Hard Shelter



 ちらほらと咲き始めた桜の木が校門の脇で、真新しい制服と緊張に身を包んだ新入生たちを見守っている。都立美古浦高等学校の入学式は、春らしい穏やかな日差しの中で、間もなく始まろうとしていた。
 校舎から体育館へ伸びる歩道の脇に、張り出されているクラス発表の紙を、多くの新入生が真剣な面持ちで見上げている。
 中学時代の学生服とは違うカッターシャツとブレザーという制服に、早瀬順は慣れないネクタイの苦しさに無意識に喉元に手をやった。
 何度も結び直して、ようやく見られる形になったネクタイなので、触りすぎると歪まないだろうかと不安になるものの、どうにも気になって仕方なかった。
 自分の名前を5組に見つけ、同じクラスに幼馴染みの咲田仁の名前もあってほっとする。
 体育館の入り口で5組の案内係から、自分の名前の書かれた封筒と胸につける花を受け取った。
「あの、同じ5組の咲田仁の分を預かっていきたいんです」
「咲田君っていう子は欠席なの?」
 案内係は上級生の女子生徒で、襟元のリボンの色で新3年生だとわかる。優しい笑顔で尋ねられて、順は真っ赤になって頷いた。
「あ、これね。確かに欠席で、咲田君に預けるようにってポストイットが貼ってあったわ。はい、どうぞ。重いけれど大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
 順は仁の分も預かって、しっかりと胸に抱えた。
 周りは保護者連れの生徒が多い中、順は一人で不安を抱えて立っていたが、しっかりしなければと自分に言い聞かせる。
 仁が一緒にいてくれればいいのにと思う気持ちも、ぐっと堪える。
 順の姉が難病といわれる病気に侵されたのがわかったのは、ちょうど一年前の今頃だった。一つ上の実優は去年この門を潜り、ほとんど通うことなく、治療のために休学となった。
 試行錯誤の治療に光明が見えたのは、つい最近のことで、完治を目指して実優と両親が渡米した。順も付き添いたかったのだが、高校入試があったので、一緒に行くことはできなかった。
 無事に合格した順は急いで渡米し、実優の元気な顔を見て、会社をそんなに長く休めないという父親と共に入学式に間に合うように帰国したが、実優の恋人である仁は、入学式一日のために帰国するのは馬鹿らしいと、始業式まで向こうに残ることを選択した。
 なので順は一人ぼっちの入学式となってしまった。
 気弱でいつも実優や仁に助けられ、その保護を当たり前のように受けていた順は、二人に「絶対一人でも平気」と強がって見せたが、せめて父親に今日だけでも休んでと泣きつけばよかったと、既に後悔をしていた。
 涙が出そうになるほど心細かったが、必死で「5組、5組」と唱えながら、体育館に入ろうとした。何かを考えながら行動していなければ、本当に泣いてしまいそうだったのだ。
 しかしそのことで足元が疎かになってしまったのか、体育館の入り口で人波に押されているうちに、何かに躓いてしまい、人込みから押し出されるように転んでしまった。
 咄嗟に思ったことは、制服が汚れてしまう!ということで、両手を必死で地面につこうとしたが、そこは外から入った生徒たちの砂埃が積もっていたのか、手はずるりと滑ってしまった。
 ざわりと周りが騒いだ中、手に持っていた書類も投げ出し、散乱した中で、結局のところ順はべちゃりと転んでしまっていた。
 クスクスと忍び笑う声が聞こえ、順は恥ずかしさと悲しさが溢れ、立ち上がる勇気がもてなかった。本当に涙がこぼれそうになって、もうこのまま消えてしまいたいと感じた。
「大丈夫か?立てないのか?」
 低いがよく通る声が横からかけられた。
 肩をとんとんとかるく叩かれて、順はコクリと頷きながら起き上がろうと手をついて、その痛さに顔を顰めた。
「あーあー、擦りむいちゃったな」
