HIKARI −6−
「兄さん、どういうこと? どうしてヒデトが出てないの?」 非難するように問いかける繍のうしろで、大画面の液晶テレビは女性歌手が肌を露出させた衣装でしなやかに踊りながら歌っている。 気まずい空間にそのポップな音楽が虚しく響く。 「これだけじゃないよね。他の三本も出てなかった。今日のテレビにも出演者の中にヒデトの名前がない」 隠しきれるものではないとわかっているが、せめてもう少し現状がわかってから報告したいと思っていた海棠は、後ろめたさを隠すように横を向いた。 「兄さん」 「キャンセルが相次いだ。今、その原因を調べてる」 仕方なく説明をする。けれどその結果だけの報告では、繍は納得できないようだった。 「明日の生番組も?」 もしかしてそれを見たいがために、予定を切り上げて戻ってきたのだろうかと、弟の予定外に早い帰国に、海棠は苦笑した。 「明日の晃月の番組だけは出してもらえる」 「明日のだけは……って、他のは全部?」 すべてばれてしまい、隠す必要のなくなった海棠は、投げやりに頷いた。 「どうして……」 まるで自分が酷い目に遭っているかのように、繍は苦しげに項垂れた。 実際のところ、繍にとっては自分がピアノを弾けないことよりも辛いのだろう。 「何が起こっているのか、今調べているところだ」 俯いていた繍は、兄の言葉を聞いていないと思っていたが、ゆっくりと顔を上げて海棠を真っ直ぐに見つめてきた。 「兄さん、ここに来たってことは、俺の録画した番組を見たかったってことだよね? 調べていることって、何?」 機転の速い弟の言葉に、海棠はなんと誤魔化そうかと迷った。 「繍、早く帰国することは言ってあるのか? ヒデトなら今頃は滝原先生のレッスンだぞ。久しぶりに覗いて見たらどうだ?」 繍がこの時間に帰国することをヒデトが知っていたとは思えない。それなら仕事がなくなった今なら、迎えに行くと騒いだはずだと思うからだ。 「どうして俺を遠ざけようとするの? この録画を見れば何かわかるんだね?」 海棠は眉を寄せて弟を睨んだ。 「いいか、繍。お前は何も心配しなくていい。ちゃんと調べて、対処するから、俺に任せてくれ」 睨まれて怯むかと思っていたが、繍は負けじと睨み返していたが、くるりと身体の向きを変えてDVDレコーダーのリモコンを手にとった。 画面を早送りにして、総出演者が映ったところでぴたりと止めた。 「繍、何もしなくていい」 海棠がリモコンを取り上げようとするが、繍は胸に隠すように握りしめて抵抗した。 「お前は今、大切な時期だろう。もうすぐ次のコンクールが迫ってる。そっちに集中しろ」 そのために何度もオーストラリアへと渡欧しているのだ。本当ならずっと向こうで滞在して、レッスンに専念して欲しいのだが、そうしようとしないのは、ヒデトが日本にいるからだ。 「ヒデト以上に大切なものなんてない!」 予想されたとおりの言葉に、海棠はかっとなる。 「馬鹿なことを言うな!」 「馬鹿なことじゃない! ヒデトが歌えないなら、俺もピアノなんて弾かない!」 日頃は冷静で、大人しい繍の聞きわけがない言葉に、海棠は怒りがこみあげてくる。 「繍!」 リモコンを握りしめたまま、繍はぎゅっと目を閉じて、身体を固くした。 「ヒデトがいなかったら、俺はピアノを捨てたままだった」 最終兵器とも言える言葉を出されて、海棠はリモコンを取り上げようとしていた手を止めた。 『あの人が歌わないなら、もうピアノは弾けないんだ……』 あの時も、繍は周りの説得を振り切った。 けれど、海棠には一つの確信があった。あの時には持てなかった、強い確信が。 「それをヒデトは喜ばないだろうな」 怒りは消えていた。 繍だけがヒデトを見てきたのではない。 むしろ、ヒデトの一番辛い時期に、彼の背中を見続けてきたのは海棠だ。 挫けそうになりながら、涙を堪えながら、這い上がったヒデトを見てきた。 ヒデトはもう、支えられるのを待つだけの弱い負け犬じゃないという確信が。 海棠の言葉にはっとしたように、繍は目を見開いた。その瞳の怒りや憤りといった色が消えていき、繍は自分を隠すように俯いた。 「でも、何かできるなら、……してあげたい」 「今はそのリモコンを俺に渡して、ヒデトに顔を見せてやることだな」 そろりと差し出されたリモコンを受け取って、海棠は下にタクシーを呼んでやった。 ***** *** *** ***** スピーカーから流れ出る歌声は繍の身体を包み込んだ。 甘い歌声と巷では言われているようだが、繍にとっては甘さよりも柔らかさが心地好く響いてきた。 目を閉じて聞いていると、自分の周りに光の粒が降りかかってくるような、暖かさを感じた。 七色の光の粒が舞い降りて、プチプチと自分の身体で弾けて、それがまた煌めく光になるように感覚だった。 暖かい。繍は淡く微笑んで、その光をシャワーのように浴びていた。 あまりに気持ちよくて、身体が左右に揺れた。 ゆらゆらと泳ぐように聞いていると、アルバムはすぐに終わってしまった。 その中で特に気に入った一曲を、今度はリピートでかけてみた。その曲だけがスローテンポで、光の粒が多く降り注いでくるように感じられたから。 きっと本人もこの歌が好きなんだとわかった。 何度も何度も聞いているうちに、すぐにメロディーを覚えた。 いつしか自分も声を出していた。 歌詞を歌うのではなく、メロディーを倣うように口ずさむ。そうすると彼と一緒に歌っているような気持ちになれた。 「あら、珍しい。クラシックじゃない曲ね。ヒデトでしょ、これ。どうしたの?」 姉の樹里がひょっこりと音楽室を覗いていた。 「知ってるの?」 「買ってきたの? わざわざ買わなくても、私も持っていたのに」 樹里は音楽室の中にスタスタと入ってきて、床に投げ出されていたCDショップの袋や、まだ開けていないCDを手にとった。 「今度コンサートに行くのよ。繍も行く?」 大学生の樹里は、弟をからかうつもりで聞いた。 クラシックにしか興味のなかった彼が、ヒデトの曲を集めて、楽しそうに聞いていることが不思議だったのだ。 「行きたい! 連れてって!」 からかうだけのつもりだった彼女は、いつにない弟の勢いに驚いて、思わず頷いていた。 |