「あっ! あぁぁぁ」
 秋良にそっくりな目が見開かれ、洋也を見上げている。
「君は…………」
 洋也も少なからず驚いていた。まさかもう一度会うようなことがあるとは、 思ってもみなかったのだ。
「ミツヤ先生! ミツヤ先生ですよねっ!」
 青年は興奮に目元をピンク色に染め、上ずった声で叫んだ。その声に通行人 が何事かと振り返る。
「もう少し声を小さく」
 洋也の声に、青年ははっと口元を押さえ、辺りをきょろきょろする。
「すみませんでした。あの、俺、あんまり嬉しくて」
 上目使いに洋也をうかがう目が、やはり秋良に似ていて、洋也はつい口元を 緩めてしまう。
 秋良に唯一似ていない口元を手で押さえたため、ますます秋良とそっくりだ と思う。
 まるで数年前の、自分と出会う前の秋良と、今話をしているようで、少し嬉 しくなってしまう。
「俺、先生の大ファンなんです。あの……、ゲームも全部もってます」
 縋りつくような目に見つめられ、ましてやそれが愛しい人の数年前だと想像 してもいるので、普段なら歯が浮くようで聞きたくない台詞も、嬉しく感じて しまう。
 秋良がゲームというものに興味を示さないので、なおさら、こんなことを言 われてみたかったのかと、自分の隠れた欲望をはじめて知らされた気がした。
 秋良はほとんどゲームをしなかった。たまに「これってどんなゲーム?」と 聞かれることはあるが、それは大抵、教室で児童が話題にしているゲーム名ら しく、洋也が手がけていたゲームは、今までに二つしかでてこなかった。
 だからという訳ではないが、洋也の仕事も、近頃はコンピューター関係のほ うが多くなっていき、手がけるゲームも少なくなっていっていた。
「ありがとう」
 洋也が微笑んで礼を言うと、青年はぽーっと洋也を見上げた。
 その様子に洋也は苦笑する。
「あの、今日は打ち合わせですか?」
 青年の質問に、洋也は視線を動かすだけで否定をしたが、彼はそれが答えな のだとは気づかなかったようだ。
「君は学生じゃないのか? N社にどんな用件が?」
 こんな場所で出会ったことを不思議に思い、洋也はN社のビルを見上げるよ うにして青年に尋ねた。
「あ、俺、大学生です。でも、えっと、ここにアルバイトで」
「ゲームショーの時から?」
「いや、あのー、実は、あのアルバイトも実はミツヤ先生が来られるって聞い て、何とか潜り込ませてもらったんですよ。それで、先生があの時、N社の人 と話するのを見て、ここでアルバイトさせてもらえれば、もしかしたら、また 会えるんじゃないかなーって。こんなに早く会えるとは、まさか思ってなくて。
偶然というより、奇跡ですよね。俺、なんか、ものすごく感激してます」
 ぺらぺらと喋る青年は、確かに洋也に会えた嬉しさに舞い上がっているよう だが、それにしてもその勢いよく喋る様に、どうしても秋良と比べてしまう。
 秋良なら、こんなふうに、なんでもばらしてしまいはしないだろうなと。
「もう、打ち合わせ終わられたんですか?」
「これから帰るところだ」
 洋也が眉間に皺を寄せたので、さすがの青年もその不機嫌さを察したようで、 途端にしゅんとなった。
「あの、すみませんでした。俺、一人で興奮してべらべら喋って」
 秋良によく似た顔が泣き出しそうに歪むのを見て、洋也は慌ててしまった。
 目の前の青年は確かに秋良とは別人であるが、その顔はそっくりと言っても いい。秋良に泣かれることが何より辛い洋也は、別人とわかっていながら、秋 良に対するように優しい声を出した。
「気にしなくていい。君は謝ってばかりだな」
 洋也の微笑みに、青年は嬉しそうに微笑んだ。その唇さえ似ていれば完璧な のにと思ってしまう。
「あの、俺、高畑つぐみって言います。また、また、こちらの会社に来られる とき、あの、お顔だけでも見れたら嬉しいです。えっと、えと、……これ、俺 のパーソナルカードです」
 高畑が出した名刺は薄いブルーに藍色の文字で、名前と携帯の番号が印字さ れていた。
 最近の若者にしては珍しくシンプルで、薄いプルーがまた秋良を連想させて、 洋也はとっさに受け取ってしまう。
「これからもお仕事、頑張ってくださいっ!」
 青年はぴょこんと頭を下げて、ニッコリ笑い、ビルの中へと駆け込んでいっ た。
 洋也は手の中に残された名刺をどうしようかと迷う。
 普通ならこんな物はさっさと捨てる。これ見よがしのアプローチのものは、 最初から受け取らない。押し付けられた物を目の前で破いた事もある。
 だから、捨てればいい。いつもならそうするのに、洋也はしばらくその薄い ブルーの、小さなカードを見つめていた。
 秋良が名刺を作るなら、この色が似合うだろうなと思う。
 もちろん秋良に名刺は持たせたくない。これ以上、秋良に近づく人を増やし たくないから。
 洋也はそう思いながら、結局、その名刺をジャケットのポケットに入れた。
 もう会うこともないだろう。今度このジャケットを着たら、ポケットから出 してゴミ箱いきだと決まっている。
 それまで、洋也は数年前の秋良と出会ったという楽しみを密かに味わう事に した。







