「早瀬、やってくれないか?」
 指名すると、順は驚きに目を見開いて、教壇に立つ希一を見つめてきた。
 およそ一年ぶりに目が合った。
 一年ぶりに、真正面から順を見ることができた。
「早瀬ならさ、できると思うんだ。俺も……力になるしさ」
 付け加えたように言った言葉こそ、希一の本音だった。
 順が委員になり、何か困ったことがあれば、精一杯手助けするつもりだ。
 このクラスはスタートしてまだ日が浅いが、今までのクラス委員の経験から、一癖も二癖もありそうだという予感がする。
 いい方向に進めば、最高のクラスになると、希一の勘が告げている。
 反面、悪くすれば、気まずいまま一年を忍耐で過ごさなくてはならない。
 だからこそ、いいクラスにしたいと、希一は思っていた。
 そんな遣り甲斐の感じるクラスに、順がいてくれたことが嬉しい。
 もっと近づきたい。
 順が自分に馴染んでくれるのを待っていたら、あっという間に一年は過ぎてしまうだろう。
 だからこそ、多少荒々しい方法ではあるが、接近するための方策を練った。
 真っ直ぐに見つめていると、順の視線が机の上に落ちた。
「でも……」
 幽かな声は戸惑いを含みつつ、断るための口実を探しているようだった。
「早瀬、やれよ。二条が推薦したんならさ、俺たちにも異存はないし。このクラスには二条がいるんだからさ、実際にやる事なんてたいして無いと思うぞ」
 達樹の後押しに「異議なーし」と声が相次ぎ、順は断れなくなってしまったようだった。
「できるだけのフォローはするよ。やってくれるか?」
 ゆっくりと希一に戻ってくる視線。目が合うと、希一はにっこり笑う。
「頼むな?」
 迷うように揺れた瞳は上目遣いにもう一度希一を見て、わずかに逸らされる。
 順が小さく頷くのを見て、教室内に拍手が起こる。
 縮こまるように順は俯いた。
「じゃあ、よろしく頼むよ、早瀬。困ったこととか、わからないことがあったら俺に言って。何でも手伝う」
 ご機嫌で笑う希一だったが、順はもう希一を見ようとはしなかった。
 達樹が「感謝しろよ」というように希一を見てきたが、もちろん希一はそれを無視した。

「早瀬」
 帰る支度を整えて席を立った順に、希一ははやる気持ちを抑えつつ、驚かせないように、優しく声をかけたつもりだった。
 それでも順は身体を固くして立ち止まった。
「これが最初の委員会の日程と場所のプリント」
 担任から渡されたプリントを差し出すと、順は俯いたままそれを受け取った。
「会議室の場所はわかる?」
 もう二年生だからわからないはずはないのに、会話の繋ぎを作るのに必死だった。
 考えてみれば、これが初めてとも言える、順との会話だった。
 入学式の時は希一も意識せずに順と話していた。それ以来、順は希一を避けまくり、挨拶すらできなくなっていたのだから。
 話しかける時には自分でも笑ってしまうくらい緊張していた。
 テストやクラブの試合でもこんなに心拍数が上がることはないくらいに。
 なるべく平静を装い、親しみをこめて話しかけたつもりだった。
 けれど小さく頷く順の顔が上げられることはない。
「一人で大丈夫か? 俺もついていこうか?」
「大丈夫……」
 か細い声がようやく聞こえる。
 大丈夫だと言われると、そこから先の会話が見つからなくなる。
「あのさ、迷惑だったか? 本当はやりたくなかった?」
 頑なに俯いて顔をあげようとしない順を見ていると、今頃になって後悔が押し寄せてくる。自分のしたいことを優先して、順の気持ちを考えずに押しつけてしまった。
「なんならさ……」
「順!」
 他の奴と替わってもらおうかと言いかけた時、教室のドアの向こうから、仁が呼びかけた。隣には実優の姿もあった。
「あ……。あ、じゃあね」
 あからさまにほっとした顔をして、順はドアへと駆け寄っていく。
「何かあったのか?」
 順に心配そうに話しかけながらも、仁の目は希一をじっと睨んでいる。
 まるで自分が順を苛めていたような気分になり、希一はむっとした。
