肩に唇を寄せるとクスクスと忍び笑う、軽い振動が伝わってきた。 「笑うなんてマナー違反だよ」 抗議する洋也の声も笑っている。 「だってさ、なんか、ものすごく丁寧だから」 優しい指先、温かい手のひら、濡れた唇。 そのどれもが秋良の肌を労わるように柔らかく滑っていくのだ。 決して傷つけまいとするように。 「大切だからね」 ふふっと笑ったのは同時。そこからは笑いをこらえられず、かといって愛撫を止めるでもなく、くすぐりあう。 本気でくすぐるのではなく、まるで悪戯のようでいて、時にキスが混じり、それが二人の手を止めてしまうこともある。 「このパジャマのボタン、外しにくいんだよ」 三つ目のボタンを外したところで、洋也が小さな抗議をする。 「うん……止めるときも固いなと思ったんだ」 新しく買ってきたパジャマは、肌触りは最高だが、脱ぎ着には不向きだったようだ。 「一回り小さなボタンに付け替えてあげようか?」 「それは僕のため? 洋也のため?」 秋良の問いに洋也はクスクスと笑った。 大胆な睦み合いの台詞に聞こえなくもないが、相手はただ純粋に疑問を口にしただけに過ぎない。 これを誘惑のために言ってくれるのならば、洋也の苦労も少しは減るのだが。 「秋良のためだよ」 最後のボタンを外されて、秋良も笑う。 「さっき苦労して止めたのに」 「あとでちゃんと着せてあげる」 秋良の腕から片袖を抜いて、洋也は上体を起こした。 自分もパジャマの上着を脱ぎ捨てる。 暗い室内に逞しい身体が浮かび上がる。 屋外のスポーツはしないし、北欧系の血が混じっているからか、肌の色は意外と白いのだが、肩や腕についた薄い筋肉は引き締まり、美しい彫刻のようだ。 優しい笑みで洋也が口接けてくる。 裸の胸と胸が重なった。 秋良も肌は白いほうだが、いつも子供と外で体操をしたりするので、うすく焼け始めている。 特に筋肉らしい筋肉はついていない。だが余分な肉もついていない。細い肩と薄い胸板は、少しばかりコンプレックスを感じるときがある。 洋也の唇が重なるのを幸いと、目を閉じる。洋也にも目を閉じていて欲しいと願う。 優しいキスはすぐに深くなり、洋也の手が喉から胸へとゆっくり撫でていく。 すぐに体温が上がった。 もうすぐ何も考えられなくなる。 熱い舌を受け入れて、秋良は快感へと身体を委ねていった。 平日の昼下がり。 初夏の風が半分だけ開けていた窓から入り込み、白いレースのカーテンを揺らした。 窓際に置いた椅子の上で寝ていた子猫は、揺れるカーテンをしばらく眺めていたが、自分の玩具ではないことを知っているのか、すぐに興味を失いまた目を閉じた。 仕事もあと少しで一段落する。一番きつい部分を終えた解放感から、洋也は今年の夏休みは久しぶりにイタリアにでも秋良を連れて行こうかと、楽しい計画を思いついては一人満足気に頷いていた。 最近はニューヨークとの往復ばかりだったので、久しぶりにヨーロッパの壮大な風景を見たいと思った。 秋良はスイスやドイツの風景を好みそうだ。 ならばイタリアに拘らなくてもいいかと思ったところへ、携帯電話が鳴り始めた。 新しい仕事だろうかと思ったが、画面を見ると島永調査事務所の名前が表示されていて、軽く眉を寄せた。 「はい、三池です」 『突然失礼いたします。ちょっとお耳に入れておいた方がいいと思われる件が発生いたしまして』 電話は島永本人からだった。 島永調査事務所は探偵社とは異なり、企業の信用調査などを得意としているところである。 洋也も大きめの仕事に入るときは、相手企業や担当社員の調査を依頼するようにしている。 『実はですね、安藤秋良さんに対する信用調査が入ったようなのです』 「……調査?」 島永の報告に、洋也は眉間の皺を深くした。 なぜ秋良が調査されるのか。全く思いつかない。 洋也も今は特に大きな仕事はしていないし、洋也経由での調査なら、秋良にたどり着くまでに自分が調査される段階で気づいていただろう。 『はい。以前、安藤さんをガードした時の関係でパイプのあった人物から、安藤さんのことを聞かれたと報告がありましたので、間違いはないようです』 洋也にこの報告をする時点で、島永もきちんと調査はしたはずなので、間違いということはないだろう。 「誰が調べているのかわかりますか?」 『まだそこまでは。ですが、調査している事務所はわかっております』 そこに尋ねても簡単に口を割ることはないだろう。 「では、すぐに調査に入ってください。それと、彼のガードも同時にお願いします」 相手が誰か、目的が何かがわかるかまでは、気を抜くことはできない。 『承知しました。ガードのほうは極秘に行いましょうか?』 秋良のこともよく知っている島永は、秋良の性格に配慮して申し出てくれる。 「いえ、ばれたときに叱られます。それに調査している相手に、こちらの用心を見せておくのも効果的だと思いますので、姿を見せる方向でお願いします。本人には僕から連絡を入れておきますので、本日、学校を出る時からガードをお願いします」 隠しすぎるといらぬ誤解を与えてしまう。それは秋良自身にも責められた経験がある。 二人の話し合いで、隠し事はしないと取り決めた。 「ですが、本人が調べられていることはまだ話したくありません。僕の関係で不安があるからと説明しますので」 それくらいは隠したい。 『了解しました。ガードには以前にも安藤さんについたことのある中尾を向かわせます』 「よろしくお願いします」 2〜3の確認をしてから電話を切り、洋也は秋良に大事な用事があるから学校を出る前に連絡が欲しいとメールを送った。 秋良は勤務中には携帯を見ることはないが、学校を出る前に見るので、その時に気づいてくれるだろう。 いったい何者が秋良のことを……。 それを考えると憂鬱になる。 誰が相手でも負けるつもりはなかったが、秋良が調べられたという事実を知ったら、辛い気持ちになるのではないかと、それが気にかかった。 事と場合によっては、やはり秋良に隠し通すしかない。 今、仕事が手すきの時で良かったと、それだけはほっとした洋也だった。 次頁……………… |