 家に帰りついたのはまだ外も明るいうちで、当然秋良はまだ帰っていなかっ た。
 リビングへは行かずに、書斎へ行き、上着を椅子の背もたれにかけて、パソ コンを立ち上げる。
 入っていたメールを確認し、返事の必要なメールに返信を打つ。急ぎの仕事 はなかったが、以前に世話をした会社でトラブルがあり、何とかして欲しいと 要請が入っていた。
 どうせまた何かミスをし、自分たちで修復しようとして、下手なコマンドを 打ったに違いないと思われた。同じような前科のある相手で、いくら電話で説 明しても理解してくれないとわかっているのだが、一縷の望みで電話をかけて みた。
 しかし、結果は虚しい説明の繰り返しで、翌日でかける羽目になってしまう。
 そんな事をしている間に、夕食の準備の時間になってしまった。部屋を出よ うとした洋也は、メールが受信されているのを見た。
 定期的に自動受信するメールは、この時間だとほとんどがダイレクトメール なのだが、その中に二通の私信が紛れ込んでいるのを見つけた。
 ゴミなだけのメールはすぐに削除し、一通目のメールを開く。洋也はその内 容を読みながら、眉間に深い皺を寄せる。
 相手がメールという手段を何故取ってきたのかを不思議に思っていたが、そ の内容といつもと違うメールアドレスに、疑問は解けていった。
 あまりに深刻な相談とも愚痴ともつかないメールは、書かれていない心情を くみとれば、相手の苦悩がかいまみえる気がした。
 強く自信に溢れた相手の、誰にも見せない弱みを見せられて、洋也は吐息を 漏らした。
 洋也は短く返信を打った。きっと相手にはそれだけで通じるだろう。
 そして、2通目のメールを開いた洋也は、驚きに目を開く。
『突然のメールごめんなさい』と件名に記されているが、それはN社の社内メ ールから送信されていた。

********
ミツヤヒロム先生
突然のメールで失礼します。
僕は今日、会社の玄関で先生とぶつかった高畑つぐみです。
今日は失礼しました。
アルバイトの配置先が、お客様センターみたいなところで、ビジターからのメ ールを読んで仕分けするのが、僕の最初の仕事になって、実はそこで先生の社 内メールアドレスを見つけてしまいました。
本当は、こんなふうに私信に使ってはいけないとはわかっているのですが、つ い、うれしくて。
先生、これ、きっとご自宅に転送されていますよね。
先生に読んでもらえる事を祈ってます。

