ミラクルムーン

 

 

初出 ; Vol.1〜11

 

 

 突然、目が覚めた。ぽっかりと、という表現が良く似合うような目覚め。
 けれど、目を開けた先にあった天上の模様は……、まったく俺の知らないも のだった。
 昨日は誰かの部屋に泊まったんだろうか。そう考えて、昨日の夜の記憶がな いのに気づく。
 えっと……、どうしたんだったっけ?
「いたっ」
 考えながら額に手をやると、その場所がずきりと痛んだ。
「なんだー? これ」
 痛む場所を擦ると、そこだけが異様に盛り上がっている。
 たんこぶ……?
 俺はますますわからなくなって、昨日の記憶を必死に呼び戻そうとする。
 と、ベッドで寝ている俺の横で、もぞもぞと塊が動いた。
「な、なにっ」
 薄手の布団に包まっていたその人は、むっくりと顔を出した。
「!」
 俺はびっくりして、瞬間的に言葉をなくした。
「あ、起きたんだ」
「ア、アキちゃん!」
 俺が叫ぶと、アキちゃんは不思議そうな顔をして、完全に布団から出てきて、 俺がさっきまで押さえていた額に手を伸ばしてきた。
「すごいね、大きな瘤になってる」
「アキちゃん、な、なに?」
「かなり冷やしたんだけれどなー。やっぱり病院に行った方がいいかなー。 一応、往診はしてもらったんだけど。大変だったんだからなー、お前重いし さー」
 そう言ってアキちゃんはベッドから降りた。そしてその姿に俺は息を呑む。 な、なんで、パンツ一枚で……?
「もうバカなことするなよー?」
「ま、待って!」
 俺の制止は悲鳴になる。
 今までの姿だって、まっすぐに見れなかったというのに、アキちゃんはその 最後の一枚さえ、取り去ろうとしているのだ。俺の目の前で!
「なんだよ」
「だ、だって、アキちゃん……」
 俺が情けなさそうに顔を背けると、アキちゃんは何が気に入らないのか、俺 の両頬をぐいっと掴んで自分のほうを向かせた。
「だいたい何だよ、その『アキちゃん』って。変だぞ、お前。打ち所が悪かっ たのかなー」
 そしてたんこぶのあたりをぐりぐり撫でて、顔を近づけてくる。その……、 唇を……。
「あ! アキちゃんっ!」
 咄嗟に手で押さえてしまう。
「なんだよ」
 もしかして、キスしようとしてた? そ、そんなわけ……、ないよね。

 でも俺は、これが未だパニックの序章なのだとは、少しも気づいていなかっ た。





「アキちゃん、ここ、どこかな?」
 俺はとにかく立ち直るべく、ここがどこなのか、どうしてここに俺とアキちゃんが 一緒にいるのか、それを聞こうと思った。
 そう思ったのだけれど、アキちゃんは苦々しい顔つきで、俺をじっと見詰めてきた。
「勝也、その冗談、笑えない」
 俺としては真剣に聞いたつもりなんだけど、アキちゃんは冗談、それも性質の悪い 冗談だと受け取ったらしかった。
「じょう……だんじゃなくて……」
 アキちゃんを困らせるつもりはなくて、俺は昨夜の記憶を必死で取り戻そうとする。
「自分の名前、わかるよな?」
「うん、三池勝也」
 なんだか、記憶喪失者みたいな扱われ方に、ちょっと笑ってしまった。
「何歳?」
「14。中学三年生」
「今日は何月何日かわかるか?」
 心配そうな顔になるべく明るく笑いかけてあげる。
「8月1日じゃん」
「じゃあ、僕は?」
「安藤秋良」
 それを聞くと、アキちゃんはほっとしたみたいだった。
「たとえ記憶喪失になったって、アキちゃんの事だけは、絶対忘れないよ、俺」
 安心させるためにそう言ったのだけれど、でも、アキちゃんはまた訝しげな表情に なる。
「なんで、そんな呼び方するんだ?」
「え? だって、いつもそう呼んでたでしょ?」
 そう言うと、アキちゃんは泣き出しそうな顔をした。
 ど、どうしようと焦ってしまうけれど、何が原因でそうさせてしまうのか、わから ない。
 どうして「アキちゃん」と呼んではいけないのだろう……。
「えっと、……あのさ」
 言葉に詰まっていると、アキちゃんががばっと抱きついてきた。
 え? と思っている間もなかった。
 勢いよく抱きつかれたものだから、俺はそのままベッドに倒れこんでしまった。
 それでもアキちゃんが離れないものだから……、俺の上には……、その……アキち ゃんがー。
 しかもほとんど全裸の。
 ど、どうしようと思いながら、俺の手は言うことを聞いてくれず、自然とアキちゃ んの背中に回ってしまう。
 微かな溜め息が、耳元で聞こえた。緊張が解けた時みたいな、安堵の溜め息が。
「アキちゃん……」
 どうしようと迷いながら、そう呼びかけた。その呼び方しか、知らないから。
「いつも通りに呼べよ」
「えっと……」
 なんて呼べというのだろう。それがわからずについ黙り込んでしまう。
「アキラって、呼んでくれよ。アキちゃんだなんて、他人行儀な呼び方、僕は嫌だ」
 ええっ! と叫ばなかった俺を誰か褒めてくれ。
 いや、叫ぼうにも、声が出なかったという方が正解だろう。
 な、な、なんで、俺が、アキちゃんの事をそんな風に呼べるだろう……。
 頭は真っ白、身体もぎくりと固まったまま、俺はただ茫然と、見知らぬ天井を見続 けた。
 そうだよ、ここはどこなんだ。
 完全に思考が現実の事から逃げていた。
 そしてアキちゃんはそんな俺に追い討ちをかける発言をしたのだった。
「僕達、恋人同志……だろ?」