 声の主は順の前に散らばる紙を手際よく拾い集めてくれる。
「そんなところに固まってるから転ぶ奴が出ちまうんだろう。見世物じゃねーよ。人が転んでいるのに笑いやがって。さっさと入ってさっさと並べよ」
 ずいぶん乱暴な物言いだったが、順は見られていることのほうが恥ずかしかったので、それで起き上がれる勇気がついた。
 ギャラリーに背を向けるように立ち上がると、見るも無残に制服は砂まみれになっていた。胸につけてもらったばかりの花も、すっかりひしゃげてしまっていた。
「まだ時間があるから保健室にいって、手当てしてもらおう。その手じゃ書類に血がついてしまう。ほら、行こうぜ」
 順はそこではじめて声の主を見た。
 最初に驚いたことは、彼もまた同じ新入生だったことだ。胸に同じ花をつけている。ネクタイのラインも同じ1年生の色。
 それが順の目の前にあるほど彼の背は高かった。
 幼馴染みの仁よりも高い身長に驚きつつ見上げると、精悍な顔が順を見ていた。
「歩けるか?」
 優しい声と男らしい凛々しい容貌のギャップに、ぽかんと彼を見つめる。
 その新入生は順の制服の埃をパタパタと払ってくれた。
「ほら、行くぞ」
 つい頷いてしまうほど、彼の吸引力は強かった。
 ようやく人込みを掻き分けて騒ぎの元へとやってきた教師に保健室の場所を聞き、順をそこまで連れて行き、保険医に手当てをしてもらう間ずっと順の荷物を持って、また体育館まで付き添ってくれた。
 戻った体育館の入り口で、彼は順の潰れてしまった花を取り去り、自分の花をつけてくれた。
「そんなっ、悪いから」
 慌てて順は返そうとするが、彼は今までとは違う子供っぽい笑顔を向けた。
「その花、つけていたくないんだよ。だから、貰ってくれたら嬉しいし」
 5組の列まで順を連れて行き、彼はじゃあなと手を振って新入生の中へ入っていってしまった。
 その彼の名前を知りたいと思った。一クラスずつ捜さなくてはならないのかと思っていたが、そんな心配は必要なかった。
 新入生の中で、彼はすぐに目立つ存在となっていった。
 ひときわ飛びぬけた身長、誰もがかっこいいと認める容姿、そのわりに人懐っこい優しい性格。バスケット部に入った彼はすぐにも有力な戦力となり、クラスや色んな行事では委員やリーダーとなり、独特の吸引力で学年を率いるようになっていた。
 二条希一。
 名前の中に一と二を持つ男と呼ばれ、何かあれば彼を頼れと言われ、実際に彼にかかれば不可能と思われたことも可能になっていくマジックのような力は、誰をも惹きつけた。
 そんな彼を順は遠くから見つめることしかできなかった。
 授業が始まるのと同時に帰国した仁の影から、希一を見つめるしかできなかった。あまりにも彼が眩しくて。
 どうせ接点のないまま、このまま憧れだけで卒業するのだと、順は諦めの中にいたし、それ以上の接点は欲しくないとすら思っていた。
 あまりにも彼は眩しく、自分とは違う世界の人間のような気がしていたから。
 それなのに変化は否応無しに順に降りかかった。
「うそ……」
 見上げた2年生のクラス分け掲示板。
 自分の名前の少し前に、希一の名前を見つけ、順は呆然と立ち竦んでいた。
「どうしよう……」
「しっかりしろよ」
「そうよ、チャンスじゃない」
 仁と復学した実優に挟まれて励まされても、順は不安に顔を上げることはできなかった。





「なぁ、俺の顔って、怖いと思う?」
 二条希一は大きめの紙袋を机の下に無造作に置くと、うしろを振り返ってクラスメイトの広岡達樹に尋ねた。
 尋ねられた広岡は、希一の置いた紙袋の中身がすべてバレンタインのチョコレートだとわかっている。きっと学年で一番の数を貰いながらの台詞に、広岡は友人の顔を嫌そうに睨んでやった。
「今日のソレで、俺に聞く台詞がソレか?」