********

 長いメールの始まりはこんなふうで、洋也の次回作を楽しみに待ち望んでい るというファンメールであった。
 ファンだという高畑の気持ちは嬉しい。
 しかし、洋也はこういうアプローチのされ方が一番嫌いだった。こちらの都 合を一切考えないやり方だと思うからだ。
 だが、高畑を思い浮かべると、彼より先に秋良を思い浮かべてしまい、怒り が曖昧になってしまう。
 それでもやはり返事を打つ気持ちにはなれなくて、そのままパソコンから離 れた。
 気分的には最初のメールのほうが気がかりになり、同じ時に届いた高畑のメ ールは、返信不要のものだと判断した。
「ただいま」
 ちょうど書斎を出たところで玄関が開き、秋良が帰ってきた。
「おかえり」
 洋也は玄関へ向かい、恋人に帰宅の挨拶をしようとする。
 けれど、秋良の不機嫌そうな顔に、洋也は頬に手を添えたまま『どうしたの?』 と問うた。
「なんでもない」
 邪険にその手を退けられて、洋也は困ってしまう。
「何かあった?」
「だから、なんでもないって」
 秋良は溜め息を一つついて、洋也の横をすり抜けた。
「だって、秋良、気になるだろう? 学校で何か問題でも起きた?」
 多分それは違うだろうと思いながら、疲れきった秋良の表情に、そうであっ て欲しいような気もした。
 つまり、自分たちの生活に影を差すものであって欲しくないのだ。
「何もないよ。ちょっと疲れただけ」
 結局帰宅のキスを交わさないまま、秋良は自分の部屋へ入っていく。
「今から食事の仕度をするんだ。何か食べたいものある?」
 こんな状態の秋良に食欲があるとも思えなかったが、だからこそ、消化のい いものを食べて欲しい。
「…………食べたくない」
「駄目だよ、食べなきゃ。好きなものを作るから」
 秋良の部屋の入り口で、洋也は秋良が部屋着に着替えるのを待っていた。目 を離してはいけないような気持ちになっていた。
「……なんでもいいよ。簡単に作れるもので」
 食べる事か億劫であるというような、何もかも疲れきったような返事に、洋 也は心配になって、堪らずに細い身体を抱きしめた。
 秋良の身体は、体調の悪さを感じさせるほどに冷やりとしていた。
「何か……悩みがある?」
 どんな事も話して欲しい。どんな事でもするから。
 洋也のその気持ちは、秋良に伝わっていると思っていた。今までの二人の時 間はそれを信じさせるに充分だと思っていた。
「洋也……、僕の事、本当に好き? どこが好き? 僕の顔?」
 洋也のシャツの胸を掴み、秋良の目がしっかりと洋也を見つめていた。







「洋也……、僕の事、本当に好き? どこが好き? 僕の顔?」
 秋良に聞かれて洋也は内心の驚きを隠しきれなかった。
「もちろん好きだよ。愛してる。秋良のすべてがね。だから顔も好きだよ」
 すべてに真実を答えるが、秋良はそれで納得したわけではないようだった。
「わからないよ。なぜ僕なのさ」
「そんな聞き方をされると、答えようがないけれどね」
 洋也のどこか投げやりな答えに秋良は表情を曇らせた。
「どうしてそんなことを聞くの? 誰かに、何か言われでもした?」
 洋也の瞳が冷たい光を宿して秋良を見た。
「どんな答えが欲しいの」
「そのままの気持ちを答えてくれればいいんじゃないか」
「秋良を愛してる。それ以外の答えなどないよ」
「そんなんじゃ納得できない」
 秋良は悲しそうに俯いた。
「だから、なんと言えば納得できるの?」
「そうじゃない!」
 秋良は激しく首を振って、部屋を飛び出した。自分の部屋へ飛び込み、がさが さと物音を立てている。
 その音に洋也は携帯を取り出した。
「三池です。例の件、お願いします。今、自宅です」
 相手の承諾を聞いて洋也は寝室を出た。
 ちょうど秋良が部屋から出てくるのと出くわした。
「また鳥羽君のところ?」
「別にどこたっていいだろ」
 秋良のとがった声に洋也は冷めた表情で玄関へと向かう秋良を追う。
「出て行くことで何か解決になるの?」
「…………、冷静にはなれる」
「いつ帰ってくるの?」
 洋也の出て行くことを認めるような言い方に秋良は唇を噛み締める。
「帰ってこないかもよ!」
 意地なのか、脅しなのか、秋良にもわからなかった。
「だったらミルクを連れて行ってくれないかな。明日から仕事で忙しいんだ」
 秋良は信じられないという表情で洋也を見返した。
 秋良の傷ついた表情に洋也は僅かに視線をそらす。
「ミルク、おいで……」
 飼い猫は小さな声で鳴いて、洋也の脇をすり抜けていく。
「明日、ミルクの餌とか砂とか取りに来るから」
「届けるよ。明日は一日いないから」
 何が決定的に違ってしまったのか、秋良には訳がわからないのだろう。
「いいよ、新しく、買うから……」
 秋良はミルクを抱きしめ、ドアを出て行った。
 パタンと閉じられたドアの向こうに、秋良の影はすぐに見えなくなる。
 洋也は深い溜め息をつく。室内に戻ろうとしたとき、携帯に着信がきた。
『確認しました。ご依頼の通りに行動します』
 その報告に洋也は疲れきった声でお願いしますとだけ答えた。

