ひとつのひかり  −34−



 ヒデトを照らし出すスポットライト。
 真っ白い光線が、左右、前方からヒデトを捕らえる。
 客席は薄暗く、人の顔の判別は難しい。
 みんなが手に小さなライトを持っている。
 ステージは光のシャワー。客席は光の海。
 その中に、……シュウがいた。
 目と目が合った。
 表情まではわからなかったけれど、確かに視線が絡んだ。
 二人の視線が交わったと確信できた。その熱さを感じた。
 ……シュウがきてくれた。
 今すぐ喜びに叫んで、舞台を降りて、抱きしめたい気分だった。
 それでも歌い続けたのは、シュウに自分の姿を見て欲しかったからだ。自分の歌を聴いて欲しかったからだ。
 シュウに届けとばかりに、愛しい人に語りかけるように、ヒデトは思いの丈をこめて歌う。
 今、シュウに逢えたからわかる。
 こんなにも、こんなにも、シュウを愛しているのだと。
 堕ちるところまで堕ちたヒデトを、支えてくれた人。
 荒れるヒデトの世話をし、暴力さえも耐えてくれ、ヒデトが歌いだすのを待ってくれた。
 歌を思い出したヒデトに、声を出させてくれた。歌の意味を教えてくれた。その心を導いてくれた。
 人を想う気持ちもシュウが教えてくれた。シュウが消えた後で。
 こんなにも、こんなにも、自分の中はシュウでいっぱいだった。
 今、この光の中にいられるのは、シュウがいてくれたから。
 あの暗闇から、ヒデトを出してくれたから。
 二度と戻れないと思っていた輝かしいステージ、この光溢れる舞台。
 ファンの気持ちと、自分の歌が一体になるこの瞬間。
 シュウ、お前にも味わって欲しい。
 お前のおかげで、俺は俺の歌を、俺の本当の歌を取り戻すことができた。
 シュウ、聞こえるか?
 これはお前のための、俺の歌だ。
 ……シュウ。
 客席の中には、ヒデトの歌に泣き出すファンもいた。
 心の中に直接響いてくる歌に、感極まったのだろう。
 心が痺れる。そんな表現を軽く使っていたファンたちは、その本当の意味を知った。
 わけもなく涙がこぼれた。泣きたいのではないのに、これがなんの涙がわからないままに、泣いた。
 感動が身体中に広がっていく。
 舞台で熱唱するヒデトから目が離せなくなっていた。
 すべての歌が終わって、客席もステージも真っ暗になる。
 ここでアンコールが起こるはずだったが、誰も動けずにいた。
 忘我の時間が過ぎ、パラパラと起こった拍手は、ホールの壁を揺るがすほどになった。
 全員が立ち上がり、ヒデトの名前を呼んだ。
「行け。お前の舞台だ」
 海棠が背中を押す。
 ヒデトは振り返り、海棠を、大谷を、そして滝原を見た。
 海棠は珍しく、優しい笑みを浮かべていた。
 感動のあまりか、大谷の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
 滝原も目尻に涙を滲ませている。
「先生……、俺、ごめん……」
 ヒデトの言葉に、滝原はわかっていると頷いた。
 ヒデトはゆっくり舞台の中央に進む。
 アンコールの曲は『ひとつのひかり』と決めていた。滝原のピアノの演奏だけで歌う予定だった。
 滝原は舞台の袖で見送ってくれたまま動かない。
 ヒデトは舞台中央のスタンドマイクの前に立つ。
 ヒデトはごくりと唾を飲み込んで、静かに語りかけた。
「俺、この歌で1位を取りました」
 会場から拍手が起こる。
「荒んだ日々から、救ってくれた人がいます。俺に歌を取り戻させてくれた人がいます」
 ヒデトの言葉に拍手は止み、客席は静まり返っていた。
 スポットライトが一本、ヒデトを照らし出すだけで、辺りは真っ暗だ。
「その人と約束しました。いつかまた、1位を取ると」
 一言、一言を噛みしめるように語り掛ける。
「ううん、ちゃんとした約束じゃなかった。だって俺はその時、もう一度こんな素晴らしいコンサートを開けるようになるなんて思えなかったから。もう一度歌を歌えるなんて思えなかったから、いい加減な返事をしたと思う」
 ヒデトは俯いていた。だから、ヒデトの表情はわからない。
「その人にお礼も言えないまま、俺はこの世界に戻ってきました。お礼の代わりに、その人が取れと言ってくれた1位を取ろうと頑張りました。でも、無理だと思った。俺なんか、ファンも、歌も、大切にしなかった最低の歌手だったから」
 ヒデトは顔を上げた。目の前の客席には、ヒデトを待っていてくれたファンがいる。
「けれど、みんなは待っていてくれた。俺が歌うと、応援してくれた。だから俺はここまでこれた。みんなのおかげだ。ありがとう」
 拍手が沸き起こった。
「……でも」
 ヒデトの声に、また客席は静かになる。
「俺はやっぱり、その人に言いたいんだ。ありがとうって」
 ヒデトの目から、涙がこぼれる。
 客席は真っ暗で、どこにシュウがいるのかわからない。だいたいの位置は覚えているが、あの時のように視線を合わせるのは難しい。
 まだ残ってくれているのかもわからない。けれど、呼びかけずにはいられなかった。
「なぁ、俺、1位取ったよ。立ち直ったよ。……俺のために、もう一度、今日だけでもいいんだ……」
 ヒデトは客席に向かい、ただ一人の人に語りかけた。お願いというより、祈りだった。
「もう一度……、俺のために、ピアノを弾いてくれ……」
 駄目かもしれない。
 ここまできてくれただけでも、喜ばなくちゃいけないのかもしれない。
 けれどシュウのピアノが聞きたかった。
 足音は、客席からした。
 海棠に肩を抱かれて、シュウがステージの端に上がる。
 海棠は舞台の端でシュウを送り出した。シュウは一人でピアノへと歩いていく。
 本当は滝原が座るはずだったピアノは、無人のままシュウを待っていた。
 ピアノの前に座り、シュウはヒデトを見た。
 真っ直ぐな瞳。あの頃と変わらない、澄んだ目がヒデトを見た。
 確かめなくてもわかる。シュウなら弾ける。確信があった。
 言葉を交わす必要もなかった。
 固唾を呑んで成り行きを見守っていた客席に、ヒデトは優しい気持ちで告げた。
「ひとつのひかり。聴いてください」
 ピアノが歌いだした。
 美しいメロディーが、ヒデトを包み、客席へとひろがっていく。
 あぁ、シュウのピアノの音だ……とヒデトは胸を震わせて聴いた。
 ずっとずっと聴きたかった、シュウのピアノ。
 ヒデトはその音に合わせて、歌い始めた。



ひとつの ひかりが 君で はじけて
なないろの 光に なる
きらめく 光の シャワーの中で
君の 歌う 歌声が
僕に とどけば いいのに

心の 殻を はずして
強がりを やめて
ほんとうの 声で 歌って

あふれる 想いは 僕だけのもの
君の 声だけが ただ ひとつのひかり

ひとつのひかりが 君で はじけて
なないろの 光の シャワー

この窓の 向こうには ひろがる 君の世界
歌の 翼 広げて 飛びたって
君の 歌が ひかりになり
僕に とどけば それだけで 幸せだから




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