ひとつのひかり  −17−



 驚き、立ち竦むヒデトに、男はつかつかと歩み寄ってきた。
 ヒデトより背は少し高いだけなのに、たじろぐほどの威圧感を感じる。
「お前は……」
「久しぶりだな。覚えていたか?」
 男はふんと笑ってサングラスを外した。鋭い眼光がヒデトを見下ろす。
 吊り上った眉と眦。唇は薄く笑っているが、眼差しは少しも笑っていなかった。むしろヒデトを憎むように睥睨する。
「……シュウは? ……シュウはどこにいる?」
 ヒデトは無意識のうちに一歩後退さる。震える声で、本来ここにいるはずの、少年の名前を呼んだ。
「シュウ? 誰のことだ。俺はお前をここに一人で閉じ込めたんだぞ」
 男は物騒なことをさらりと言ったが、ヒデトはそれよりも別のことに気をとられていた。
「シュウ! どこにいる! シュウ!」
 ヒデトはリビングを飛び出した。
 廊下を走り、バスルーム、トイレと力任せにドアを開き、少年の姿を探す。
「シュウ! 出て来いよ、シュウ!」
 けれど少年の姿は、そう広くない家の中のどこにも見当たらない。
「シュウーーー!!」
 ヒデトは廊下を走った。
 ヒデトは音楽室を開けようとした。少年がいるとしたら、ここしかないはずだと気がついて。
 だが昨日までロックのかかっていなかったドアは、今は固くヒデトを拒んだ。
 ヒデトは自分の生年月日を押す。8桁のその番号を押せば、ロックは外れるはずだった。
 しかし、ピーという電子音と、エラーという文字が表示される。
 鍵は解除されなかった。
「シュウ! いるんだろ! シュウ! 開けてくれよ!」
 ヒデトは力いっぱいドアを叩いた。
「そこには誰もいないぞ。鍵はこちら側からしかかけられないからな」
 いつの間にか男がヒデトのうしろに立っていた。
「開けてくれよ!」
 ヒデトはドアを背に男を睨む。
「開けられないな。お前に入られたくないから、ドアに鍵をかけてあるんだ。それに、その部屋には何もない」
 そんなバカなとヒデトは首を振る。
 けれど思い出す限り、男の言うように、向こう側からの鍵はなかったように思う。
「シュウをどこへやった!」
「寝ぼけているのか? いいや、まだ酒に頭をやられているのかな? 幻覚でも見たんじゃないか?」
 言われて愕然とする。
 そんなわけはない。そんなわけ、あるはずがないと思っても、シュウのいない現実は、ヒデトをひどく頼りなくさせた。
「行くぞ。用意はいいか、って何も持ってないか、今のお前は」
 男の言葉は一つ一つがすべて嫌味だった。
「行くって、どこへ……」
 自分がこの男に何故命令されなければならないのか、どこへ連れて行かれようとしているのか、何もわからなかった。そう、この男の正体さえ知らない。
「お前の事務所だ」
「……俺の事務所?」
 ヒデトは所属していたプロダクションの名前を呟いた。
「あぁ、そこは首になった。だから俺がお前を買い取った。これから俺がお前の社長兼マネージャーだ。きっちり働いてもらうからな」
 男は尊大な態度と同じように、尊大にヒデトを見下していた。
 自分の身の上が、自分のまったく知らないところで売り買いされていたという事実もショックだったが、これからこの男の下で働くのかと思うと、その不安も大きかった。
 いや、それよりも……。
「シュウは……、シュウはどこにいるんだ?」
 ここに閉じ込めたのがこの男なら、シュウのことを知らないはずがないと思った。
 シュウが幻覚なんかであるはずがない。自分はもうアルコールなど抜け切っていたし、薬は元からやっていない。
「さぁ、何のことだか、わからないな」
 男は取り合おうとはしなかった。答えは期待できないとわかると、ヒデトは不安に動けなくなった。
 シュウがいなければ、これからどうしていいのかわからない。
 ここから出ることになっても、あの少年が傍にいてくれるものと、勝手に思い込んでいた。
「愚図愚図するな。やることはいっぱいあるんだ」
 男に腕をつかまれ、引っ張られた。音楽室から離され、開けられたことないドアへと引っ張っていかれる。
 傷だらけのドアは、ここに来たばかりの頃、ヒデトが椅子で壊そうとしたときのものだ。そのドアが、今は何の抵抗もなく呆気なく開く。
 そのドアの向こうは、やはり玄関だった。
 そこにぽつんと置かれた自分のギターを見つけて、ヒデトはもうここにシュウがいないという事実を受け入れざるを得なかった。
 三和土に男のものらしい靴と、……自分の靴が並んでいて、それが妙におかしかった。
 男は靴を履いて、ヒデトが下りるのを待っていた。
 ヒデトは仕方なく靴を履く。
 そうすると、もうここには靴がなかった。
 シュウの靴がない……。
 ヒデトはギターを抱きしめ、がらんとした玄関を見つめる。
「ほら、早くしろ」
 男の苛立つ声に、ヒデトはそれでももう一度と、家の中に向かって『シュウ』と呼びかけた。
 それに答える声も、少年の姿もない。
 心残りで一杯だったが、それでももう、ここは自分の居場所ではないと感じた。
 玄関を出る。
 ドアから出ると、太陽が眩しくて、くらりとした。
 久しぶりの直射日光。
 手でその光を翳す。
 ヒデトはまだ知らなかったが、彼にとって、実に3ヶ月ぶりの外の世界だった。



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