順の口から出た本音を聞いてしまい、希一は自分の情けなさに笑い出してしまいそ うだった。
「待てよ、二条」
 やけくそでアスファルトを蹴るように歩いていた希一の腕を、うしろからぐいっと 掴んで引き止める者がいた。
「離せよっ!」
 声で仁だとわかっていた。順が追いかけてきてくれるわけもないこともわかってい る。
 だから遠慮なく掴まれた腕を振り払った。
「どこから聞いたのかわかんねーけど、誤解だって」
 ずんずんと捨てて歩こうと思うのに、仁はついてきた。
「誤解だって?」
 希一は呆れたように笑った。半分は自分に対する笑いで、残りはわざわざついてく る仁に対してだった。
 ついてきてまで、嫌われていることの再認識をさせられたくない。
「本人の口から、怖い、緊張する、苦しいって聞かされたんだぞ。誤解のしようがな いだろ」
 じろりと睨んで小走りに離れようとする。
「だから、その理由をお前が誤解しているんだって」
「理由なんて知りたくないさ!」
 引きとめようとする仁と、振り払おうとする希一は、校門へと続くスロープで揉み 合う形になり、数人の生徒が遠巻きながら興味深そうにちらりちらりと視線をよこし ている。
 希一はそれらの視線など気にする様子もなく、むしろ仁が気にして手を離してくれ ればいいくらいの気持ちで、校門へと向かっていた。もうクラブへ出る気持ちは全く 消えていた。
「聞けよ。理由を聞きに戻れって。お前が聞いてやらないと、順が泣く」
 こっちの方が泣きたいくらいだよと、言いたいが最後のプライドで黙り込む。
 とうとう校門を出るが、カバンを持たない仁は構わずについてくる。
「カバンはどうするんだよ。戻れよ」
「順かミユが持ってきてくれるだろ」
「大切な恋人とその弟をこき使おうってか」
「だったら二条が戻ってくれればいいんだろ」
「嫌だね」
 だったら勝手にしろとばかりに、希一はさらに歩調を速めた。
「順は二条のこと、嫌いだなんて、一度も言ってないだろ?」
「怖いっていうのは同じことだろ」
「違うんだよ。それは全然違う」
 どうして今日に限って自分に構ってくるのだろうと、希一はそちらのことが気になっ た。
「どうでもいいよ。嫌われていることには違いないんだし。もう咲田にも迷惑はかけ ないし、お前の大切な早瀬を苛めたりもしないし」
「だからな、二条」
「だからな、って言いたいのはこっち。咲田だって俺のこと、良くは思ってないんだ ろう? もういいよ。戻れよ」
 イライラしながら立ち止まった。
 本気で泣きたいのはこっちだ。
 失恋以上の失恋なのだ。今はそっとしておいて欲しい。
 敵とはいえ、男ならそんな気持ちをわかってくれてもいいだろう、と言いたい。
「お前さ、順を前にすると緊張しないか? 話をしていると緊張のあまり苦しくなら ないか? ……嫌われたらどうしようって、苦しくならないか?」
「はぁ?」
 何を言い出すつもりだと、仁を睨んだ。
「考えてみろよ。どうなんだ?」
 緊張……、苦しい……、怖さ……。
 それらの言葉を並べてみると、やがて一つの気持ちが浮き上がってくる。
「そんなこと、あるわけない」
 信じられずに呟いた。
「あいつは本当に嫌いな奴に、頑張って話しかけたりしないよ。ひたすら逃げるだけ だ」
「逃げられてたよ、俺も」
「そうか? 本当にあいつ、逃げてたか? 隠れてただけだろ? それも、二条にも わかる程度には、二条のこと見ながら」
「信じられ……ない」
 今の今まで非常に嫌われていたと思い込んでいた。
「それ以上は俺から言うのは違反だと思う。けど、順が言うのを待っていたら、寿命 がきちまいそうだよな。だからさ、ここから先はお前次第ってことにするよ。強引に 告白するもよし、少しずつ友達以上になっていくもよし、離れたまま卒業するもよし」
 そこまでお節介を焼きながら、どうして自然消滅が選択肢に入っているのかと、突っ かかりたくなったが、とりあえずはぐっと収めておく。
「でも、ま、お前らがなんとかしようと思っても、順のことだ。いつの間にか卒業っ てことになるだろうな」
「咲田、やっぱり俺のこと嫌ってるだろ」