「早瀬、明日からよろしくな」
 かまうものかと希一は意地になった。
 順にクラスメイトとして話しかける権利くらいはあるだろうと、希一は仁を睨み返した。
 順は既に希一の陰に隠れてしまっている。
 どうして自分はあんなにも避けられるのだろう。いつも感じる疑問だが、今日こそは避けられても仕方ないと諦められた。
 実優が何かを順に話しかけて、順は首を横に振っているのが見えた。
 結局、希一の「よろしく」には答えてもらえずに、三人は教室を出て行った。
「あーあー、余計に怖がられる結果になっちまったんじゃねーの?」
 とても楽しげに背中を叩かれる。振り返るまでもなく、達樹だとわかっている。
「うるさいな」
「俺も早瀬に話しかけるときのように、優しく話して欲しいなー、二条く〜ん」
 完全に面白がっている達樹を無言で押しのけて、クラブへと行くべくカバンを肩にかける。
「ちぇっ、せっかく協力してやったのにさ」
 からかう為だけに協力したとしか思えないが、一応言葉だけはありがとうと言っておいた。

「話せるようになったのか?」
 仁に聞かれて、順は弱々しく首を振った。
「ダメ。緊張するから」
 小さく溜め息をつくと、実優が宥めるように腕を組んできた。
「何を頼まれていたの?」
「修学旅行委員。僕がすることになって……」
「委員って……大丈夫なのか?」
 二人に挟まれて、順は首を傾げる。
「大丈夫よ。順は頑張り屋さんだもの。きっと二条君だって、順のいいところをちゃんとわかっているんだわ。それにね」
 実優はにっこり笑う。
「頑張ってやりとげたら、二条君と仲良くなれるわよ、きっと」
 そんなにうまく行くはずがない。と順は思った。そんなに簡単なことじゃない。
 希一はあんなに輝いていて、あんなにみんなに人気があって、順のことなど気にも留めないに違いない。
 それに……希一を意識すると喋れなくなる自分のことなど、イライラしてすぐに見放すに決まっている。
「ダメよ、後ろ向きに考えちゃ。慎重なのはいいことだけれど、踏み止まるのは順の悪い癖よ」
「ミユ、あんまり唆すなよ」
 弟が男を好きだということを驚きもせずに、応援すらしてしまう恋人に、仁は呆れつつ釘を刺す。
「仁は娘を取られちゃう父親の気分? だから二条君を睨むのね」
 クスクス笑う実優に、仁は渋い顔をする。
「人生はね、後悔しないように生きなくちゃ。明日、病気にならないなんて、誰も保証してくれない。いいの? 順は明日から二条君に会えなくなっても、後悔しない?」
 辛い思いをしたからこそいえる実優の重い言葉に、順はしばらく考えて、ゆっくりと首を横に振った。
「なら、頑張らなきゃ。頑張らずに後悔するより、頑張って仕方なかったと思うほうが、諦められるんだから」
「諦めることが前提か?」
 言葉尻をとらえて、仁がからかう。軽く睨んで、実優は順の頬を指でつついた。
「頑張れ」
 順は思いつめたように、こくりと頷いた。




 修学旅行委員会の第一回目の会議は、ほとんど顔合わせとこれからの日程の説明だけで終わったようなものだった。
 特に難しいものではなく、無事に終わることができて、順はほっとした。
 次の日、教室に入ると、先に来ていた希一が順を見つけて近づいてくるのが見えた。
 隠れる場所はない。仁は隣のクラスだし、このクラスでは順を隠してくれるほど親しい人はいない。
「おはよ。昨日、どうだった? 大丈夫だったか?」
 親しげに話しかけられても、順は緊張してしまって、頷くのがやっとだった。
 朝から実優に「朝の挨拶を自分からして、昨日の委員会の報告をするのよ」と言われていたが、とてもできそうになかった。
〈ミユちゃん、無理だよっ〉
 順は心の中で叫ぶ。
 相手が希一でなければ、もう少しは普通に喋れる。
 けれど希一だと思うだけで、もう駄目だった。
 緊張してしまい、身体が固くなり、心臓が飛び跳ねるように早くなる。
 嫌われたくないと思うのに、まともに目を合わせることもできないのだ。
