Glory −5−



 大谷が心配したよりも雑誌の撮影とインタビューは、ヒデトに好意的に進んだ。
 雑誌の対象年齢がヒデトのファン層に近く、大人向けであるのも良かったようだ。
 写真も凝ったポーズではなく、自然なポーズで撮ってくれたので、終了してからもヒデトは落ちついていた。
「お疲れ様でした」
 大谷がおしぼりと飲み物を渡すと、ほっとしたように微笑むだけの余裕もあった。
「ヒデトさん、ちょっとよろしいでしょうか」
 インタビューを終えた編集者が、声をかけてきた。
「お話をお聞きしながら思いついたのですけれど、エッセイなどは書かれるおつもりはありませんか?」
「エッセイ……ですか?」
 突然のオファーに、ヒデトのほうが面食らってしまう。
「えぇ。ヒデトさんはオフィシャルホームページは開設されていますが、日記は書かれていませんよね」
「はい」
 ファン向けのホームページは作ってあるが、その中にヒデトが直接何かを書き込むことはない。
「雑誌の編集者だから言うのではないですが、最近は何でもインターネットやブログの時代ですけれど、活字の持つ魅力というのは、紙面でしか伝わらないものもあると思うのです。インタビューの中で感じたのですが、ヒデトさんはとても歌に対してストイックに向き合っておられる。それを言葉にしてファンに伝えてみませんか? ヒデトさんの想いは、携帯の小さな画面でチマチマとスクロールして見るようなものじゃなく、本という媒体を通したほうが伝わると思いました」
 相手が真面目に話しているのはわかった。
 軽いノリで何でもいいから出しちゃいましょうよというのではないことも伝わってくる。
「でも、何を書いていいのかわかりませんし、そういうの、書いたこともないんで」
 ホームページに日記を作らなかったのは、何を書いていいのかわからなかったからだ。
「それに、日頃の感じたものを文字にしてしまうと、それで満足してしまって、詩を書くモチベーションが上がらなくなったりしても困りますし」
 散文的に日頃の感情を文字にしてしまうと、心の中に貯まっていかない気がする。
 ヒデトが断りの気持ちを口にすると、編集者はますます納得したように頷いた。
「ウェブなら、ヒデトさんの心配されるようになる危険性は高いです。それだけ、誰でも自己の主張ができ、いっぱしの評論家にもなれる。気軽に書き込めて、反応も大きい。街頭で演説しても、誰にも見向きもされないことが、ウェブでは反応が返ってくる。文字が軽くなっているとは言わないけれど、軽く扱われる現象が起きていることは否めません。だからこそ、本なんです」
「本ですか?」
「はい。消えないものを作ってみませんか?」
「消えないもの……」
 編集者はヒデトの心に響くような言葉を使ってくる。
「ウェブで見られるものは、一瞬で消えてしまうものも多い。でも、こうして印刷されたものは、いつまでも残ります。インタビューの中で、ヒデトさんが選ばれた言葉はどれもとても丁寧で綺麗でした。だから私は残していけるものだと感じました。ヒデトさん自身が変遷していく中で、今この時に切り取った気持ちを、標しとして残されていきたいと思われませんか?」
 今のヒデトはとても不安定だった。
 どれだけ考えても、自分で答えを出すことを躊躇っている。
 シュウに会えない不安をシュウのせいにして、逃げ出すことで耐えようとしている。
「今すぐお返事をいただこうとは思っておりません。一度ご検討ください。受けていただけるのでしたら、正式に事務所を通して依頼いたします。内容や執筆に関しても、ヒデトさんのサポートは万全に勤めさせていただきますので」
「こういうの、インタビューをして、誰かが書いてくれるんじゃないんですか」
 編集は苦笑いして首を横に振った。
「そういう場合もありますが、私はヒデトさんの言葉選びに惚れて頼んでいるのです。ぜひ、ご自身に書いていただきたいです。大丈夫、ヒデトさんなら、書けますから」
 すっかり持ち上げられて、お返事は急ぎませんからと彼女は帰っていった。
 困ったように大谷を見ると、彼もまた困ったように笑うだけだ。
「断ってもいいんじゃないですか?」
「だよな……。書けるとは思えないし」
 溜め息をついたところに大谷の携帯が鳴った。
 ヒデトの携帯は昨日からずっと電源を切ったままだ。
「ちょっとすみません」
 大谷は表示されたらしい名前に首を傾げ、ヒデトから離れて話し始めた。
 声を潜めているので、内容まではわからない。
 このあとは仕事もないので、普段ならば事務所に戻るところだが、今日はどうしても気持ちが乗らなかった。
 嫌なのだ。社長の泉の顔を見るのが。
 また別の仕事を入れられているようだが、それは大谷へ指示が出されているのだろう。
 もう文句を言うだけの気力はなかった。
 とにかく、働こう。稼ごう。
 せめて赤字だと責められないほどに。
「すみません、お待たせしました」
「社長か? また仕事入れられた?」
 諦めの気持ちで尋ねると、大谷は違いますと否定した。
「じゃあ、誰から?」
「いや……ちょっと……」
 歯切れの悪い大谷に、ヒデトは眉を寄せる。
「何? 私用? 彼女でもできた?」
「ちっ、違いますよっ」
 ちょっとした冗談なのに、真っ赤になって否定される。
「恋人ができないのは俺のせいかなぁ。俺が振り回しているもんなぁ」
 真夜中に呼びつけて、一晩付き添わせて。これが恋人と居た時なら、大谷は絶対に振られる。
「俺より恋人を優先しなくちゃ駄目だぞ」
「そんなことはしません!」
 堂々と宣告されて、笑いながらもどこかほっとするヒデトだった。
 今は大谷だけが頼りなのだ。
「なぁ、しばらくさ、ホテルに泊まってもいいかな。もちろん、費用は自分で出すからさ」
 母親は叫ぶヒデトを見て真っ青になっていた。
 またあんなふうに家族に心配をかけたくない。
 けれどシュウとちゃんと会って話をしない限り、また同じようになってしまうかもと思うと、自分が怖かった。
「わかりました。すぐに手配しますね」
「ありがとう」
 ヒデトを安心させるように、大谷はにっこりと笑った。



>>次のページ…………