ひとつのひかり  −33−



「会いに来いよ!」
 ヒデトは叫んだ。
 涙がきらりと光って落ちる。
 滝原はすぐにピアノを歌に戻した。
 ヒデトは歌う。
 声の続く限りとばかりに。
『あふれる 想いは 僕だけのもの
 君の 声だけが ただ 一つの 光』
 ライトが落とされ、暗闇の中に、ヒデトの姿が浮かぶ。
『ひとつの ひかりが 君で 弾けて
 なないろの ひかりの シャワー』
 ヒデトは涙を流していた。
 ひとつ、またひとつと、流れていく。
 けれど声はしっかり出ていた。
 ヒデトは自分が泣いているのに、気がついていないかもしれない。
 バックで弾く滝原も、その変化には気づいていなかった。
『この窓の 向こうには ひろがる 君の 世界
 歌の 翼 広げて 飛び立って
 君の歌が 光になり
 僕に 届けば それだけで 幸せだから』
 ヒデトの歌声がスタジオいっぱいに広がって、ライトに溶け込んでいく。
 キラキラと光るスポットライトが小さくなっていき、画面は真っ暗になった。
 テレビ画面がCMになったのを確認してから、スタジオのライトがすべて灯った。
「今までで、一番いい歌だった」
 滝原がヒデトの位置まで歩いていき、肩を叩いた。それでようやく、ヒデトが泣いているのに気づいた。
「泣くな、馬鹿者。お前は……よくやったさ」
 楽団員の一人がパチパチと拍手した。
 拍手の輪が広がっていく。
 ヒデトの歌に感激して、泣いている女性もいた。
「ありがとう……ございました」
 ヒデトは新たな涙をこぼして、深く頭を下げた。


 コンサートのための移動が始まる。
 スタートは札幌で、ヒデトは飛行機とタクシーを使って、大谷と共にホテルにチェックインした。
 海棠は東京から動かず、滝原は前日に入ることになっていた。
 テレビ番組で泣いたことは、感極まってと、好意的に解釈してもらえた。
 間奏で叫んだことも、ヒデトの演出ととってもらえたようだ。
 海棠は何も言わなかった。そのことがまたヒデトを傷つけた。
 叱られたり、慰められたりするのも嫌だったが、無視されるのは腹が立つ。
 シュウのことは一切を知らぬ振りをする。
 それが辛かった。
 甘えだと、自分でもわかっていた。
 それでも、他に縋るところがないのだ。手がかりすらないのだ。
「ヒデトさん、加湿器、セットしておきますね」
「あー、うん。ありがと」
「早めに休んでくださいね」
 甲斐甲斐しく世話を焼く大谷に笑ってしまう。
「なにか……変でしたか?」
「いや、お前さ、世話女房みたいだよな」
「ええっ。なんてこというんですか」
 大谷は怒っているのか、照れているのか、赤い顔をしてコップを差し出した。
「咽は大切にしてくださいねっ。ほんとに、もう」
 ヒデトはコップのミネラルウォーターを飲みながら、テレビのチャンネルをザッピングしていく。
「東京とはチャンネルが違うんだよなー」
 何が見たいわけでもないが、久しぶりにゆっくりできる夜だから、のんびりしていたかった。
 水を飲み乾して、ヒデトは後ろで動く彼に振り向きもせずに声をかけた。
「水、お代わり頼むよ、シュウ」
 ドサリと物が落ちた音にはっとする。
「あ……、悪い……」
 浮気が見つかってしまったような、気まずい空気が二人の間を漂う。
 誰かと二人きりで、その人が世話をしてくれるという関係に、つい、意識がそちらに飛んでいた。シュウがいてくれたらという願望があったのかもしれない。
「水ですね、すぐに入れます」
 大谷は聞かなかったことにしてくれた。
 コップに新しく、冷たい水を入れてくれる。
「……ありがと。もう、寝るわ、俺」
「そうですね。じゃあ、明日は……9時に起こしにきますから」
「んー、わかった」
 大谷が心配そうにしたが、ヒデトは明るく笑って、ひらひらと手を振った。
「おやすみなさい」
「おやすみー」
 ドアは静かに閉まった。オートロックがかかる。
 チェーンはしない。
 大谷が起こしにくる時に困るからだ。
 明日がリハーサル、明後日が本番。2年振りのコンサートに、緊張していたが、いい意味で気持ちは張っていた。
 頑張れる。
 叫んだことで、逢えないことへのわだかまりを吹っ切れた。
 きっと、そのうち、シュウの方から逢いにきてくれる。
 逢いにきてもらえるような、そんな歌手にならないといけない。
 逢いに来てもらえないのなら、自分がそれだけの男だったということだ。
 自分で吹っ切れた時には、歌をやめようと思った。
 それまではいつも全力疾走する。そう決めた。
「でも、まだまだ吹っ切らないんだからな、シュウ」
 ヒデトは一人きりの部屋の中で呟いた。
「お前がもうやめてって言うまで、俺はお前のために歌い続ける。俺の歌を」
 歌えと言ったのはお前だろう?