 会話などとんでもない。
「どんなことをしたんだ?」
 挨拶と確認だけでは希一は去ってくれず、順の席から離れない。
「自己紹介と……、これからの予定……。あと、プリントを配るようにって」
「プリント?」
「あ……昼休みに生徒会室に……」
 これも会話というのだろうか。けれど質問に答えるだけでも、順にとってはかなりのエネルギーを必要とした。
「一緒に行こうか?」
 一緒に廊下を歩く……。それは考えただけでもくらくらしそうなシチュエーションだ。真っ直ぐに歩けるとはとても思えなかった。
「あ……、仁が……、咲田が一緒に行ってくれるから」
「咲田に頼んだのか? このクラスのことだからさ、手伝うことがあれば俺に言ってくれよ」
 希一の声に全身系を集中させていたから、その声が少し怒ったのがよくわかってしまった。希一がクラスのことを盛りたてようと頑張っているのはわかっていた。他のクラスの手を借りたことが希一のプライドを傷つけたと、順は思った。
「仁も……修学旅行委員だから……」
 泣き出しそうになって、必死で説明した。
 嫌われたくないのに、怒らせるようなことをしてしまっただろうか。
「隣のクラスの委員って、大崎じゃなかったか?」
「代わったって……」
「そうか」
 最後の台詞が冷たく感じられて、順は冷やりと首を竦めた。
「困ったことがあれば、俺にも相談してくれよな?」
 誰にでも優しい希一は、すぐに気を取り直したように、順にも気遣いの言葉を残して、自分の席へと戻っていった。
 ほうと張り詰めていた息を吐く。
 とてつもなく緊張していて、どすんと椅子にへたり込んでしまう。
〈ミユちゃん、ぜんぜん駄目〉
 こぼれそうになった涙をカバンに顔を伏せることで隠した。

「まず、初日と三日目、最終日はクラス単位行動です。初日、最終日はクラス単位での移動を含め、自由行動もクラスでの移動が基本となります。三日目はクラスで選択した体験学習です。この体験学習については、プリントの中からクラスで一つを選択します。何がいいかを考えておいて下さい。来週のホームルームで決めたいと思います。二日目と四日目は班単位でのオリエンテーションと体験学習です。オリエンテーションは全校行事ですが、行動は班単位です班での体験学習もプリントの中から、何をしたいのか考えておいて下さい。こちらの体験学習は、項目によって自費負担となりますので、予算と内容を合わせて選択するようにしてください……」
 結局、希一が手助けできるようなことは何もないと思い知らされた。
 順は昼休みには迎えに来た仁と一緒にプリントを取りに行き、放課後のホームルームでそれを全員に配り、これからの予定をみんなに伝えた。
 あがり症の順は教壇に立てば、発表もままならないのではないかと思っていたが、声は大きくはないものの、澱みなく聞き取りやすい速さで、説明を終わらせた。
 希一の出番などなかった。
 委員をすることで、順と少しは近づけるかと思っていたが、ライバルは希一の想像以上に強力だったのだ。
「委員を交代してまで引き受けるなんてなぁ……」
 そこまでしなくてもいいじゃないかと思う。
 割り込む余地もない。
 朝から張り切って声をかければ、また怖がらせてしまった。
 仁の名前が出て、つい不機嫌を声に出してしまったのだ。
 それからはどれだけ優しくしようとしても、順は顔を上げようとすらしなかった。
 実は班も一緒にしてしまおうと画策をしている最中だったが、そこまでしてもいいのかと迷い始めていた。
 あまり怖がらせたくない。少しずつ近づければいい。
 そうは思うものの、一年なんてあっという間に過ぎてしまう。三年生でクラスが離れてしまえば、接点すらもなくなってしまうだろう。
 だからやっぱり焦ってしまうのだ。
「希一、帰るぞっ。今日からテスト前で部活はないんだろっ?」
 パンパンと軽快に達樹が背中を叩いた。
「あー、テストかー。面倒だよなぁ」
「よく言うよ。何でもできるくせに」
 希一がぼやくと、達樹が軽く睨む。