「最後まで聞けよ。ちゃんと俺たちが設定してやるよ」
「俺たち?」
「俺とミユ。順を引っ張り出してやる。あとはお前次第」
 仁は世話焼きのわりには意地悪な笑みを浮かべて、希一に週末の予定を聞いたのだっ た。





 仁に「順を引っ張り出してやる」と言われ、希一は半信半疑で待ち合わせの場所に 向かっていた。
 どこへ行くつもりなのかは知らないが、普段着でいいよと言われ、派手目のカット ソーにシンプルなシャツを羽織り、ジーンズをはくという、いつもとあまり変わらぬ 服装で出てきた。
 それはやはり、順は来ないという気持ちの方が大きかったからかもしれない。
 順は希一のことを嫌いなのではなく、その反対の気持ちだと言われた。一晩中その ことを考えていたが、やはりどうしても信じられなかった。
 それはあくまで仁から見た憶測に過ぎず、順の本音としては希一のことがやはり苦 手で、避けたいと思っているのではないだろうかと考えてしまう。
 告白するかしないかは勝手にしろといわれたが、それ以前にどうしても仁の言った ことを信じられなかった。
 待ち合わせの場所へ行けば誰もいず、待ちぼうけを食わされるのではないかという 気さえする。
 希一の方こそすっぽかしたい気分だったが、それでも待ち合わせの場所へ向かって いるのは、もしかして本当に彼らが来ていて、約二名はどうでもいいが、順が待ち続 けるのは可哀想だと思うからだった。
 待ち合わせたのはJRと地下鉄と私鉄が乗り合わせている大きな駅のコンコースだっ た。どこへ行くつもりかは知らないが、人が多くて探すのに苦労する。
 どこに三人がいるのだろうかとキョロキョロしていると、背中から肩を叩かれた。
「よう、早かったな」
 仁が一人で立っていた。希一が不審気な顔をしたからか、仁は顎で順と実優を指し 示す。
「悪い、待たせたんだな」
「いや。二条は遅れてないよ。順を逃がさないようにするために、俺たちが早く来ち まっただけ」
 そう言われて順を見ると、もう条件反射になってしまったように、実優の背中に隠 れようとする。順の方がわずかに背が高いため、完全に隠れることはできなかったが、 隠れようとされただけでもやはりショックだった。
「今日は誤解を解くように言ってあるけど、まぁ、自分から言い出せないだろうから、 水を向けてやってくれよ」
「どうして……」
 夕べから疑問に思っていたことを、出かける前に確かめようと思った。
「なんだ?」
「どうして間をとりもつようなことをするんだ? 彼女にしても、咲田にしても、こ のまま気まずくなったほうがいいって、普通は思うもんじゃないのか? 俺も早瀬も 男なんだし、おかしいって思うだろ?」
 歩き始めていた仁は呆れたように振り返った。その口元には苦笑いさえ浮かんでい る。
「俺はさ、小学校上がるくらいまで、ミユのことを実の姉と思っていたし、順のこと は実の弟と思っていた。それくらい濃い付き合いだった。でも、その頃からミユをお 嫁さんにするって言ってたぜ? 今でもミユのことは半分以上兄弟のような気がして る。それでも恋愛感情を持ってるっていうのも、かなりおかしいことになるな」
 仁が彼女に対しての気持ちを隠さずに話すのはかなり珍しいことなので、希一は少 なからず驚いていた。
「ま、いいんじゃねーの。ミユなんて、生きているうちに恋はするもんだって思って るからさ。それが同性なんていうのは、たいして問題じゃないみたいだな」
 病気、海外療養、休学、弟と同学年という体験をしてきた彼女は、人生観も達観し てる節があるようだ。
「おはよう、二条君。今日はよろしくね」
 にこやかに挨拶し、彼女は自分の腕をきつく掴んでいる弟を、邪魔だとばかりに引 き剥がして、希一へと突き飛ばした。
「み、ミユちゃん!」
「じゃあ行きましょう。今日は思いっきり叫ぶの」
 彼女は楽しそうに笑って、遊園地のチケットを四枚、目の前で扇状に広げた。

 仁から「明日遊園地に行くぞ」と言われた時には、三人で行くものだとばかり思っ ていた。落ち込んだときには、二人はよく順を外に連れ出してくれた。
「いいよ。二人で行ってきてよ」