 一人きりのベッドでいつもの時間に目が覚めた。
 無意識のうちに隣の秋良を抱きしめようと手を伸ばして、一人なのに気がつく。
 夜中も何度も同じ行動をしては、苦い思いを噛み締めて眠れぬ時間を過ごした というのに。
 階段を下りるが、洋也の足音を聞きつけて擦り寄ってくる猫もいない。
 それがこんなにも辛いことだとは思わなかった。
 時間が解決してくれる。
 そう思うことで耐えることにした。
 昨日依頼のあった会社へは昼から電話をかけることにして、洋也はジャケット から一枚の名詞を取り出した。
 高畑つぐみという名前に、秋良の面影を無理にも重ねる。
 名詞に記された11桁の番号を押す。
 5回目のコールで相手が出た。
『はーい』
 無邪気な明るい声は秋良には似ても似つかない。電話をかけたことを瞬間後悔 する。
「ミツヤです。わかるかな?」
「ええっ! ミツヤ先生ですか? 本当に? 本物?」
「今日は時間があるかな。君が見たいといってた、例のゲーム、自分だけで考え ていた続編を見せてあげるよ」
「本当ですかー! 俺、いま、かなり心臓バクバクいってますよ。これ、夢じゃ ないですよね!」
「ああ、じゃあ、午後からはOKかな」
「はい、はい。もう、何時でも、どこへでも行きます。俺、かなり興奮してます、 今」
 大げさなほどの歓迎ぶりに、洋也は微苦笑する。
 簡単に時間と場所を決めて通話を終えた。
 ふと、時計を見てしまう。今頃秋良は、きっと学校に着いた頃だろう。洋也は 時計から視線を無理にもはがして、家を出る用意に専念した。

 昨日送ったメールの相手は、洋也のメールの内容を過たずに読み取り、約束の 場所にやってきていた。
「悪かったな。突然で」
「いいさ。ただ、これから一軒プログラムの仕事に行かなくちゃならない。だか ら長くは付き合えないんだ」
「いや、俺のはただの愚痴だ。お前に聞いてもらいたかっただけの」
「それの件なんだが、こちらで少し調べてみた。もしかしたら、役に立てるかも しれない」
 洋也の言葉に、相手は驚きに目を見開き、やがてくすくす笑い出した。
「やっぱり、三池だな。参った。完敗だ。頼むと言ってもいいのか?」
「……ああ。そのかわり」
「やっぱり交換条件ありか?」
「当然だろう。そのためにこちらはかなりの犠牲を払っている」
「わかった。どんなことでも聞くよ」
 その言葉を聞いて洋也は席を立った。
「なあ、三池」
「何だ?」
 洋也が店を出ようとしたとき、背中から呼び止められる。
「お前の大切な人に一度会わせろよ」
「断る」
 あまりにもの即答に取引相手は呆れたようにケチといった。
 その言い方がかつての学生時代のような響きだったので、洋也も思わず笑って しまった。

「ミツヤ先生、こっちです!」
 洋也の姿を見つけて、高畑は元気な声を上げた。
 待ち合わせに指定されたのは、市のはずれの公園だった。日が落ちたばかりの 時間で、寂しい街灯が一つだけで、相手の顔の判別も難しくなっている。
「本当にきてくれたんですね、先生!」
 嬉しそうに高畑は洋也の元へと駆け寄ってくる。
 近くにやってきて、ようやく相手の顔が見える。
 秋良によく似た顔がにっこりと全開の笑顔で洋也を見上げてくる。
「俺の借りてるマンションすぐそこなんですよ。もちろん、ゲーム機もあります」
 高畑は洋也の腕に自分の腕を絡ませて、ぐいぐいと引っ張っていった。



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