 ほとんど全裸のアキちゃんを抱きしめ、耳元で『僕達は恋人同士』と囁かれ、 本来なら夢みたいなシチュエーションだというのに、俺は全身を固まらせていた。
 ちょ、ちょっと落ち着けよ、って思う。
 これはまさしく、夢なんじゃないかって思うけれど、頭がずきずきするもん だから……。
 ああ、そうだよ。どうしてこんなに頭が痛いのかな……。
 そう思った途端、昨日の夜の出来事をはっきりと思い出した。
 そう、俺は昨日ヒロちゃんとアキちゃんのマンションに遊びに行って、
夕食をご馳走になって、そのあと……、リビングで遊んでいて、
偶然アキちゃんが何かを隠すのを見ちゃったものだから……、
それを見せてもらおうと躍起になって……、えっと、それでどうしたんだっけ。
 アキちゃんの酷く驚いた顔だけが記憶のラストなんだけど……。
「あ、秋良……」
 おずおずと呼びなれない呼び方でアキちゃんを呼んでみる。
「何? 勝也」
 そう呼び返されてドキドキする。いつもアキちゃんが僕を呼んでいる 同じ呼び方なのに、全然響きが違うんだ。
「あのさ、じゃ、じゃあ、ここはどこ……かな?」
 俺がそれを聞くと、アキちゃんは突然上半身を起こし、悲しそうに俺を見た。
「どうしてそんな、記憶がないふりなんか、するのかな?」
 いや……、俺はそんなつもりじゃないんだけど。どう答えていいものかどうか 悩んでいると、アキちゃんは仕方なくという感じで教えてくれた。
「ここは僕のマンション。他に聞きたいことは?」
 ちょっと怒っているのかもしれない。そんな言い方だった。
 けれど、俺はその答えに驚いてしまって、思わずアキちゃんを突き放してしまった。
「ええ? アキちゃんのマンション? マンション、って……。でも……」
 どこをどう見たって、アキちゃんの部屋じゃなかったのだ。
「でも、なんだよ。いい加減にしろよ、勝也。一体、どうしたって言うんだよ!」
 涙混じりの声に慌てて振り返ると、実際アキちゃんは目尻に涙をためていた。
「あ、秋良。あのさ、あの、俺さ。そ、そうだ、ちょっと記憶に混乱があるみたい。
 どうすればいいかな。そうだ、ヒロちゃんに相談してみようかな。
 それがいいと思わない?」
 そう……、アキちゃんがあくまでを俺が恋人と言い張るのなら、それでもいい。 俺はそんなゲーム、いくらでも付き合ってあげたい気もする。こんな部屋まで 用意しているくらい凝ったことしたいなら。
 けれど、俺の気持ち、そんな風にゲームに利用して欲しくない。
 アキちゃんはわからないだろう。本当に弟のように思っているのだろうから。 でも、ヒロちゃんがこれに噛んでいるとしたら、俺は許さない。
 俺のこと、ライバルと認めてくれた筈なのに、ちょっと酷いんじゃないかと思う。
 だから、ヒロちゃんの前で思いっきり、「フリ」をしてやろうとも思ったのだ。
「なんでそこで洋也さんが出て来るんだよ。僕が洋也さんに嫌われているって、それを知ってて言うのか、お前」
 会えばぼろが出るとでも思っているのか、アキちゃんは途端に拒否反応を示した。
「でもさ……」
「僕だって、あの人に会いたくないよ。お前の兄さんじゃなければ、一生関わりあいたくない人だよ。それは勝也だって理解してくれてると思っていたのに」
 本当に嫌そうな顔で言われて、これが演技だとしたら、アキちゃんへの見識を 変えなければならないほどだと思った。
 もう騙されていてもいいと思えるほどのアキちゃんの様子に、俺は何も 言えなくなってしまう。
 けれど……。
「もうさ、やめてよ、アキちゃん。俺、辛いよ。今はアキちゃん達の冗談に付き合えるほど気持ちに余裕がないんだ。
 だからさ、早く服を着てよ。それから、ヒロちゃんにも俺から謝るし。
 今日は8月1日、僕の記憶が間違いじゃなければ、エイプリルフールでもないよ。
 早くヒロちゃんのところ、行こう」
 せめてもの意地で背中を向けてやる。
 本当に服を着てくれなければ、そろそろやばいのだ、俺のほうが……。
 絶対俺が安全圏だと思って芝居しているのなら、許せないよ。
 俺だって……、男なんだから。
「お前、誰? 僕の知ってる勝也じゃないだろ」
「いい加減に……」
 してくれと続く言葉は言えなかった。
 ぽろぽろ涙を零すアキちゃんを目の前に、俺は息を詰めて立ち尽くしていた。




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