HIKARI  −10−



「お前のようなつまらない歌手が、あのシュウ・カイドウを専属にできるなんて、おかしいじゃないの。いくら金を積んだの? それとも男をも落とせる手練手管を使ったの?」
 ギラギラと異様に光る目に、ヒデトは思わず一歩さがる。
 すると有澤華代はその一歩分、ヒデトに詰め寄った。
 お前呼ばわりかよというのは、後になって思いついたことだが、この時は繍の名前と、彼女の迫力に完全に飲まれていた。
「仰っている意味が……わかりません」
 逆らうのはよくないと思い、逃げ出せるように返事は誤魔化した。
「そうよね、自分勝手なお前には、わからないでしょうとも。いつでも、自分のしたいようにして、気侭に振る舞って、周りに迷惑ばかりかけて、人を踏み台にしても平気なお前には、何もわからないわよ!」
「ちょっと」
 あまりの言いように気色ばむ大谷を、ヒデトは腕を掴んで制した。
「だって、英人さん」
 いいからと大谷を宥め、ヒデトは有澤に向かい合って深く頭を下げた。
「英人さんっ」
「どういうつもり?」
 ヒデトは深く頭を下げたまま、「すみませんでした」と真剣に謝った。
「何を謝っているつもり? わかってないでしょう?」
「はい。わかりません。けれど、以前の俺は有澤さんの仰るように、自分勝手で、気侭で、迷惑ばかりかけていました。誰にでも嫌われていると思います。謝って済むことではありませんが、お腹立ちのことがあれば、真面目に謝罪したいと思っています」
 ヒデトの横で大谷も頭を下げた。
「ヒデトさんは悪くないんです。私が…私がきちんとマネージメントできなかったせいです。本当に申し訳ございませんでした」
 二人に頭を下げられても、有澤はふんと鼻で笑っただけだった。
「本気で謝罪するつもりがあるの?」
「はい。できれば、何にお腹立ちなのか、教えていただきたいです。ですが、繍……シュウ・カイドウは関係ありません。彼は何も悪くありません」
 有澤は頭を下げるヒデトの爪先を蹴った。
「お前はこの子を覚えているの?」
 ヒデトはゆっくり頭を上げて、有澤の隣に立つ男を見た。
 まだ若い。二十歳前後というところだろう。
 仕立ての良いスーツを着て、髪も丁寧にセットされているが、どこか本人にしっくりと馴染んでいない。
 周りに勧められて、恰好をつけているだけというように見える。
「わからないでしょうよ。自分が見もしないで踏みつけた男を知っているはずがないわよね」
 憎々しげに詰め寄られて、真剣に思い出そうとするが、どうしても思い出せそうになかった。
「この子はある番組でデビューできるはずだったの。でもね、その番組は、一人の歌手の勝手な行動のために、打ち切りになってしまったの。その歌手はね、アルコールに溺れて、変な薬に手を出してね、それが摘発されて、番組ごと打ち切りよ」
 そこで言われれば、その歌手というのは自分のことだとわかる。
 薬などには手を出していないと弁解することもできたが、今ここで申し開きをしたりしたら、彼女の怒りの炎に油を注ぐだけだろう。
 スタッフたちもヒデトと有澤の異様な雰囲気に気づき始めて遠巻きに見つめているが、口出しはできないようだった。
「ようやくもう一度デビューできるところまでこぎつけたら、今度はその歌手が復帰したために、新人は降ろされて、そいつがテレビで歌うのよ。許せる?」
 ヒデトはただ俯いてその怒声を聞くことしかできなかった。
 自分はただ必死で復帰の道を歩いてきたが、それが誰かを追い落としていることに全く気づかなかった。
「なんとか、なんとか良い歌を持たせて、注目を浴びせようとして、シュウ・カイドウに歌を作ってやってくれと頼みに行った。この子はね、シュウ・カイドウのファンだったの。だから、憎い歌手が歌っている歌を、彼が作っているとすぐに気がついたわ」
 有澤の言い様に、彼が彼女の息子なのだろうと気がついた。大谷の方は、ヒデトが降ろされて代わりに出始めた歌手が有澤大吾という名前だと知っていたから、その確信は深かった。
「でもね、シュウ・カイドウは歌の提供を断ったわ。ありったけのコネクションと、金と、私の力のすべてを使ったけれど駄目だった。その悔しさが、わかる?」
「けれどそれはヒデトのせいじゃありませんよね」
「大谷、止めろ」
 たまらずに反論した大谷をヒデトは止める。
「確かにデビューのチャンスを潰してしまったのは、以前のヒデトです。けれどヒデトは生まれ変わったんです。汚い手など使わずに、コツコツと積み上げてきました。自分の力でつかみ取った復帰です。彼が降ろされたのは、ヒデトのせいではありません、彼の実……」
「大谷!」
 ヒデトは大谷の肩を掴み、口を手で押さえた。
「それがお前たちの本音なのね。そうやって、真面目な振りをして、他人を踏みつけて、踏みつけられたもののせいにする。そうやってシュウ・カイドウも丸め込んだのね」
「違います」
 落ち着いた声が割り込んだ。
「繍……」
 久しぶりに会う顔は、悲しそうに有澤と彼女の息子を見ていた。



