目が覚めると世界がゆっくりと回転している様に見えた。 「うー……、頭が痛い……」 自分のベッドで寝ているのが不思議だ。いつ、どうやって帰ったのか覚えていない。 あのメンバーだったのなら、鳥羽が洋也に電話をかけて、洋也が迎えに来たのだろうとは思うのだが。 「目が覚めた?」 絶妙のタイミングでドアが開いて、洋也がやってきた。 「喉が渇いただろう?」 全てお見通しのように、コップが差し出される。 「ありがとう」 苦労して起き上がろうとすると、背中を支えて起こされる。 手渡されたコップには暖かいほうじ茶が入っていた。 こくりと飲み込むと、ほの甘い中にも少ししょっぱい感じがする。 「塩が……入ってる?」 「二日酔いには良いらしいよ」 水分と塩分の補給。ほうじ茶の甘さと良い塩梅の塩で、喉の渇きが癒される。 「ありがとう」 「もう少し寝るといいよ。まだ辛いだろう?」 秋良はほうっと溜め息をついて、またベッドに横になった。 「洋也が迎えに来てくれたの?」 枕に沈む秋良の頭を、優しい手が撫でる。 覚えていなかったのかと洋也は苦笑する。 「そうだよ。潰れてるって電話を貰ったんだ」 「みんなに絡んだのかなぁ」 「どうだろう。僕が店に入ったときには、ほとんど眠りかけていたけどね」 はぁと息を吐くとまだ酒臭いような気がする。もう記憶をなくすほど飲むまいと誓ったはずなのにと、自分が情けなくなる。 「起きれるようならお風呂に入れば? さっぱりすると思うけど」 「う……ん、まだ頭痛いし……」 心配をかけるかもしれないが、起き上がって元気に動ける自信がない。 「もう少し寝るよ。お風呂には夕方、早めに入るね」 ぽんぽんと上掛けの上から肩を叩かれる。 その優しい振動が心地好い。 「何だか、鳥羽にめちゃくちゃ怒られたような気がする」 覚えてはいないのだけれど、横でぶうぶうと文句を言われていたような。……もしかすると夢だったかもしれないが。 「洋也に謝れって言われた」 しきりにそれを繰り返していた。 「謝ってもらうようなことは何もないけど。夢じゃないか?」 ゆっくりと頭を撫でられると、とろとろと甘い眠りに誘われていくようだ。 「そうかな? でも、迎えに来てもらったし、着替えもしてもらったし、ごめんね?」 ふわふわと小さなあくびをしながら目を閉じる。 「そこはありがとうって言ってもらったほうが嬉しいかな」 「うん……ありがとう」 目を閉じた秋良を見て、洋也は寂しそうに微笑む。 「秋良、夏休みになったら、別荘に行こうよ」 「別荘に?」 目を開けようとするが、またすぐに重くなって閉じてしまう。 「そう。何もしないで、ゆっくり、二人だけで、一日中のんびりしよう」 「うん……いく……」 すうっと語尾が消えて、すぐに穏やかな寝息が聞こえてくる。 「何も考えずに、頭の中を空っぽにして、二人だけの時間を過ごそうよ」 洋也の声に答えてくれるのは、もうすやすやと眠る吐息だけ。 「ここから逃げようよ……何もかも忘れるほど」 柔らかな頬をつつくと、秋良の唇がほんのりと笑みの形を作る。 その唇にそっとキスをして、洋也は部屋を出た。 洋也が荷物を運び込み、冷蔵庫に食物を詰めていく間に、、秋良は一階、二階と順番に窓を開けていく。 月に数度、掃除のサービスは入っているし、行く日を連絡しておけば前日にも掃除と空気の入れ替えをしてくれるのだが、それでも窓を開けると新鮮な空気が入ってきて気持ちがいい。 遊んでもらっている感覚で、秋良の足元をミルクがついて回ってくる。 「ミルク、外へ行っちゃだめだよ。帰り道、わからないだろ?」 大きな窓にも網戸はしてあるし、基本的に外に出たがらないので、飛び出すことはないと思いつつも、いつもは洋也の実家に留守番を頼むミルクを連れてくるにあたって、防護柵をつけてもらった。 