 最初のソレで紙袋に視線を送り、あとのソレで希一の顔をじろりと睨む。
「全部義理だよ。一種の祭りだからな。欲しいなら女子がいないところで取って行ってくれよ」
 義理チョコというのはこういうものを言うんだと、希一に自分の貰った本当に義理義理のチョコレートを見せてやりたい気もするが、多分全部を義理にしてしまいたい希一には、何を言っても何を見せても無駄だろう。
「で、誰かに怖い顔って言われたのか?」
 一つだけ心当たりがある広岡は、何気なく言った言葉に希一が顔を顰めるのを見て、多少は胸をすっとさせる。
「また避けられちまったんだよ。っていうか、さっきのはあんまりだよな……」
「何々? どうしたの?」
 つい面白がって聞いてしまう。バレンタインの当日に、モテ男が塞ぎこむのは、親友という立場でも、ちょっとは楽しませてもらいたい。
 廊下を歩いていると、「二条君」と声をかけられて、チョコレートを手渡される。呼びだされて思わせぶりに手渡されるのでなければ、軽い気持ちで受け取ることにしている。ホワイトデイのお返しは昔から、デパ地下の時期限定キャンディーセットと決めているので、それが目当ての子もいるのだろう。
 だんだん数が増えていくと、途中で紙袋まで寄付してもらい、そこに直接放り込んでくる子もいる。
 そうして自分の教室を目指していると、廊下の向こうから小さくて細い影が歩いてくるのが見えた。
 入学式の日、頭だけを見て女の子だと思い、困っているところを助けてはじめて同じ男だと気がついた。それまでは顔しか見てなかったのだ。
 なんだ男かと思いはしたものの、それで放り出す気にはなれず、怪我をした彼を保健室まで連れて行った。
 その時にはもう、男ということはあまり気にならなくなっていた。
 彼のまとう雰囲気や、言葉遣い、仕草の一つ一つが希一を捕らえ始めていた。
 名前だけでも聞こうかと、彼の胸の潰れた花を奪い、自分の花と取り替えた。その時に驚いたように希一を見上げてきた瞳に、完全に落ちてしまったのだ。
 欲しい。どくっと心臓が高鳴ったのを今でも覚えている。
 彼のクラスの列まで連れて行くと、担任が彼を早瀬と呼んだので、彼の名前は覚えた。
 早瀬順。
 すぐにも友達として近づこうと思っていた希一だが、新学期が始まってすぐに、それは非常に難しいと感じざるを得なかった。
 入学式の時には見かけなかった男が、いつも、二十四時間体制かと疑うほど常に、順の側にいた。
 それでも負けないぞとばかりに順に声をかけようとするのだが、順は何故か希一を見かけると、いつも側にいる男、咲田仁の腕を掴み、その背中に隠れ、希一のことを見ないようにする。
 今日も同じだった。もう慣れてしまったつもりでも、順にあからさまに避けられると、精神的に大きく落ち込む。
 別に順からチョコレートを貰えるとは思ってもいなかったが、今日くらいは、ちょっと顔を見せてくれるかもと淡い期待を抱いていたのだ。
 擦れ違い間際、なるべく順を驚かせないように歩いたつもりだったが、順はしっかりと仁の腕を掴み、希一には旋毛しか見せてくれなかった。
 その時、クスッと仁に笑われたような気がしたのだが、それがさらに希一を落ち込ませた。
 顔だけで言うのなら、自分だって、仁だって、同じようなタイプではないのかと思っているというのに。
「俺、何もしてないと思うんだよなぁ」
 入学式の日には感謝されたはずだ。けれど、その後からすぐに避けられている。とすれば、やはり入学式の出来事しかないのだが、思い当たることがないのだから、謝りようもない。
 きっと謝らせてもくれない気がするが……。
「そんなに怖い顔かなぁ。目つきがきつすぎるとかある?」
「だから、何で自分よりもてる男の顔の悩みを聞かなきゃなんないんだよ。二条君は学校一モテル君です。校内ランキングでも一位だったじゃないか。全然怖くないよー。かっこいい、ハイハイ」
