Glory −2−
ヒデトはテーブルに白い紙を広げ、思いつくままに単語を書き連ねていた。 新しい歌を作るために、イメージが広がるように、単語を並べる事がよくある。大谷もそれはわかっているので、邪魔をしないように、スケジュールの確認など、事務的な仕事をしていた。 そんな静かな室内に、突然内線の呼び出し音が鳴った。 「はい、大谷です」 三度目は鳴らさずに大谷が電話を取った。 そのまま声を潜めるようにして話をしている。ヒデトの気を散らさないようにという配慮なのだろう。 けれどヒデトは最初の呼び出し音で、もう思考はすっぱりと途切れていた。 「え、ですが……」 大谷がちらりとヒデトを見たので、ヒデトはペンを置いて、話に参加できるというポーズを見せた。 「わかりました。すぐにうかがいます」 大谷は電話を置き、ヒデトの顔を見て眉尻を下げる。 「どうしたんだよ、情けない顔をして」 「泉社長が英人さんも一緒に来てくださいって……」 社長からヒデトに話があるというのはかなり珍しい。ヒデトに関係することは、たいていの場合、龍が窓口になっているからだ。 「ふーん、なんだろ。まぁ、来いって言われたら、行くしかないよな」 ソファから立ち上がると、うーんと背伸びをした。 ドアをノックすると、中から秘書がドアを開けてくれた。 「失礼します。英人さんをお連れしました」 大谷が入り口を譲ったので、ヒデトから社長室に入った。 もしかしたら龍がいるかもと期待していたが、二人を待っていたのは社長一人だった。 「急で悪いんだが、今月の末、この番組に出てもらうことになったから。確かスケジュールは空いていたよね?」 泉の差し出したメモ用紙を大谷が覗き込んだ。 撮影日と時間、スタジオの名前とともに、番組名も書かれていた。 「これは海棠さんはご存知なんですか?」 大谷がメモを見て険しい顔をする。 温厚な大谷がそんな表情をすることはかなり珍しいので、ヒデトは不思議に感じて、大谷が手にしたメモを見た。 泉が出ろといっている番組は、ヒデトが復帰してからは避けているバラエティー系の番組で、その中でもかなりギャグのきつい番組だった。 ゲストとは名ばかりで、歌はプロモーションビデオの一部を流されるだけで、あとはゲストをこき下ろして笑いをとるという、お粗末な内容である。 この系列ではヒデトは、たいていの場合、嫉妬の対象となるだけだったり、かっこつけてるとばかりに嫌な面をさらすように意図されていたりで、歌手としてのプラス面はないに等しい。 仕事の内容を、歌手としてのヒデトを大切にするという趣旨で、厳選していた龍の意向とは、全く異なる番組である。 「そろそろ海棠部長には本業に戻ってもらいたいのでね。ここの社長は私だよ? 私が選んだ仕事に何か文句でもあるのかな」 泉は三白眼の感情が見えにくい目で、ジロリとヒデトと大谷を見た。 「このような番組は、ヒデトのイメージを下げるだけです。海棠さんの方針とは違いますよね」 大谷はヒデトのこととなると強い。負けるものかと食い下がり始めた。 「今まではね。だから言ってるだろう、海棠さんには海棠製薬に戻ってもらう。ここはエンブロイダリーだ。海棠事務所でもなければ、ヒデトプロでもない」 「それでも、ヒデトをこんな番組には出したくないです。ヒデトは歌手なんですよ」 「選り好みできる立場じゃないだろう!」 なんとかヒデトを守ろうと必死になる大谷に、泉のほうがキレた。 「いったい、いくらヒデトに注ぎ込んでいると思っているんだ。それなのにアレは嫌、コレは嫌。投資ばかり先行して、実益の少ない仕事しかしない。この手の番組はな、拘束時間は少ないわりにギャラはいいんだ。どうしようもない歌手を拾って、復帰させてやったんだ。そろそろ恩返しをしてもいい頃だろう」 毒々しい言葉にヒデトは顔を引きつらせる。 大谷は顔色を失くして、唇を震わせた。 「海棠さんは先行投資には見合ったものを得ていると……」 我を失くしそうな大谷が何かを言う前にと、ヒデトが言い返す。けれど語尾が震えて、迫力は乏しい。 「とんでもない。見合っているなんて話は、今までが慈善事業という意識があったからじゃないか? 全く、あの人たちの感覚も困ったものだよ。タレント事務所として独立したからには、赤字でも仕方ないなんて言ってられないんだ。君にかかる経費が一番大きいんだ。経費がかからなくて、簡単な仕事もしてもらわないとね」 これでも楽な仕事を選んでやっているのだとばかりに、泉は冷たい視線を向けてくる。 「とにかく、一度海棠さんと相談してから返事します」 どうしても龍がこの仕事に頷くとは思えない。大谷は返事を持ち越そうとした。 「海棠部長ならシュウ・カイドウのサポートのために、アメリカに行ったよ。今頃はニューヨークにいるんじゃないかな」 「アメリカ? ……そんなはずは……」 シュウはヨーロッパに行ったはずだ。アメリカにいるなんて筈はない。 しかも龍がシュウのところにいる。そのことを知らなかったヒデトは呆然としながらも聞き返した。 「アメリカだよ。私はここの社長で、シュウ・カイドウはここに所属している音楽家だ。スケジュールは全て把握している」 一昨日の電話で、シュウは移動することや、龍が来ることも言わなかった。 龍からもシュウのところへ行くことすら言ってもらえなかったという事が、ヒデトとシュウのことを認めていない証拠だというように感じられる。 二人が遠くに感じられて、ヒデトは辛くなるばかりだ。 「いいね、この仕事。ちゃんとしてもらうからね」 「でもっ」 反論しかけた大谷を止める。 「わかりました」 「英人さんっ!」 大谷が焦ってヒデトを止めようとするが、ヒデトはもう話が済んだとばかりに、大谷の手からメモを奪い去ると、社長室を後にした。 >>次のページ………… |