珍しく田舎から秋良の両親が出てきて、洋也の両親も呼んで、洋也が心づくしの料理でもてなしてくれた。
「突然どうしたの」
 最初秋良は、上京してきた両親に不思議そうにしていたが、『息子の顔を見に来ては悪いのか』と父親に言われ、苦笑しながらも『東京見物もしたい』という言葉を素直に信じた。
 日曜日、親子三人で出かけた。三人で出かけるのは、秋良が一人暮らしのため上京してきて以来で、秋良は両親が少し老けたように感じられて、小さな不安を感じた。
 思えばずっと親不孝を繰り返してきたように思う。
 自宅から通える所にと言われたのに、大学はこちらに出てきてしまった。
 大学に通っている間も、あまり帰省しなかった。就職は戻って来いと言われたのに、これもまたこちらで決めてしまった。
 胃を悪くしたり、一度帰ると言ったり、母親を振り回してきた。
 挙句に、好きな人は男である……。
 よくも認めてくれたと思う。今では洋也や彼の両親とも一緒に食事をしていても、本当に和気藹々としていて、秋良が申し訳ないと思う気持ちを感じさせないほどにしてくれる。
 けれど……。
「あら、かわいい。ほら。順子ちゃんのお土産にどうかしら」
 母親がウインドウに飾られた、ベビー服を見ては楽しそうに指差す。そんな何気ない事一つでも、胸に小さな棘が刺さったように感じる。
「あ、じゃあ、僕が買うよ」
 秋良が買おうとすると、母親はいいわよと言って、自分で嬉々として買い求めている。
「お前が気にすることじゃない」
 店員に包んでもらっている母親を見ていると、父親が話しかけてきた。
「え?」
「世の中には、子供を持たない夫婦がたくさんいる」
 正直なところ、秋良は父親がこんな風に理解を示してくれるとは思ってもみなかった。
 母親が渋々ながら認め、それで反対できなくなっていただけだと思っていた。元々が無口な人である。反対を表明しないだけだと思っていた。
 今までにも、田舎に洋也を連れて行ったり、秋良たちのところへ来てもらった事もあったが、何も言わなかった。何も言わないことが、反対であるという意思表示なのだと思っていた。
「父さん……」
 秋良の驚きも意に介さないように、父親は静かに買い物を済ませる自分の妻を待っている。
「お前には、毎年四十人の子供がいるようなものだな」
「それ、洋也も同じこと言うよ」
 秋良が笑うと、父親はふっと口元を緩めた。
「あの人の方が子供みたいなところがあると思っていたが、そうでもないんだな」
「ええっ、なに、それ。そんなふうに思ってたの?」
「どうしたの? 二人で楽しいお話?」
 母親が買い物袋を手に戻ってきた。
 何でもないと父親が出口へと急いだので、二人は慌てて後を追った。
「なんだったの?」
「んー、内緒」
 秋良はなんだか楽しくなって笑った。
「やーね、男同士は。日名子と一緒に来れば良かったわー」
 怒ったふりをしながらも、母親は楽しそうだった。
 三人で昼食をとったあと、二人は電車で帰っていった。
 一人ホームに残ると、急に寂しさを感じる。
 両親を残して出てきたのは自分なのに、自分が取り残されたような寂しさだった。
「…………迎えに来てもらおう」
 久しぶりに三人でどうぞと勧めた洋也が、急に憎らしくなった。
 携帯で電話して駅の名前を告げると、すぐに行くよと言って貰えたが、その言葉が震えていたように感じた。
「笑うことないじゃないか」
 むっとする。
「今夜は……外で食べたい」
 そんな時頭に浮かぶのは、洋也の嫌いなメニューばかりで。
 駅前で車を待ちながら、秋良は笑い出しそうになるのを堪えるのに苦労した。
 