 希一が真剣に悩んでいると知っていても、あまりに馬鹿らしいので、適当に流してしまう。
 だって、それは誰の目から見ても明らかなのだ。希一が気にしているあの子は、希一を意識しすぎて、顔を上げられないのだ。
 今時、女の子でもそんな内気な子はいない。希一に告白するような子は、自分に自信が多少なりともある子ばかりなので、その内気さの行動が希一には理解できないのだ。
 けれどそれを教えてやるつもりはない。
 何しろ相手は男だし、希一も男だし。うまくいくとはとても思えなかった。
 それに希一が気にしている咲田仁の存在もある。いつも、それこそ常に、順と仁が一緒にいるので、二人ができているという噂もあり、それを仁も否定しないので、確実と言われているのだ。
 希一もその噂を知ってはいるが、気持ちの奥で否定したいのだろう。信じないでいようとしている風だ。
 広岡から見れば、順は希一を好きなようだが、あの晩生がそれをどのように理解しているのか、かなり疑わしい。ただの憧れだというのなら、いずれ希一が傷つくような気がする。それに仁も黙って見過ごしはしないだろう。
 あきらかに仁は希一を敵対視しているとしか思えないのだ。
「もっとこう、砕けた雰囲気の方がいいかな? 髪も伸ばしてみようかな?」
 希一らしくない可愛い悩みが聞こえてきて、広岡は堪えきれずに吹き出してしまった。
 じろりと睨まれたので、「おー、こわー」と言ってやると、希一はむっと唇を尖らせた。だから広岡はまた笑ってしまったのだった。

 そして学年は変わる。
 希一は何も期待はしてなかったが、クラス発表の紙に並ぶ名前を見て、自然と唇が緩む。
 二条希一と早瀬順。その間には三人ばかりがいるだけだ。
 早瀬順の次に広岡達樹の名前もあるが、全く気にならなかった。
 そして、咲田仁の名前はクラスの中にない。
 つまり、クラスの中で順の隠れる場所はないのだ。
 ふと気になって辺りを見回した。順はこのクラス替えをどのように感じているだろう。
 少し離れた人だかりの中に、希一にとっては見慣れた頭があった。今日も隣には仁の姿がある。
 順は俯き、仁がその肩をぽんぽんと叩いている。きっとクラスが離れてしまって不安がっている順を励ましているのだろう。
 その順の頭を撫でる細い白いがあった。女性らしい優しい手つきに、希一は眉を寄せてその手の持ち主を見た。
 いかにも親しげに順の頭を撫でて、優しそうに微笑んでいる女子生徒は、その周りの男子生徒の視線を釘付けにしている。
 自分でも気づかぬうちに三人をきつい視線で見つめていたらしい。
 ふと順が顔を上げてこちらを見た。
 希一に気がついて、泣き出しそうな目で、何故だか仁ではなく、女子生徒の影に隠れた。
 仁がその様子に気づいて希一を見た。
 ニヤリと唇が歪んだように見えて、希一は悔しさにぎりりと歯軋りをして、くるりと背中を向けた。




「じゃあ、クラス委員は二条でいいな?」
 クラス委員に立候補はなく、推薦を募ったところ、当然のように希一の名前が出され、担任もあっさりとそれを認めてしまった。
 希一へ「やってくれるか?」と聞きもしなかった。
 断るつもりはなかったが、せめて聞いて欲しいと思う。
 それでもクラス全員の拍手があれば、「はーい」と立ち上がるしかない。
「よろしくー」
 たいしてやる気のない調子で手を上げると、小さな笑い声が起こる。
 クラス全体を見回すふりをして、斜め後ろをちらりと見る。
 途端に伏せられる視線。
 それまで拍手していてくれたのが嘘のように、手は下げられ、膝の上でぎゅっと固く握られている。
 何もしねーよと、心の中に情けない気持ちを押し隠し、愛想笑いで席についた。
 結局、同じクラスになったからと言って、何も変わるはずもなかった。
 順とは相変わらず、目が合うこともない。