「お、早瀬、一人か? 一緒に帰るか?」
 達樹は臆面もなく、順に声をかけた。ドアの向こうにいる順は、ドアの影になっていた希一にはまだ気づいていないらしい。
「友達と待ち合わせしているから」
 ごく普通の会話が聞こえてきて、落ち込みに拍車をかける。
 達樹にならこんなふうに喋るのだと思うと、とても悔しくなってしまう。
「咲田のこと? お姉さんのこと?」
「二人とも」
 希一はドアの陰に隠れたままで、廊下に踏み出せずにいた。
 きっとまた隠れられてしまう。逃げられてしまう。
 達樹と普通に話しているのに、自分を見た途端、身構えられたりしたら、しばらく立ち直れそうにない。
「順、おまたせっ」
 すぐに女生徒の声が聞こえた。姉の実優だろう。
「早瀬さん、皆で一緒に帰りません?」
 達樹、この馬鹿っ! 仁はぐっと拳を握りしめる。
「四人で?」
「いいえー、五人で。おーい、希一、何してんだよー。お前が隠れてどうする」
 達樹が空気も読まずに希一を呼ぶ。
 希一が渋々顔を出した時には、順はもう仁の背中に隠れていた。




 前を歩いているのは、達樹と実優の二人。
 そのうしろを、希一、仁、順の三人で歩く。
 達樹と実優は楽しそうに会話をしている。ほとんど達樹が一方的に、教師達の失敗談を聞かせているに過ぎないのだが、実優は時に声をあげて笑うものだから、達樹は図に乗ってしゃべりまくっている。
 うしろの三人は無言だ。
 希一と順の間には仁がいる。希一の方が少し背が高いので、順を見ようと思えは見られないことはないのだが、ぎゅっと仁のシャツの端を握り締めている順に、何を話しかけるというのだろうか。
 こんなふうになることはわかりきっていたので、希一は教室を出るときに、白々しく部室に忘れ物をしたので先に帰ってくれと言った。
 順がほっとしたのが、仁の影にいてもわかった。
 それなのに、仁の方が「待っててやるよ」と言ったのだ。
 仕方なく、忘れ物は明日でもいいと言って、結局五人で帰っている。
「いいのかよ、早瀬さん、達樹と二人にして」
 達樹は付き合っているといわれている仁を全く無視して、実優と盛り上がっている。希一をからかうためだったというより、実は実優狙いだったのではと疑いたくなってくる。
「いいんじゃないか? ミユは一人でも友達が多いほうがいいんだ」
 ふんと希一は横を向いた。
 だったら、そこの陰に隠れている同級生にも、友達をたくさん作れと言ってやれよ、と思う。
「実は付き合ってないとか?」
 ふふんと仁は余裕の笑みを浮かべる。
 とてもバカらしくなってしまった。
「二条は生徒会に出るのか?」
 夏休み明けに始まる生徒会選挙について、仁が尋ねてきた。
「生徒会? 出ないよ、そんなもの」
「へー。委員長の大好きな二条君なのに?」
 バカにされていると希一は感じた。本来の彼ならば、ここで反対に冷たい一瞥や一言を返すところなのだが、希一はとても気持ち的に疲れていた。
「好きじゃねーよ。自分から立候補したことなんか、一度もない」
 本当のことを言っただけだが、それは傲岸不遜にも受け取られたらしく、仁が口笛を吹く。
「それなのに、他人には押し付けるんだ?」
 順のことをさしているのだとわかって、かっとなった。
 思わず立ち止まってしまう。
 二歩ほどを進んで、仁も立ち止まって振り返った。
 順は相変わらず、仁の背後に隠れてしまっている。
「押し付けたつもりはない。推薦することがそんなに悪いことか?」
 二人のにらみ合いが続く。ついてこない三人に気がついたのか、前を歩いていた達樹と実優が振り返って、驚いている。
「悪くはないさ。その前に本人に推薦してもいいかって、聞くのが筋だと思っただけさ」
 にやりと笑う。その仁のシャツを必死で引っ張っている細い腕。
「ちょっと、やめなさいよ」
 実優が戻ってきて仁をたしなめる。
「喧嘩をしているわけじゃないさ」
「何やってんだよ、そんな怖い顔してたら、また怖がらせるだろ」
