仕様説明書と現在使っているシステムを受け取って応接室を出た。
「先生、ちょうどお昼ですが、この後のご予定は何か入っておられますか? 宜しければ、ご一緒にいかがでしょう」
 エレベーターまで送ってくれればそれでよかったのだが、百合子は一緒にエレベーターに乗り込んできた。
「家で猫が待っておりますので」
 洋也としては素っ気無く断ったつもりだったのだが、彼女はどうやら楽しい冗談だと受け取ってしまったようだった。
「猫を飼っておられるんですか? 種類はなんですか? 先生だとアビシニアンというイメージがありますわ」
 所詮はお嬢様だとわかる発言だった。
「雑種だと思いますよ」
 うんざり気味に答えると、ちょうどエレベーターが1階へ到着する。
「ここで結構です。それでは」
 洋也はさっさとエレベーターを出ると、あとはもう振り返りもせずにビルの出口を目指した。
 ミルクのことは昼食を断る口実だったが、ゆっくりする時間が惜しかった。秋良の誕生日までに仕事を仕上げてしまいたい。
 洋也の今までのスタイルで仕事を運べば、途中で一度、技術者と打ち合わせてテストをし、問題がなければ完成品を納入すればいいだけである。
 だが、今回は間に彼女が入ることになってしまった。
 直接技術者と話をしたいと思うのだが、それにはある程度、プログラムができないことには、話を持っていけない雰囲気になってしまった。
 いつもとは違う流れに、早くもイライラしてしまいそうになるが、心の中で何度も何度も『Pシステム』と呟いた。


 秋良がじゃれつくミルクを苦労してなだめながら、カーペットクリーナーを動かす姿を見ながら、洋也は食器の後片付けをする。
「あ、僕がこの後でするよ。洋也は仕事があるんだろう?」
 優しい気遣いに洋也はにっこりと笑い、そこまで切羽詰ってはいないよと食器を次々に洗っていく。
「本当に大丈夫?」
 洗った食器を拭いて食器棚に戻しながら、秋良は心配そうに尋ねる。
「大丈夫。はじめて仕事を受ける会社だから、ちょっとこちらのペースに慣れてくれてなくてイライラするけれど、仕事自体はわりと簡単にできそうだよ。他のも調整がつきそうだから、秋良の冬休みに合わせて休暇は絶対に取る」
 洋也の断言する口調に、秋良はクスクス笑う。
「もう、本当に子供みたい。休みだけは何があっても休む、って」
 楽しそうな指摘に、洋也も苦笑する。休みを取りたいという目的は不埒だが、そのやり方はかなり子供っぽいという自覚はあった。
「秋良の休みは一緒にのんびりしたいんだよ」
「いっそ、教師になる?」
「それもいいな」
 もちろん冗談だとわかっている答えだけれど、洋也の即答に秋良は楽しくて仕方ないというように笑う。
 秋良の笑顔に、どんな疲れも吹き飛んでいくように感じる。
 全てを流し終えるとタオルで手を拭いて、食器を収めきった秋良を後ろから抱きしめた。
「うわっ……、もう、危ないなー」
 突然後ろから抱きしめられて、秋良は布巾を落としてしまう。
「秋良……」
 熱い囁きとうなじへの優しいキス。
「ベッドへ行こう」
 甘い誘いに、秋良はぎゅっと目を閉じる。
「だって、まだ、お風呂に入ってないし」
「一緒に入ろう」
「……ダメ」
 キッチンの隅で抱き合って囁きあう。そんな二人を尻目に、ミルクはソファで大きなあくびをする。
「じゃあ、先に入る?」
「絶対に入ってこない?」
「約束するよ」
 耳の後ろの柔らかな肌を吸い、秋良が恥ずかしさに赤くなるのを楽しんでから、洋也は惜しむように手を離した。


