ひとつのひかり  −29−



 プライマリーはヒットチャートを駆け上った。
 シュウと約束したトップとはいかなかったが、ベストテンに食い込むところまで上ってきた。
 その売れ行きはさすがに無視できなかったのか、一度はヒデトの出演を蹴ったテレビ番組も、出演を依頼してきた。
 ヒット曲や話題曲を10曲ほど集めて、短いトークをはさみながら1時間で構成する生の歌番組で、司会は若手俳優として注目株の晃月怜史と女性アナウンサーの水嶋涼子という組み合わせである。
 局に入り挨拶をしてから、二度のリハーサルをこなして、バタバタと時間は過ぎていく。その忙しい中にも、ヒデトは自分に突き刺さる冷たい視線に気づいていた。
 ひそひそと囁く声も聞こえる。
 ……いったいどんな顔をして出てこられたものかしら。
 ……恥知らずよね。
 ……どうせ一曲だけよ。
 聞こえよがしの嫌味は、ヒデトを精神的に追い詰めるためのものだろう。
 ひたすらに聞こえないふりで押し通した。
「英人さん……」
 大谷の方がオロオロしているので、かえってヒデトはリラックスできた。
「落ち着けよ。俺は慣れてるから平気だよ」
 大谷がいてくれて良かったと思う。一人だったら暗くなって、動揺が歌に出ては大変だし、相手が海棠だったらおもしろがって、ヒデトに嫌味の二つ三つも繰り出していただろう。
 海棠の嫌味にも慣れたが、はじめてのテレビ出演の時は勘弁して欲しい。
 ヒデトは一番最初に歌うことになっていた。その方がトークが短くて済むからだ。
 番組の方でも、ヒデトにどこまで喋らせていいものか、把握できないのだろう。
 海棠からは何を言われても怒るな、謙虚に喋れと、質疑応答のシュミレーションまでされたが、そんな心配は必要なかったように思えた。
 女性アナウンサーのオープニングの挨拶で番組は始まる。軽快な音楽と共に、一人ずつステージに出て行く。ヒデトはトップを切って出て行かなければならなかった。
「久しぶりの出演。復帰第一曲目は切々と歌う愛の歌。ヒデトさんです」
 眩しいライトが降り注ぎ、射るようにヒデトを捕らえる。
 カメラがヒデトの動きを捕らえ、光の中へと踏み出す。
 萎えそうになる足を叱りつけながら動かし、笑顔を作る。
 観客はいない。だが、カメラの向こうに何百何千の目がある。
 もしかしたら、その中にシュウがいるかもしれない。
 いや、きっといるんだ……。俺を見ている。見てくれている。
 ヒデトはそう思うことにした。
 歌う向こうにシュウがいる。そう考えることで、不安や恐怖を押し殺した。
「ヒデトさん、お久しぶりです」
 出演者がみんなそろっところで、晃月がにこやかに話しかけてくる。
「お久しぶりです」
 ヒデトもマイクを持って、にこやかに答えた。何とか声を震わせずに話し始められたことで、少し落ちつけた。
「色んな噂が飛び交っていましたが、本当のところ、お休みの間はどうされていたんですか?」
 台本にはない質問だった。大谷がスタジオの端っこでオロオロと慌てる。
 ヒデトは安心させるように笑った。
「おとなしくレッスンしてました。噂は……、うーん、本当だったり、嘘だったりですね」
「レッスンに通うところをキャッチされてましたね」
「そうなんですよ。あれくらいかな、本当のことって」
 ヒデトは明るく答えてにっこり笑う。
「今回の歌はご自分で作詞作曲されたんですよね」
 台本どおりの質問に戻る。
「はい。自分の素直な気持ちを歌にしてみました」
「ヒデトさんらしくない歌だと思ったんですが、その辺はいかがですか?」
 ADは巻きのサインを出していた。生放送なので、最初が押せば、あとあと困ることは目に見えている。それでも晃月はまたも台本にはない質問を繰り出してくる。
「少しブランクもあったし、大人っぽい歌を歌ってみたくなったんです。たくさんの人に歌ってもらえるような歌を目指しました」
「僕も歌いたいと思いましたよ」
「ありがとうございます。是非歌ってください」
 にこやかにトークは終わり、ヒデトはセットの中にスタンバイする。
「愛する人との別れ。別れてもなお逢いたい気持ちは募る。ヒデトさん復帰の曲です。プライマリー」
 水嶋の紹介に、バックの演奏が始まる。
 バックバンドは結局海棠が集めてくれた。ヒデトはまだ顔と名前が一致したばかりで、それほど打ち解けていないが、演奏は上手かった。ヒデトの歌いやすいように、合わせる力も持っていた。
 みんながそれぞれに滝原には敬意を払っていて、滝原に可愛がられているヒデトにも一目置いてくれているらしかった。
 ヒデトは大切に大切に歌を歌う。
 メディアで一曲が丸々流れるのは、これがはじめてなのだ。なんだこんな曲だったのかと思われたくない。もう一度聞きたい、自分も歌いたいと思ってもらわなくてはならない。
 そして何より、ヒデトが一番歌いたかった。
 明るいライト、豪華なセット、何台ものカメラがヒデトを映し出す。
 シュウに届け。
 ヒデトは祈りを込めて歌った。
 テレビ画面は歌い終わったヒデトをアップに、そのままCMへと移る。
 スタジオではバタバタと次のセットに移る。ヒデトはスタッフに先導され、出演者たちが並んで座っているところに加わった。目立たないように最後部の後ろに座る。
 以前なら、中段の真ん中がヒデトの定位置だったが、そこは今最も売れている十代のアイドルが座っていた。
 そのアイドルがヒデトに視線を寄こして、優越感に浸った笑顔を見せた。
 ヒデトは苦笑して見えていないふりをした。
「おーおー、自分が一番売れているっていうアピールかね」
 ヒデトの隣に座っていたバンドの一人が声をかけてきた。以前はそこのヴォーカルとも仲が良かったが、ヒデトが局廻りをしている頃に、そのヴォーカルは綺麗にヒデトを無視した。
「売れているみたいだしね」
 ヒデトは当たり障りなく答える。ここで肯定したり、否定したりしてはいけない。
「どうせアイドルのヒットなんて、数年の命だよな」
 それでも相手は絡むことをやめない。
「俺みたいに?」
 多少自虐的に答えると、さすがに相手は黙り込んだ。
 それからは一時間、人の流れを見守るように、その席にとどまった。
 ヒデトに話しかけてきたバンドは、最近売れなくなってきている。ヴォーカルの咽が掠れてきているのだ。高音を出せないために、歌にインパクトがなくなった。
 酒と煙草だ、とヒデトはわかっていた。今やめなければ、咽を潰す。
 正しい発声練習を、シュウと滝原によって根気よく、厳しく指導されたヒデトは、その歌を聞いているだけで自分の咽まで痛くなるような気がした。
「せめてタバコだけでも止めるように言った方がいいよ」
 番組終了でカメラに向かって笑顔で手を振りながら、ヒデトは隣の男に囁いた。
「何度も言ってるんだがなぁ」
 男の言葉が辛そうで、ヒデトも胸が痛んだ。
 自分はシュウがいてくれたから、酒を断つことができた。
 今はもう飲みたいと思わない。
 飲むような場所に近づかないようにもしているが、たとえ目の前に出されても、断ることができると思っている。
 シュウに会うまでは飲まない。会えたなら、どうなるかはわからないが、飲まないと思う。
「英人さん、良かったです」
 控え室に戻ると、大谷が目を真っ赤にして、ヒデトに話しかけてきた。
「マネージャーはもっと厳しくならないと」
 ヒデトは笑いながら、大谷の涙目を見ないようにした。大谷の感動ぶりが感染して、自分も泣き出してしまいそうになる。
「嬉しいんですよ。英人さんが、一番良かったです」
「バカ、誰かに聞かれたらどうするんだよ。それに、そんな馬鹿親丸出しの台詞を言うなよ。俺がつけあがったら、お前、困るだろう? 海棠さんだったら、これくらい歌えて当たり前だ、って言うぜ、きっと」
 海棠の無愛想な口真似をしてやる。大谷はぷっと吹き出して、涙を流しながら笑った。
 私服に着替え終わったところで、コンコンとノックの音がした。
 大谷が返事をして、ドアを開ける。晃月が真面目な顔をして部屋に入ってきた。
「今日は意地悪な質問をしてすみませんでした」
 まだ衣装のままの晃月は、放送中と変わらない優しい笑みを浮かべてヒデトに謝ってきた。
「いいえ。みんな聞きたくて聞けないんだろうなって、思ってましたから、聞いてもらえてよかったです。俺も、ちゃんと言いたかったのかもしれません」
「ヒデト君、本当に大人になったね。歌も良かった。最初に言った、僕も歌いたいって、あれは本当の気持ちだから」
「ありがとうございます。そう言って貰えるのが、一番嬉しいんです」
 なんだか、この世界に入って、はじめて本音でしゃべれたような気がする。かっこつける必要なんてない。自分を飾らなくていいと思えるようになった。
 晃月もそんなヒデトに好印象を抱いてくれたようだった。
「また是非、出て下さい」
「お願いします」
 深く頭を下げると、晃月は頑張ってねと部屋を出て行った。大谷はまた感動して泣いていた。