 今のようにさっと顔を伏せられるので、同じクラスになったというのに、最近ではまともに顔を見たこともない。
 進展があるどころか、むしろ後退していると言ってもいいだろう。
 名前が近いのに、授業でグループわけをすると、天は順の見方をしているのかと思うほどに、ことごとく二人の間で線は引かれ、接点はないままだった。
 それならば体育の時間だと張り切っていたら、隣のクラスとの合同の授業は、仁と同じクラスで、順はさっと彼の側に行って、その姿を隠してしまう。
 仁がまた順を希一から庇うように立つのも気に入らなかった。
「なぁ、知ってる? 隣のクラスの早瀬実優ちゃん、早瀬順のお姉ちゃんなんだってさ」
「知ってるよ。有名だからな」
 達樹の情報に希一は頷いた。
 始業式の日、順の頭を撫でていた優しい手。
 彼女が順の姉だと知るのに時間はかからなかった。
 本当なら一つ年上の彼女は、一年生の時に難病に罹り、長い治療の末、昨年、アメリカで根治をかけた手術を受けたらしい。
 この学校は休校という扱いになっていたが、アメリカでの院内学級と、帰国してからの補講とで、一年生の単位を取ったと認められ、今年からは弟と一緒の二学年に進級した。
 あまり登校していなかった彼女だが、その美しさは、登校できないがために姿を見られないことと、病と闘うという懸命さに、今の三年生の間では、伝説的な美少女扱いになっていた。
 希一も昨年からその話は知っていたが、まさかその美少女が順の姉だとは思わなかった。
「だったらさ、これも知ってる? 咲田仁と実優ちゃんが恋人同士」
「はぁ?」
 今では健康を取り戻した彼女だが、その美しさは嘘ではなかったと、男子生徒の間ではヒートアップの様相を見せていた。
 けれどそれが表立って大きな動きを見せないのは、やはり彼女が病み上がりだという遠慮と、彼女の側に立つ男の存在が大きいのだろう。
 姫を守る騎士よろしく、仁がいつも彼女と一緒にいる。
 そう、仁は今までは順の側にいたように、今度は実優と一緒にいる。
 順一人がクラスが離れてしまったので仕方ないのかもしれないが、順が一人でぽつんとしていると、希一は気になって仕方なくなってしまう。自分が近くに行ければいいのだが、それが無理なのは、もう身に染みて知っている。
 授業以外では順も加わって、よく三人でいるのだが、順はあまり喋らないので、そのように見えるのだろうか?
 だからそんな噂になるのだろうか?
 希一は順と仁が幼馴染みだということは知っていた。
 あまりにいつも一緒にいるので、二人にあやしい噂が流れたこともあったが、二人と同じ中学出身の生徒が、笑いながら「有り得ない」と否定したのを聞いた。
 ならば実優との付き合いも、幼馴染みの範囲なのではないだろうか。順を守っていたように、実優を守っているだけなのではないか。
「咲田に本当かって確かめに行った奴が居てさ、否定しなかったって。むしろ肯定したような言い方だったらしいぞ」
「どんなふうに?」
 そこまで知っているのなら、その答えも聞いているのだろうと、達樹に詰め寄った。
「『付き合ってるって本当か?』『だったらなんだ』ってさ」
 確かに否定はしていないし、肯定に取れる言葉だ。
 そうだとしたら、順はますます三人で居ると、肩身が狭くなるのではないだろうか。
 校内を駆け巡る噂よりも、たった一人のことが気にかかる。
「お前、まさか実優ちゃん狙いじゃないよな?」
 あまりに馬鹿らしい質問に、希一はじろりと睨むことで答えの代わりにした。
「おー、こわー」
 たいして怖がる様子もなく、むしろ面白がるように、達樹は肩を竦めておどけて見せる。
「二条希一が誰にもなびかなかったのは、実は美古浦の秘宝を狙っていたんじゃないかって言われてるぞ」
 隠された宝物なら、確かにひっそりと狙っている。
