ひとつのひかり  −3−



 ドアには外から鍵、窓には鉄格子。たった一人の少年は無口で、鍵を持っていない。
 自分の着てきたもの、持っていたはずの財布、携帯電話も見当たらなかった。この家の電話もない。つまり、外との連絡手段は皆無だった。
 窓の外は緑ばかりで、人の通る気配もない。いくら叫んでも、聞いてくれる者はいない。
 ヒデトは溜め息をつき、ベッドへとヨロヨロ戻り、座り込んだ。
「おい、お前」
「シュウ」
 お前と呼ぶと、少年はもう一度自分の名前を名乗った。
「お・ま・え、いいから、酒持って来い」
 ヒデトは彼の名前を呼ぶつもりはないのだと、お前と区切るように言ってやる。
 少年は今度は訂正せず、すっとドア口から姿を消した。
 ヒデトは大きく溜め息をつく。
 これからどうすればいいのかと、酒に浸った頭で考えようとする。
 今現在、閉じ込められたことはわかった。
 途切れがちの昨夜の記憶を繋ぎ合わせてみると、自分をあの店から連れ出したのは、マネージャーと名乗った男である。
 その男をヒデトはまったく知らない。
 男はシュウという少年と別人だ。身長、年齢、外見が全然違っている。いくら酔っていたとはいえ、間違えようもないほど、別人である。
 だから、この家の鍵を外からかけたのは、どう考えてもあの男だろう。
 何が目的で?
 それがさっぱりわからなかった。
 考えれば考えるほど頭痛が酷くなるようだった。とにかく酒を飲みたい。
 まだなのかと、ヒデトが苛立ち始めたとき、少年がコップを持って現われた。
 差し出されたコップをヒデトはひったくるように奪って、煽るように中の液体を喉に流し込んだ。
 喉を通る液体の冷たさと味に、ヒデトは派手に口に含んだ分を吹き出した。
「な、なんだよっ、これっ!」
「ミネラルウォーター」
 本当に聞かれたことしか答えない少年である。
「俺は酒を持って来いと言っただろう!」
「酒はない」
 ヒデトは腹が立って、コップを少年に投げつけた。コップは少年の肩に当たり、ばしゃりと中の水を少年の胸に広げて、床に落ちた。
 割れるかと思ったコップは硬い音を響かせて、部屋の隅へと転がっていく。割れない素材のコップらしい。
 派手な破壊音を期待していたヒデトは、そんなことにすら苛立ち、酒を持って来いと叫ぶ。
「ない」
 少年の単調な答えが苛立ちを増幅させる。
 何時間、アルコールを口にしていないだろうと、ヒデトは視界の歪みを感じながら考えた。
 何でもいい、酒なら何でも。
 ヒデトはふらりと立ち上がる。
「どけ、俺が探す」
 ヒデトは先ほど見つけていたキッチンを目指した。
 よろめきながら辿り着き、大型の冷蔵庫を開ける。
 たいていの場合ドアの袋に並べられているはずのビール類を探すが、そこに並んでいたのはシュウが運んできたらしいミネラルウォーターだった。
 棚の方にもミネラルウォーターや、缶詰、缶ジュースが並んでいる。
 ヒデトは下のドアを開けた。そこは冷凍室らしく、四角いものがぎっしりと詰められていた。一つを取り出してみるとどうやら、電子レンジで暖めて食べる弁当らしい。
 取り出したものを床に投げ捨てて、ヒデトは一番下のドアを引き出した。通常は野菜室と呼ばれるそこにはまた、綺麗にミネラルウォーターが並んでいた。
 ヒデトは「くそっ」と呟いて、キッチンのドアというドアを開けていった。だがそこには酒どころか調味料すら見当たらない。
「酒だよ、酒。おい、料理に使う酒くらいあるだろう」
 ヒデトは振り返って叫んだ。何故だかシュウがついてきているという確信があった。
 やはりシュウはヒデトのうしろをついてきていた。
「酒はない。料理はしないから」
 それで弁当なのかとヒデトは笑おうとした。けれど既にアルコールの切れかけた身体は、顔を歪めることしかしてくれなかった。
「酒をだせっ!」
 ヒデトはシュウに突っかかっていく。
 怖がって逃げろとヒデトは頭の片隅で思った。
 自分の中の破壊衝動がどこに向かうのかわからない。
 酒が欲しい。その欲望だけに支配される。それしか考えられなくなる。
「……ない」
 自分よりはずいぶん幼く見える、高校生くらいにしか思えない少年は、ヒデトの狂気を孕んだ目に睨まれても、動揺も恐怖も見せずに、落ち着いた態度でヒデトに告げる。
 だが、それは今のヒデトにとっては死刑宣告にも似ていた。
「酒だ! 酒を出せっ!」
 ヒデトは叫び、シュウを突き飛ばした。細い少年の身体は、ヒデトの想像よりもはるかに飛び、テーブルのところまで転がっていった。
 椅子にぶつかり、ガタンと大きな音を響かせた。
「酒を飲ませろっ!」
 ヒデトはもう目の前にいるのが誰なのか、どうでもよくなっていた。
 飲みたい。酒を飲みたいと、ただそれだけがヒデトの思考のすべてだった。
 倒れた椅子の足を握った。
「酒だ……。酒を出せ」
 ヒデトは少年に向かって椅子を振り上げた。


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