 
 ごく普通に日常は戻ってきた。
 学校と家を往復する毎日は、秋良にとって楽しい日常だった。
 毎日が忙しく、慌しい中でも充実していて、どれだけ疲れていても、それを休ませてくれる温かい腕があり。それが秋良にとっての、日常だった。
 そんなある日、秋良は近くの学校へと研修授業に出かけた。
 そこは秋良の親友である鳥羽の勤める小学校で、秋良は見学者の一人として招かれていた。
 鳥羽の授業を久しぶりに見て、学校の会議室での意見交換会のあと、二人で揃って学校を出た。
「お前、遠慮なく色々言ってくれたよなー」
 鳥羽が秋良の肩に腕を乗せる。
「何も言わなかったら怒るくせに」
「当たり前だ」
 秋良と鳥羽では、授業の進め方は対称的であった。
 子供の発言重視の秋良に、教師側からのアプローチ中心の鳥羽。まったく合い入れないように見えて、お互いのやり方に一目置いている。
 それを見ることによって刺激を受けるのも事実だ。
「今度はお前の授業、見たいな」
「うちの担当は二年後だけど」
 研修授業は各校でその年ごとに割り振られていて、さあやりますよというわけにはいかない。そして、やりたいという教師もまた少ない。
「しょっちゅうやりゃいいんだよ。かったるいこと言ってないでさ」
 鳥羽の言葉に、秋良は口が悪いなぁと笑いながらも頷く。
 形式だけの研修なら必要ない。もっと子供達のために。その思いはいつも、じりじりと秋良に焦りのようなものを生む。
 二人でああでもない、こうでもないと歩いていると、道路からクラクションを鳴らされた。
 最初、それが自分たちに向けての事とはわからずに、気にせずに歩いていたのだが、クラクションとともに「安藤さん!」と呼びかけられて、秋良は立ち止まって振り向いた。
「こんにちは、安藤さん」
 秋良が振り返ってほっとしたように微笑んで、その人は車を下りてきた。
「え……ぇっと」
 既に暗くなり始めていて、秋良はそれが誰なのかわからなかった。
「僕です。県立病院の真崎です」
「あ……」
「知ってる奴か? 秋良」
 鳥羽が秋良の横に立ち、薫をじっと見つめた。
「うん、病院の先生だよ。この前、診てもらったんだ。こんにちは」
 秋良は軽く頭を下げたが、顔は不安そうに影を帯びている。
「安藤さん、どうされたんですか? 約束の日に来られなかったので、心配していたんです」
「あんた、本当に医者か?」
 秋良の様子に不審なものを感じた鳥羽が、薫に確かめる。
「はい。僕は安藤さんの担当になった真崎と言います。笠原先生からも、安藤さんを気にかけるようにと頼まれているんです」
 薫は鳥羽に名刺を渡した。そこには確かに、病院名と彼の名前が印刷されている。
「僕はもう行かなくても良かったんじゃ?」
「いいえ、三池さんには必ず次の週に来て下さるように伝えてくださいと頼んだのですよ。お聞きじゃなかったですか?」
 秋良は困ったように鳥羽を見た。
「洋也さんに聞いた方がいいんじゃねーのか?」
 鳥羽が勧めるのに、秋良は曖昧に頷く。本人の前でそれをするのは気が引けた。
「じゃあ、……来週に覗います」
 帰って洋也に確かめればいい。この医者とどんな話をしたのか。秋良はただ単に、もう行かなくて良いといわれただけで、笠原教授が出張から帰るまで待っていればいいのだと思っていた。
「そうだ。これから病院へ行きませんか? これから病院へ帰るところだったんです。安藤さんが来られないものだから、血液検査と、胃カメラの予約が取れなくて困ってたんです。一時間もかからずにすみますから、行きましょう。終わったら家まで送りますから」
「え、今から?」
 突然の申し出に秋良は困った。
 洋也には鳥羽と会うので遅くなるかもとは言っていたが、病院に行くのはあまりにも予定外の事で、どうすれば良いのか迷ってしまう。
「もう診察時間外ですよね」
「はい。ですがさっきも言いましたように、安藤さんのカルテが検査の前で止まっているんです。ですから診察時間外でも、血液検査と次の予約を取っていただければ助かるんです。すぐに済みますよ。お二人で予定がおありでしたら、お友達にも付き合って頂いて、そこからどこかへお送りするのでも構いませんよ」
「じゃあ、血液検査と予約だけ……」
 自分の事で困っていると言われ、秋良は一緒に行くことを決めた。
「おい、秋良」
「ごめん、鳥羽。また今度でいいかな。血を取ったら飲みに行くの嫌だし」
「いいのかよ、洋也さんに言わなくて」
 鳥羽が心配すると、秋良は可笑しそうに笑った。
「だって、僕の担当の先生なんだよ。洋也も知っている人だし、僕も子供じゃないんだから」
「でもよ……」
 いいからと言って、秋良は薫の車に乗りこんだ。
 助手席から笑顔で手を振る秋良を、鳥羽は不満そうに見送った。
 車はスムーズに走り出して、鳥羽の視界からあっという間に消えた。
 
 

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