 今回ばかりはどんなに慰められても、浮上できないように思えた。
 大好きな希一を見ると『緊張する』。自分など何の取り得もない人間だから、話し ていてもつまらなくて、希一が嫌にならないかと思うと『怖い』。
 元々言葉数の少ない順だが、二人と話しているときは何の問題もなかった。単語を 並べただけでも二人は足りない分を補ってわかってくれる。
 まさかそれを希一に聞かれるとは思ってもみなかった。そしてそれを希一が反対の 意味にとってしまうなど、想像できたはずもない。
 せっかく頑張って希一に近づき、少しずつでも話せるようになったのにと、順は酷 く落ち込んだ。とても遊びにいける気分ではない。
 それなのに実優は朝からウキウキと順の服を選び、嫌がる順を家から引きずり出し た。
 その途中で聞かされた。実優はけろりとして言ったのだ。
「あ、今日は二条君も一緒だから」
 叫びにならない声をあげ、逃げ出そうとした順は、その時にはもう仁と実優に両脇 からがっしりと掴まれていた。
「大丈夫。フォローは私達に任せて」
 そう言ったはずの実優とうんうんと頷いた仁だったが、二人は目的の駅に着いた途 端、手を繋いでゲートを潜っていく。
「早瀬、苦手なものとかある?」
「え?」
 泣きたい気分でいたら、話しかけられて戸惑う。
「乗り物。駄目なものとか、乗りたくないものとか」
 先日のことなど気にしていないように語りかけられて、順は体の強張りを解いてい く。
「大丈夫……。ここのは、どれも、一度は乗ったことがあるから」
「よく来るんだ?」
「うん。親戚のおじさんがここに勤めてて、小さい頃からよくチケットを貰ったから」
 実優が既に入園券を持っていたのも、そこから入手したのだろうとわかった。
「じゃあ、案内してもらおうかな」
「え、でも、二人が……」
 仁と実優が先に歩くから後を……と言いかけて、二人の姿のないことに気づいた。
「さっさと行っちゃったよ。俺と二人だと……嫌か?」
 どうか嫌わないで。
 密かな祈りを託して尋ねると、順ははっとしたように希一を見つめて、覚悟を決め たように首を振った。
「嫌じゃ……ない」
 希一はその答えを聞いて、嬉しそうに笑った。





「どれに乗りたい?」
 遊園地のパンフレットを広げて見せながら聞く。まるでデートみたいだ、と希一は ドキドキする。仁と実優は間違いなくデートとしてこれを企んでくれたのではあるが、 順はともかく、希一までもらしくもなく舞い上がっているようだ。
 パンフレットに目を落としたままの順は、背の高い希一から見下ろすと、ほとんど 髪の毛しか見えなくなってしまう。
「どれでも……」
 どれでもOKという積極的なものか、どうでもいいという投げやりなものなのか、 曖昧な順の返事に迷ってしまった。
「じゃあさ、苦手なものとかあるか? 絶叫系も乗れる?」
 この遊園地は絶叫系も充実しているので、希一たちくらいの世代の男子には人気な のである。
「あ……上下するのは……苦手」
 最近は少しずつ喋れるようになっていたが、学校の外で二人きりというのははじめ てである。
 先日のこともあるのか、順の口数はかなり少ない上に、希一も緊張しているために、 いつもより言葉数は少なく、ぎこちなくなってしまう。
「上下ってフリーフォール系はダメってことだよな?」
「うん……、あ、でも、乗れる……」
 希一に遠慮してなのか、希一は慌てて付け加えたようだ。
「お互いに無理しないのがさ、こういうところを楽しむコツじゃんか。だから嫌なも のは嫌って言おうぜ。俺も苦手なものはダメって言うからさ」
 パンフレットをくるっと丸めて、それで手の平を叩きながら歩き始めた。
 園内には軽快な音楽が流れていて、気分も高揚してくる。
 ましてはじめてデートらしきものをしているかと思えば、浮き足立つのも致し方な い。
 仁に仲直りのきっかけを貰っておきながら、希一は純粋に二人で遊ぶことを楽しん でいた。
 午前中は会話もまだ途切れがちだったが、お昼を過ぎたあたりから、ゆっくりとで はあるが、楽しい会話ができるようになっていた。
