Glory −4−
「英人さん……大丈夫ですか?」 倒れこむようにベッドに沈んだヒデトに、大谷が声をかけた。 ヒデトの叫び声を聞いた母親が、驚いて大谷を呼んだ。 大谷はすぐに駆けつけてきて、ヒデトを自分の車で病院へ連れて行った。 ヒデトが復帰してから、かかりつけになっていた医師は、夜中だというのに嫌な顔もせずに、診察をしてくれた。 ただ、身体のどこが悪いというのではなく、精神的な疲れだということで、小さな点滴をされただけだったが。 真夜中に家に帰るのは嫌だといったヒデトに対し、大谷もヒデトが独りになることを心配して、ホテルを取った。 「眠れますか?」 枕に顔を埋めるようにして、ヒデトは目を閉じていた。 大谷は部屋の灯りを落とし、ゆっくり眠れるようにした。 薄暗くなった部屋の中でも、ヒデトは眠れずにいた。 大谷は何も言わなくても、ヒデトの居心地の良いようにしてくれる。 母親が彼を呼ばなければ、自分が呼んでいただろう。 …………助けてくれ、と。 強くあろうと願えば願うほど、弱い自分に気づかされる。 心の中ではシュウに頼り、シュウが遠くに感じられれば、大谷に依存する。 そんな自分が情けなかった。 なぜシュウに嘘をつかれたのだろう。 きっと理由があるのだろうと思いたいのに、二人の物理的な距離がその気持ちを打ち消してしまう。 手を伸ばしても届かない。 声を聞いても遠い。 「俺……何のために……頑張ってるんだろう」 暗闇の中で見失いそうになる。 ひたすらに高みを目指し、それだけを目指して登ってきた。 シュウに会うためにトップを目指し、シュウに喜んでもらうために歌い続けてきた。 そこに自分の意志はあったのだろうか……? 擦れた小さな呟きに、大谷は部屋の隅で立ち尽くした。 ファンのために。そんな綺麗事は今は言いたくなかった。 ヒデトだって、聞きたくないだろう。 シュウのために。その名前を今、口に出すことは躊躇われた。 それが真実なら、ヒデトはこうも迷わなかっただろう。 自分のために。ならば立ち止まるのは自由なはずだ。 「…………歌のため……」 考えたところで答えなど出ないと思っていたのに、慰めも口にできないと思っていたのに、自分の思考とは別のところで、大谷は言葉にしていた。 びくりとヒデトの背中が震えた。 そのまま立ち尽くしていたが、ヒデトはもう何も言わなかった。 大谷は空いていたベッドに座り、夜明けを待った。 翌朝、予定の時間より少し遅れて起こすと、ヒデトはゆっくり起き上がった。 「大丈夫ですか?」 大谷の声は眠れなかったために少し擦れてしまっていた。 「あぁ、行ける」 ヒデトは昨夜の恐慌が嘘のように落ち着いて見えた。 どこか達観しているようにも見える。 今日の仕事も、泉が勝手に入れてしまった雑誌の撮影だ。 まだ少しはヒデトのファン年齢に近い雑誌というのが救いだろうか。 「何時からだっけ?」 「午後三時からです」 スタジオの場所を告げると、ヒデトは小さく頷いた。 「シャワー、浴びてくる」 ベッドから降りて浴室に向かうヒデトの背中に大谷は声をかけた。 「英人さん」 「ん?」 立ち止まるが、ヒデトは振り返らなかった。 「逃げ出しても……いいですよ」 ヒデトは力なく笑った。 「何言ってんだよ」 「言い訳なら何とでも言えます。任せてください」 ヒデトは振り向こうとして止まった。 「お前、慣れてるもんな」 たくさんの仕事を放り出して逃げ出していた。 その度に大谷は謝罪に奔走し、あちこちに頭を下げ回った。 それだけのことをされながら、大谷はヒデトを責めなかった。 ヒデトは歌の仕事だけは逃げなかったからだ。 仕事として受けた以上、そんなわがままが許されるわけはなかったが、大谷もヒデトのファンとして、見たくないスターの姿というのはあるのだ。 だからヒデトを責めるより、そんな仕事を入れる事務所を責めたかった。 エンブロイダリーは歌手のヒデトというスタンスを大切にしてくれると信頼していただけに、今回の方針には納得できなかった。 「ちゃんと謝ってきます。だからここで休んでいてください」 ヒデトは背中を見せたまま、頭を左右に振った。 「シュウに迷惑はかけられない」 「でもっ!」 「たくさん稼いで、今まで使わせた分を返さなきゃな」 どこまで負債があるのかはわからない。 以前にも聞いたことはあるのだが、シュウは借金などないと言い、海棠は気にしなくていいと答えた。 返したからと、辞めるつもりも、移籍するつもりもなかったが、せめてシュウに気持ちの上で対等に、『嘘をつかないでくれ』と言えるだろう。 そのためには逃げ出してはいられないのだ。 「お前にも楽させてやるって、言っただろ?」 無理にも笑って、ヒデトは浴室に消えた。 大谷は泣きそうになって、唇を噛み締めた。 困らされてもいいのだ、ヒデトにはいい歌を歌って欲しい。 自分の願いはファンの願いと同じはずなのだ。 大谷の手の中で携帯が振動で着信を知らせる。 画面に表示された名前を見て、大谷は眉を寄せた。 昨夜、ヒデトの家から電話が入ったすぐ後に、海棠からも電話がきたが、それに出るどころではなかったのでそのままになっていた。 留守番電話に、折り返し電話をするようにとメッセージが入っていたが、やはり電話をかける気持ちになれなかったのだ。 海棠が本当に本社に戻り、エンブロイダリーから手を引くつもりなのなら、それは仕方のないことだと思う。 しかし、それならば、今までの方針をちゃんと引き継いで欲しい。 人が変わって、こうも変わるなど、受け入れ難い。 所属するタレントの人数も増えたが、ヒデトは彼らより先に事務所にいた。 音楽性の違いで、馬鹿にされることなどないはずだ。 言いたいことは山ほどあった。 なによりも……、どうしてこんな状態のヒデトを放り出して、嘘までついて、シュウと二人でニューヨークなどにいるのだと、怒鳴ってしまいそうだ。 携帯はすぐに振動を止めた。 連絡があるのなら、顔を出せばいいと意地悪なことを思う。 すぐに駆けつけてこれないほど、貴方のいる場所は遠い。 シュウにも……そう言ってやりたかった。 >>次のページ………… |