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 帰る用意を終えたところで携帯電話をチェックすると、メールが届いていた。
「出る前?」
 メールは洋也からで、学校を出る前に電話が欲しいというものだった。
 急ぎの用なんだろうかと思いながら、更衣室に入り、洋也の携帯へと電話をかけた。
『ちょっと複雑な相手からの仕事を断ったんだ。それで心配だから、島永さんにサポートを頼んだから。秋良が学校を出る時からついてくれるから、面倒をかけるけれど、しばらく我慢してくれないか?』
 メールでは済みそうもない用件で、しかも学校を出る前にという理由もよくわかった。
「そうなんだ。えっと、僕は普通にしてていいの?」
 洋也はサポートという言い方を選んだが、要するにボディガードということだろう。
 以前に内緒でつけられて、それから逃げ出してしまい、危険な目に遭った事のある秋良は、さすがに学習して、どうすれば良いかを聞く事にした。
 危険なことも怖いが、自分が相手に捕まることで、洋也が不利な状態に陥ることだけは避けたい。
『前に会った事のある中尾さんという人がついてくれるそうだから。秋良が嫌じゃなければ、車で送ってもらうといいよ』
 名前を出されても、すぐには顔を思い浮かべられなかったが、相手を気にしながら移動するよりは、送ってもらう方が早く帰れそうだ。
 今から帰るからと電話を切り、そのまま校門へと急いだ。
 門を出たときには、もう辺りは暗くなっており、秋良は立ち止まって辺りを見回した。
「安藤さんですね、お久しぶりです。島永調査事務所の中尾と申します」
 塀の途切れる角から出てきた車が路肩に止まり、中から出てきた男性が秋良に声をかけてきた。
 身分証明書を見せてくれるが、それを見るまでもなく、秋良は相手に見覚えがあった。
「よろしくお願いします」
 秋良は軽く頭を下げて、帰宅方法をどうするかと聞く中尾に、よければ乗せていってくださいと頼んだ。
 家までは車だと十五分程度で着く。
 ガードの基本は秋良が玄関を入るまでということだったが、初日ということもあり、依頼者である洋也への挨拶もあるからと、一緒に中に入ってもらった。
「自宅外でのサポートということですので、私共はこれで引き上げさせていただきますが、通勤以外で外に出られるときは、三十分前までにご連絡ください。たとえ隣に行かれる場合でも必ずお願いいたします。安藤さんが勤務中は学校の近辺で待機させていただいております。出られる直前にご連絡ください」
「えっと……わかりました……」
 案外面倒なのだなと思ったが、出かけなければいいのだと気がついた。
 出し抜くことは最初から諦めた。島永の調査員よりもうるさい監視の目が家にはいるからだ。
「洋也も護衛してもらうの?」
 自分ばかりが窮屈な思いをするのは理不尽だとばかりに、洋也についても質問をした。
「え?」
 当然という答えが返ってくると思っていた秋良だったが、洋也と中尾が微妙な顔を見合わせたので、少しばかりむっとする。
「どちらかというと洋也のほうが危険なはずだろう」
「僕は基本的に外出しないから」
「買い物に行くじゃないか」
「そのときは当然ついてきてもらうから」
 すぐに驚きから立ち直った洋也は、当然のようにさらりと答えた。
「ちゃんと守ってもらうんだよ」
 自分が何者かに調べられていると思っていない秋良は、懸命に洋也のことを心配していた。
「うん、わかった」
 嬉しそうに返事をする洋也に、秋良は更に心配が増すようだった。







 島永の調査はすぐに成果が現われた。
 三日とかからずに、秋良を調べている相手のことを探り当てたのだ。
「恵慈黎(ケイレイ)教育大学? 大学ですか?」
 思いもかけなかった相手に、報告された洋也も戸惑った。
 恵慈黎教育大学といえば、中等部、高等部を開校してから急激に偏差値を上げてきた、私立大学だ。
 六大学に並べたと学長が豪語したというが、そこまではいかなくとも、迫る勢いであることは確かだ。
「えぇ、大学というより、学校法人ですね。まだ極秘扱いのようですが、初等教育部を作るようですね。そこで関東圏の小学校教師や塾講師に目をつけては、引き抜きをかけているらしいです」
 調査書と共に島永が集めてきた、恵慈黎教育大学と付属学校のパンフレットを見てみた。
 美しく新しい校舎、広いキャンバス、整った設備と環境、高い教育理念。
 進学率や就職率は、確かに自慢するだけのことはありそうだ。
 ただし、秋良がこれに魅力を感じるかと問われれば、答えは決まりきっている。
「秋良に関して、どこまで調べがついたでしょうか」
「気がついたのが早かったので、あまり詳しくは調べられてはいないと思います。まだ、大学時代の成績などを集めて、職歴と賞罰程度ですね。プライベートでわかっているのは、住所くらいではないでしょうか。私生活について踏み込んで調べる前だったと思われます。何しろ調査の対象が多数にわたりますし、範囲も広いようですので、予想したよりははかどっていないでしょうね」
 島永の調査によれば、新しく作られる小学校の開校は、再来年の四月。それに先んじて来年の四月には大学院も開院するらしい。小学校から大学院までの一貫した教育がいかに優秀な人格を形成するかと、理想ばかりはとてつもなく高い。
 そこまで二十年間にわたり通わせられる家庭は、それなりの経済基盤と価値観が整っている家でなければ無理だろう。
「中尾からの報告によりますと、相手側の調査員は、こちらのガードに気がついたようだということです。それについての判断はまだできませんが、私共のほうに接触がありましたら、すぐにご報告させていただきます」
 もともと相手を燻りだすことが目的であったので、これで一応の成果はあったといえる。
「相手が相手ですし、安藤さんへの危険はないものと思われます。身辺警護のほうはどうされますか?」
 危険がないのなら必要ないと思われるが、いま一つ不安が拭いきれない。
「相手の出方がわかるまでは引き続きお願いします」
「承知いたしました」
 洋也も取引相手を調査することはあるので、調査されたこと自体を責めるつもりはない。
 だが、まだ本人と接触もしないうちから、誰かに不審がられるような調査をしたことが許せない。
 どのような経緯で秋良に目をつけたのか、それも不快な気持ちになる。
 秋良のことをよく知るものなら、このような教育方針は向かないということをわかっているはずだ。
 秋良が転職を望むのならば、それを応援するのはもちろんだが、秋良がこの話を受けるとはとても思えなかった。
 こちからアプローチをかけて、調査を打ち切らせる方法もあるだろうが、プライベートに勘付いていないのなら、調査事務所同士で話をつけてもらうのがスムーズな方法だろうと思われた。
 そんな心配をしていた洋也だが、相手はこちらの動きを察すると同時に、洋也にとっても驚くべきアプローチをかけてきた。


 平日の昼下がり、三池邸のインターホンが軽やかに来客の存在を告げたのである。



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