 札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡と駆け抜けた。
 コンサートは大成功だった。
 どこの会場でも、ファンは温かくヒデトを迎えてくれた。
 今までと違うところは、みんながヒデトの歌に耳を傾けてくれたことだ。
 だからヒデトは、一生懸命歌った。
 最終日、東京まで辿り着いた。
 身体は疲れていたが、みんなの表情は明るかった。
 もちろんヒデトも気持ちが高揚し、やる気に満ち溢れていた。
「先生ー、大丈夫かー? 疲れすぎてぽっくりいくなよ?」
「何を言う。ぽっくりは年寄りの憧れだ」
「やめてくれよー。俺はまだ先生に教えてもらいたいんだからなー」
「年寄りをこき使うな。自分で頑張れ」
 ホールは満席だった。その舞台の袖で二人はまだざわついた客席を眺めていた。
 コンサート前の緊張をほぐすように軽口を叩き合う二人を、他のメンバーは舞台の袖で笑いながら見ている。
「ご両親を呼んだそうだな」
「うん。ずっと迷惑かけてたから」
「いいことだ。親孝行しろよ」
「その前に先生に恩返ししないとな」
「お前に恩返しされたら、それこそ驚きでぽっくりいきそうだな。手を焼かされているのが楽しいんだから、せいぜいわがままを言え」
「ありがとう、先生」
「俺ばかり言ってもらって、申し訳がない」
「直接言えない分、みんなに言うんだ」
 スタンバイの声がかかる。
 滝原は下手に下がり、ヒデトは手に握りしめていたマイクをぎゅっと持ち直して、中央階段の裏に隠れた。
 この東京で、コンサートはラストになる。
 やはり成功させて終わりたい。
 みんなの気持ちが一つになって、幕が上がった。


「今夜は、来てくれてありがとう」
 ヒデトが階段から降りてきて、客席は歓声を上げる。
「ねぇ、座って、俺の歌聞いてくれるかな。一生懸命歌うから、聞いて欲しいんだ」
 立っていたみんながパラパラと座り出す。中には他の都市にも来ていてくれた子もいたり、ファン同士の情報交換でヒデトが座って聞いてというのは知っていたようで、スムーズにみんなが座ってくれた。
「休みに入る前、俺はひどい歌い方をしてた。何も言わないまま長い休みも貰った。色んな噂もあったけど、俺のこと、信じて待っててくれて、みんな、ありがとう。ヒデトのファンってだけで、からかわれたり、俺じゃないのに酷いこといわれたりしたと思う。それなのに、待っててくれて、俺のこと信じてくれて、ありがとう。これからは、ヒデトのファンだって、自慢してもらえるように頑張るから。本当に今までありがとう」
 客席から、おかえり、頑張って、これからも応援するよと声がかかる。
「ありがとう。俺の歌、聞いて下さい。……プライマリー」
 その曲から歌い始めるのが、自分には相応しい。
 順調に曲は進んでいく。MCをはさみ、途中で衣装を替えて、ラスト近くになってきた。
 ヒデトはスタッフ席をちらりと見た。両親が来ているのか、それを気にする余裕ができてきたのだ。
 二人は並んで座っていた。母親はハンカチを握り締めている。表情までは見えなかったが、泣いているらしい。
 そのまま客席に視線を流した……その時。
 ヒデトはある一点で目を止める。
 驚きに歌を忘れてしまう。
 音楽だけが流れる舞台で、ヒデトは立ち竦んだ。
「ヒデトー。がんばってー」
 ヒデトが緊張して歌詞を忘れたと思ったのか、声援がかかる。中には一緒に歌ってくれるファンもいた。
 それでもヒデトは、歌を忘れ、棒立ちになっていた。
 曲が終わる。
 一瞬、静まり返って、ヒデトは我に返り、リズムを取った。
 曲が始まる。ヒデトも歌いだした。

 目が合った。

 あれほど、逢いたいと願った人と、目と目が合った。




……次のページ……