 自分にだけは届きそうもないのだが。
「ま、言いたい奴には言わせとく……のはダメだな」
 同級生はもう希一に告白してきたりはしなかったが、下級生に含みのある視線を送られることはあった。
 まだ呼び出されたり、手紙を貰ったりまではいかないが、今までの経験上、一学期の終わりごろが一番その手の面倒が起こる。
 夏休みを楽しく過ごしたいという理由からか、アプローチが多くなるので、要注意期間なのだ。
 一瞬、その噂があれば、そういう面倒がなくなってラッキーと思いかけた。
 が、一番信じて欲しくない人は、彼女に近すぎる。
「違うぞって言っといてくれよ。聞かれもしないのに否定はできない」
 嫌そうに顔を顰めた希一に、達樹は急に真顔になる。
「なんだよ」
 薄気味悪くなって問い返すと、達樹はまた心配そうに表情を変える。
「お前、本当は本気なんだ?」
「なんだ、それ」
 意味がわからないふりをして、希一は達樹から離れた。
 残念ながら体育の授業でもグループが別れてしまった順は、ちょうどバスケットのコートから出てきたところだった。
 入れ替わりに希一がコートに入る。
 対戦チームに仁の姿を認め、俄然やる気を起こした。

「二条、これ、頼むわ」
 昼休み、職員室の前を通りかかったら、担任がピラピラと一枚のプリントを振っている。
 バスケットの試合は接戦の末、希一のチームが勝利を収めたが、個人的な得点を比べれば、僅かに1ゴール、仁に負けてしまった。
 それが悔しくて、ずんずんと廊下を歩いていたので、声をかけられたときは既に行き過ぎていた。
 仕方なく後戻りをして、プリントを受け取ると、それはクラスで一名、修学旅行委員を決めてくれという、生徒会からの依頼だった。
「これって担任の先生へのお願いですよね」
 修学旅行委員を決めて、その生徒に最初の委員会の日程と場所を伝えてくれというふうに書かれている。
「いやぁ、二条君がクラス委員だと面倒がなくていいわ。よろしくな」
 これで授業が下手なら、教育委員会に文句の一つも言ってやるところだが、授業だけは公立の教師にしておくのはもったいないくらいに上手なのだ。
 クラス運営にはかなり手抜きをしているが、実はトラブルがあったときは頼りになることは知っているので、クレームは引っ込めることにする。
 ピラピラとその用紙を手に教室に戻りながら、希一はふと思いついて足を止める。
 その思いつきがとても素晴らしいアイディアのように思えて、希一は自然と笑みを浮かべる。
「よし!」
 小さくガッツポーズを取り、教室へと階段を駆け上った希一は、そばで見ていた生徒たちが、希一の笑いを不気味がって引いていたことなど知るよしもなかった。
 放課後のホームルームまでに、希一は修学旅行委員に立候補しそうな相手に、出るなと頼んで回った。
 修学旅行委員は、飛行機の席や、ホテルの部屋割りで、有利に決められることがあるので、なりたいと思う生徒がいる。
 仕事自体はハードなのだが、イベントが好きな生徒には魅力的な委員でもある。
 しかし、立候補しようとしていた生徒たちも、希一の頼みはこち割り切ることができず、準備を万端に整えて、希一はホームルームに臨んだ。
「……というわけで、修学旅行委員を一人決めないといけないんだが、立候補者はいるか?」
 教壇に立つ希一は、ぐるりと教室を見回した。
 立候補を抑えた生徒が苦笑いしているのは無視して、希一は一人の生徒に目を止めた。
 途端に顔が伏せられる。
 希一は高鳴る胸を押さえつつ、一呼吸してから、口を開いた。
「早瀬、やってくれないか?」
 はっと顔が上げられた。
 驚きに見開かれた目は、希一を見ていた。
 一年ぶりに目が合って、希一は感動に胸を震わせた。




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