そう、準備は知らぬ間に万端整っていた。 行くよと返事をした記憶はないのだが、行きたいと言ったらしい。 もちろん、ここは秋良も好きなところなので、休みになれば来たいと思う。 それにしても、洋也の行動は素早かったとしか言えない。 秋良の溜まっていた休みを確認し、休暇を申請してすぐに、吉本家の弁護士と最終の話し合いを、秋良に対する接見禁止まで約定におりこませて、話し合いを終わらせた。その翌日に起こされた時には、車のスタンバイも出来ていた。 「秋良、管理事務所に行ってくるよ」 「え? 何かあった?」 来る前に寄って来たばかりで、すぐに出かけると言われて、何か困ったことでもあったのかと不思議に思った。 「更新手続きの書類に捺印を忘れていたらしい」 「珍しいね、洋也がそんなミス」 何事にも完璧な洋也の些細なミスに、驚きながらもクスクスと笑ってしまう。 「すぐに帰ってくるから」 「いってらっしゃい」 玄関で見送り、ドアを閉めようとして、ふと空を見上げると、黒い雲が流れてくるのが見えた。 「一雨きそうだけど、大丈夫かな」 モクモクと湧く雲は、山の天気の変わりやすさを思い出させた。 「すぐに帰ってくるって言ってたもんね」 それでも陽射しが隠れ始めて、秋良はミルクをカゴに入れ、慌てて窓を閉めに回った。 ちょうどリビングに戻ってきたところで暗くなり始めた窓の向こうでピカッと眩しい光が走った。 「うわっ!」 眩しさに目を閉じ、次に来る音を予想して首を竦める。 ゴロゴロと地響きのような音をさせて、雷鳴が轟いた。 「ミルク、大丈夫か?」 カゴを覗き込んだら、パタパタと大粒の雨の音がしてくる。 「あーあー、降ってきちゃった。洋也、大丈夫かな。迎えに行こうかな」 管理事務所までは歩いて5分ほどだからと、洋也は車に乗らずに行ってしまったのだ。 しかしいくら近くても、こんな夕立ではすぐにずぶ濡れになってしまうだろう。 車の鍵を手に取ってから、行き違いになることに思い当たった。車の通れない遊歩道を行けば、徒歩の場合は近道になる。 ならばと携帯に電話をかけてみるが、洋也は出ずに、留守番電話に切り替わってしまった。 「うー、どうしよう」 バリバリと木が倒れるような大きな音がして、ミルクが毛を逆立てる。 「大丈夫だよ。すぐに止むからね」 布で包むようにして抱いてやると、ミルクは中に潜り込んで丸くなった。 いくら夏とはいえ、濡れて帰ってくれば寒いだろうと、秋良は風呂に湯を落とした。 バスタオルを取り出したところで、玄関の開く音がした。 「おかえり。大変だっただろう?」 急いで玄関に走る。 心配していた通り、洋也はびっしょりと濡れていた。 「迎えに行こうかと思ったんだけど。はいタオル」 「車だとすれ違いになるところだったよ」 やはり遊歩道のほうを通っていたらしい。 長めの髪が、普段は緩やかなカーブを描いているのに、今は真っ直ぐで、その先から滴がしたたり落ちている。 アースブラウンの七分袖のサマーセーターも焦げ茶色に見えるほどに水分を含んで重そうに見えた。 「廊下を濡らしてしまうか……」 呟いて、洋也はセーターを脱いだ。 乱れた髪を軽く振ってから、額に張り付いた前髪をかき上げた。 美しく整った顔立ちにワイルドさが加わって、見慣れたはずの秋良でさえ、息を飲むほどに艶っぽく見えた。 広く厚い胸に、髪から滴が落ちて流れていく。行く筋かの流れは、意識していなかった筋肉の存在を感じさせる。 決して鍛えぬいたという筋肉ではない。隆々とはしていないが、しなやかな美しい身体だと思った。 眩しい稲光が、明かり取りの窓を電灯のように白く光らせる。 濡れた洋也の身体も艶やかに光った。 洋也の身体をはじめて見るような気がして、秋良はごくりと唾を飲み込んだ。 次頁……………… |