***** *** *** *****



 その会場はとても小さかった。
 クラブハウスを借り切って行なわれるシークレットライブは、ヒデトがデビューした時から、当時のファンの間でだけ、密かに続けられていたらしい。
 だから小さな会場でも十分な広さなのだが、それでも今夜は広く感じられた。
 ほとんど客が入っていないからだ。
 とても淋しく感じられる会場に、ヒデトは来ないかもと思われたが、時間より少し遅れて、彼はステージに現われた。
 まばらな客席を見て、彼はおかしそうに声をたてて笑った。
「少ないよな。よく来るよね、あんたたち」
 ふらりと揺れる足元。酔っているのだろうか。やはり噂は本当なのだろうか。
「あんまり歌いたくないなぁと思って来たんだけど、こんなに少なくちゃ、CD流して誤魔化すってわけにもいかないかぁ」
 投げやりな台詞に、繍は駄目なのかと悲しくなった。
 このまま歌を聞かずに帰ったほうがいいかもしれない。そうすれば、まだヒデトを信じられるかも、と弱気が顔を出す。
「じゃあ、何を歌おうかな。何でもいいよね? 別に歌を聴きに来たんじゃないだろ?」
 明らかにファンをバカにして、ヒデトは片手をあげた。
 バックバンドまでがやる気のなさそうに適当に楽器を演奏する。
 繍は聴きたくないと目を閉じた。
 来なければ良かったと耳も塞ごうとした時、ヒデトが歌い始めた。
 それはシュウが一番好きな、あのバラードだった。
 酔っていると思ったのに、歌いたくないといったのに、ひどいことばかり言うのに……。
 繍は閉じていた目を開け、前の席の背もたれを掴むように身を乗り出した。
 ヒデトの声は出し難そうだった。多分、最近はまともにヴォイストレーニングをしていないせいだろう。もしかしたら酒の影響もあるかもしれない。
 それを差し引いても、ヒデトはこの前のコンサートとは比べ物にならないくらい、一生懸命に歌っていた。
 歌を愛し、歌を大切に、歌に身を任せて……浸っていた。
 繍は再び目を閉じた。
 一つの光の泡がほわりと浮かぶ。
 それはふわりと漂いながら繍にぶつかり、たくさんの光の泡になる。
 その光が次々に弾け、繍の周りを包み込む。
 暖かい光に包まれて、繍までふわりと空気に溶け込めるような気持ち良さだった。
 ……貴方は……本当は、歌いたいんだね……。
 ヒデトの歌を聴きながら、繍は一粒、涙を零した。
 あぁ、彼は本当に歌いたいだけなんだ……。
 光の泡を掴みたくて、繍は手を伸ばす。けれど、それは触れた途端、弾けて消える。
 どれだけ手を伸ばしてもつかめないのだろうか……。
 その後すぐに、ヒデトは本当にテレビから消えてしまった。



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