 スタートダッシュが悪かったからか、プライマリーも頑張ったが、トップスリーに入ることはできなかった。
 それでも復帰第一曲目としては、上出来以上だろう。これ以上を望めば無理が出るような気がした。
 けれどヒデトは悔しかった。
 トップになれなかったら、シュウに会うことはできない。
 この一歩が、シュウに続く道になる。そう思うことで、焦る気持ちを抑えようとした。
 海棠も滝原も、ヒデトが焦るとそれを敏感にキャッチして怒る。そんなイライラした歌は聞きたくないと、滝原はピアノを止めてしまうこともあった。
 だからヒデトは大切に、優しく、語りかけるように歌った。
 シュウ、君に逢いたい……と。
 そんなヒデトに、海棠は新しい曲を持ってきた。
「俺が作った歌じゃ駄目ですか?」
「駄目とは言わない。だが、この曲を歌ってみないか?」
 海棠にしては珍しく、押しの弱い言い方だった。ヒデトは譜面に目を落とす。
 音符は手書きだが丁寧に書かれていて、見やすく五線譜に並んでいる。歌詞の文字も直筆で、優しい印象を与える女性的な文字だった。
 音を拾いながら、詩を読む。

『ひとつのひかり』

 ひらがなで書かれたタイトル。
 Shioriという作詞作曲者は知らない名前だった。
 その歌を歌い始めて、ヒデトは驚きに言葉を失くす。

『ひとつの 光が 君で 弾けて
 七色の 光に なる
 きらめく 光の シャワーの中 で
 君の 歌う 歌声が
 僕に 届けば いいのに』

 それは、ヒデトがあの家に閉じ込められた最初の日、確かに聞いた、あの歌だった。





……次のページ……