらわになる。
 くびれた腰からすらりと伸びた足。丸みを帯びた柔らかそうなヒップのライン。薄い繁みで隠された秘部。
 打つだけじゃ面白くない。
 もっと酷いことをすれば、きっと悲鳴をあげる。逃げ出すに決まってる。
 ヒデトは自分の考えに酔った。
 酒より甘い誘惑のように思えた。
「立てよ」
 ヒデトは片頬を歪ませて笑った。シュウの細い腕を持って無理矢理立たせる。
「来い」
 タオルを取り戻す暇を与えず、ヒデトは出てきたばかりの寝室にシュウを引っ張りこんで、ベッドへと突き飛ばした。
 シュウが起き上がる前に、ヒデトはヒデトの背中を押さえつけた。
「俺の世話を焼くためにお前がいるんだろう? だったら、こっちの世話もしてくれるよな?」
 唇を舌で舐めて、ヒデトはベルトを外した。



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