 希一の話に順も笑ってくれたり、こちらから聞きだすようにしなくても、自分のこ とをポツポツと話してくれるようになって来た。
 そうなるともう、それ以上を望むのは怖くなってくる。
 今までが酷すぎたために、今の「普通」の状態が「一番いい」とさえ思えてくる。
「何時までに帰るとかある?」
 女性ではないのだから、帰宅時間にそれほど気を使わなくてもいいかなと思いなが ら、一応尋ねてみた。もしも順が帰りたいと思っていても、口に出せないでいたら悪 いと思ったこともある。
 本心ではもっと一緒にいたかったが、夕方になるにしたがって、また黙りがちになっ てきた順のことが気になったからだ。
「決めてなかったけど……。三人で出かけたときは……家で夕食を食べることが多い から」
「そっか。じゃあ、あともう一つ乗れるくらいかな。やっぱり、ラストはあれだよな」
 希一は遊園地の真ん中にある観覧車を指差した。順の視線がそれに向かい、口元に 笑みを浮かべて頷いた。
 もう空いている時間だったので、待たずに乗れた。
 向かい合わせに座り、話すきっかけをつかめずに、遠ざかる地面を見つめる。
 ゆっくり下に広がっていく薄暮の町並みは、何故だか寂しい気持ちにさせる。
「怒って……ないの?」
 小さな、囁くような声に、希一は驚いて順を見つめた。
「怒ってるって、俺が? 何に?」
「この前……僕が……」
 順は深く俯いて、膝の上で両手を握り合わせていた。その手が微かに震えている。
「ショックだっただけなんだ。俺こそ、あの時はきついことを言ったよな。ごめん」
 希一が謝ると、順は俯いたまま頭を振る。
「二条君のこと、怖いんじゃ……ないんだ」
 ポツポツと話す言葉はスローだったが、希一は順が話そうとしてくれる気持ちが嬉 しく、根気よく待った。観覧車は希一の気持ちを表わすかのように、とてもゆっくり 回ってくれている。
「僕は……こんなだから、みんなみたいには喋れないし、嫌われるんじゃないかっ て……それが……怖くて……」
 泣いているんじゃないかと心配になる。けれど、ようやく心情を打ち明けてくれて いる順の言葉を遮りたくはなかった。
「二条君は人気者だし……、僕みたいな、暗い奴に話しかけられたら、迷惑だろう な……って」
 観覧車は下降を始めていた。景色を見るどころではなかったが、これが地上に着く までに、話してしまいたかった。箱の扉が開くと、夢の時間が終わって、また避けら れる日が始まるような気さえした。
「俺はさ、入学式の時から、ずっと早瀬のことを見てきた」
 希一の言葉に、順は顔を上げた。その表情はとても驚いていて、今の告白を信じて いないように思えた。
「あの日、転んだ早瀬が顔を上げたときから、早瀬のことばかり考えるようになって た。ずっと避けられていたのは知ってても、少しでも近寄りたかった。二年で一緒の クラスになれて、とても嬉しかったんだ」
 順は希一の言葉を必死で考えているようだった。目と目が合っているのに、逸らさ れることはない。
「一緒のクラスになれても、なかなか話すきっかけがつかめずに、少しでも共通点が 欲しくて、早瀬を委員に推薦したりしたんだ。嫌だっただろう、ごめんな」
「避けていたんじゃ……ないんだ」
 震える唇が打ち明けてくれる。
「僕なんかが見たら、迷惑だろうと思って……。二条君に気づかれないようにって……」
 綺麗な瞳が潤む。
「嫌われたんだと思ってた。早瀬は俺のこと、騒々しくて嫌いなんだろうなって。い つも咲田と一緒にいるし。咲田のことを好きなんだろうなって」
 順はそんなバカなと、首を振って否定する。
「仁は……幼馴染みで……ミユちゃんの……」
「早瀬は? 早瀬はどう思ってる? 咲田のこと、ただの幼馴染み?」
 順はゆっくりと頷いた。それは迷ってのゆっくりさではなく、慎重さを含んだしっ かりした頷き方に見えた。
「じゃあ、俺が言ってもいいかな?」
 今にも涙を零しそうに、順は真っ直ぐに希一を見ていた。
 一つ深呼吸をしてから、希一は口を開いた。
「君が好きなんだ」





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