 達樹は希一の横に来て、小声でやめるように言う。
 どうせもう怖がっているんだから、今更だと、希一は沸騰した頭で考えていた。
「わかった。推薦は取り消すよ。別の誰かを委員にする。迷惑かけて悪かったな」
 希一は駅までの道程を無視して、学校へと引き返す。
「おい! 希一!」
 達樹が追ってくるが、希一は無視してずんずん歩いた。
「お前なぁ。せっかく一緒に帰れるようにしてやったのに」
「大きなお世話だよ」
 怒った希一は迫力があり、達樹もさすがに口を閉ざす。
 校門が見えたところで、希一は突然立ち止まった。
「何でついて来るんだよ。お前まで戻ることはないだろ」
「放っておけるかよ」
 達樹は呆れたように呟いた。
「どうするんだよ、あんなこと言って。今更変更なんてできないだろ」
「……どうにかするよ」
 希一はここにきて後悔でいっぱいになった。
 どうして仁の挑発になんて乗ってしまったんだろう。
 これでもう決定的に嫌われただろう。
「あとで謝れよ。そんで、委員を続けてくれるように言えばいいじゃないか」
 もちろん、それが一番いい方法だろう。誰だってそう思う。
「顔も合わせてくれない相手に、お前、どうやって謝れって言うんだ? また明日から、姿が見えただけで避けられるんだよ」
 きっと同じ教室の中でも。
「お前、クラスの中で早瀬の盾になってやってくれよ。咲田みたいにさ」
 ふいに弱気になられて、達樹の方が戸惑ってしまう。
 本来なら、もっと自信に溢れて、何事も豪快なほどに突き進んで、あっという間に解決してしまう親友だ。
 それが自信の欠片もなく、腹を立てるでもなく、弱味を見せられて、達樹は困ってしまった。
「しっかりしろよ、二条希一! 名前の中に一も二も持ってんだろ!」
 背中をバンと叩いて気合いを入れてみても、希一は力なく笑うだけだった。

 翌朝、誰に修学旅行委員を頼もうかと思いながら教室に入った希一は、自分の席の後ろで順が立っているのを見て、ドキッとした。
 絶対に向こうから避けると思っていたので、向こうから近づいてこられるとどうしていいのかわからないのが、自分でも滑稽だった。
「心配しなくてもいいよ。誰かに頼むから」
 なるべく怒った声にならないようにと気をつけて喋る。目と目が合わないようにもする。
 相手を怖がらせないようにというより、自分の方が臆病になっていた。順の顔を見るのが怖かったのだ。
「あの……、えっと……」
 身体の前で手を握り締めて、必死で耐えようとしている様子に、希一は悲しくなった。そんなに自分が怖いのだろうか。
 何がそんなに怖いのかと、何度も繰り返してきた問いを、本人にぶつけてみたくなる。
「昨日は悪かったな。怒鳴ったりして。あとで咲田にも謝りに行っとくから」
 ゆっくり話して、鞄を机に置く。
 早く行ってくれないだろうかと思った。間違いなく、希一の方が順を怖がっていた。
「委員、……続けるから。他の人……探さないで欲しいん……だ」
 順の途切れがちな言葉に、希一は驚いて顔を上げた。
 順は俯いていたが、必死で気持ちを伝えようとしているのがわかった。
「いいのか?」
「頑張るから……」
 小さな声だったけれど、苦手な希一の前で踏み止まる姿に、少なからず感動していた。
「良かったよ、早瀬がそう言ってくれて。どうしようかと思ってたんだ。よろしく頼むよ」
 希一が本心を打ち明けると、順はびっくりしたように顔を上げた。
 希一は今までの憂鬱が嘘のようで、嬉しくて笑っていた。
 順と目が合うのも、まだ数えられるほどだが、嬉しくて、真っ直ぐに見つめてしまう。
 すぐに逸らされるだろうと思っていたが、順は顔を真っ赤にして、希一を数秒の間見つめていた。
 無情なチャイムが鳴り響いて、二人ははっと顔をそらせる。
 その向こうに達樹のにやりとした顔を見つけて、希一は渋い顔をした。あまり怖い顔にはならなかっけれど。




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