 洋也が手早くシャワーを浴びて戻ると、秋良はベッドに腹ばいになって、雑誌を読んでいた。
 秋良が定期購読している児童向けの科学雑誌で、紙面にはカラーで色んな葉の葉脈が映っている。同じようでいて、一つ一つ違う模様に秋良は見入っている。
「飽きないなぁ」
 洋也はクスッと笑って、うつ伏せになっている秋良の身体の上に、体重をかけないように覆い被さった。
 うしろからうなじへとキスを落としながら、秋良の手から自分にとって邪魔な雑誌を取り上げて、サイドテーブルへと移す。
 伸ばした手をそのまま横にずらし、リモコンで室内の明かりを一番小さくする。明るいままも捨てがたいが、それでは秋良が最後まで拒否し続けるだろうと予想できる。それではやはり楽しくない。
「今日はそこが好きだね」
 雑誌を取り上げられても秋良はさして怒りもせずに、くすぐったかったのか、首を竦めてクスクスと笑う。
 着ていたバスローブの衿を下へずらし、現われた背中へとキスを移していく。
 夏の間に少し焼けた肌は、もう既に元の白さを取り戻している。
 石鹸の清潔な匂いと、秋良自身の甘い香りが混じり、洋也の気持ちをさらに昂ぶらせていく。
 背中へ幾度もキスを落としながら、脇から腕を回し、バスローブの合わせ目から手を差し入れ、望む実を探す。
「んっ……」
 小さな飾りの在り処を教えたのは、秋良の堪えるような小さな声だった。
 指先の突起を洋也は円を描くようにゆっくりと撫でる。
「っや……」
 零れるあえやかな声に洋也は気を良くして、細い肩へ軽く歯を立てる。
 秋良は枕を掴んで、唇を噛むように声を堪え、つま先がシーツを蹴って、意地悪な指先から逃れようとしている。
「もう嫌?」
 嫌と言われても止める気などないのに、声だけは優しく問いかける。
 秋良はぎゅっと目を閉じて、小さく何度も頷いた。
 わざとゆっくり手を滑らせて、望みを叶えるように指を外す。ほっと安堵したような声が漏れる。
 その安心を裏切るように、洋也は手を下へと滑らせる。
 けれどその邪な手は秋良の腹部から先へは進めなくなる。
 無理にも進めないことはないが、ちょっとした意地悪をしたくなる。
「秋良、腰を上げて」
 息を吹き込むように囁く。
 秋良は肩まで赤くして、枕を握り締めるようにして首を横に振った。艶やかな髪がサラサラと揺れる。
 もっととろとろに解かしてからというのもいいが、羞恥に染まる秋良も可愛い。
「秋良」
 頑張れと励ますように声をかけるが、秋良は枕に顔を押し付けたまま、身体を硬くする。
 洋也は再びうなじへキスをしながら、秋良の背中、腕をゆっくり撫でる。枕を握りしめた手を上から包むようにして、力を抜くようにと指先を絡める。
「秋良、……愛してる」
 耳朶を甘噛みし、熱い息で囁く。
「ん……」
 秋良は枕から手を離し、洋也の手を握りしめた。
「…………」
「……何?」
 枕に顔を押しつけたまま何かを言った秋良に、洋也は聞き取れずに頬を寄せる。
「……ぃゃだ……」
「秋良?」
 洋也は身体をずらして秋良を横から抱きこんだ。
 無理に抱きたくはない。愛し合うなら、秋良にも喜んで欲しい。
 秋良はようやく枕から顔を上げて、洋也に抱きついてきた。
「嫌だった?」
 寝室へくるまでは拒絶するような素振りは見えなかっただけに、洋也もわけがわからずに戸惑っていた。
「嫌じゃない……ただ……」
 言い迷う秋良の髪を撫でて、洋也は額にそっとキスをする。
「最初から……背中から……って、……怖くて」
「あぁ……ごめん」
 別に体位が怖いのではないだろう。うしろから抱きしめたことがないわけではないのだから。  ただ、いきなり後ろから、覆い被さるように始めてしまったから、秋良の感覚がついてこれなかったのだ。
 思いやりの足りなかった自分を恥じ、洋也はぎゅっと愛しい人を抱きしめた。
「ごめんね」
 精一杯の謝罪に、秋良は小さく頷いて顔を上げ、洋也へとキスしてくれた。
 いいの?と目で問えば、秋良は微笑んでもう一度愛らしいキスをしてくれた。


 規則正しい寝息を確かめて、秋良の頭の下から腕を抜く。
 離れがたい暖かさであるが、仕事をしなければならない。いつもならば、ここでほんの一秒ほど、全ての仕事を止めてしまおうかという考えがよぎるが、今夜ばかりはそれは思わなかった。
 一日でも早く仕上げようと意気込みが出る自分に、案外げんきんなんだなと呆れてしまう。
 階段を下りると、途中でミルクが上ってきた。
 ていよくカゴに追いやられた猫は、洋也が一階へと下りてくると、ちゃっかりと秋良の元へ潜り込む。一人で眠る秋良が優しい温もりを手にできるようにと、洋也もそのためにドアを薄く開けてある。
 白い姿が寝室へと滑り込むのを見届けて、自分は書斎へと入る。
 プログラムを組む前に仕様書を確かめる。ざっと目を通しただけだったので、細かな指示を確認していく。記になる場所にチェックを入れながら、この仕様書は実際に仕事に携わっている技術者が書いているなとわかった。
 仕様書の末尾にある名前を記憶にとどめ、疑問や質問が出たらこの人物に繋いでもらおうと決めた。
 後はもう仕事へと頭を切り替え、画面へと意識を集中させていった。








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