Imitation

 

 

初出 ; Vol.77〜91

 

 




「今度の日曜日、ゲームショーに行かないか?」
 二人で並んで夕食の後片付けをしている時、洋也が秋良に話しかけた。
「ゲームショー? ゲームセンターみたいなところ?」
 秋良の質問に、洋也はなるほど、これが世間一般の反応なのかと、妙に納得 してしまった。
「大きな会場で、各ゲーム会社が、新作ゲームの発表をしたり、グッズを販売 したりするイベントなんだよ」
 それで話が通じるとは思えなかったが、何も知らない人に説明するには、妥 当な線だろう。
「それって、子供達が来たりする?」
「小学生は少ないかな。もう少し対象年齢は高い。大人も多いよ」
「洋也は仕事で行くんだろう?」
 図星をさされて、洋也は苦笑を浮かべる。
「行くつもりはなかったんだけれど、今年はどうしても抜け出せなくなってし まったんだ」
 せっかくの秋良の休日。そんな日に自分だけが出かけるなんて、つまらない ことはしたくなかった。
 けれど社会のしがらみで、今年だけは断われなくなってしまったのだ。
「だったら、辞めとくよ。元教え子とかに会ったら嫌だもん。向こうも気まず い思いをするだろうし」
 秋良が元担任なら、たとえ地の果てでばったり会おうとも、嬉しいだろうけ れど、それを素直には信じてくれないし、自覚しないで欲しいので指摘はしな いでおく。
「じゃあ、なるべく早く帰ってくるよ」
 挨拶だけで済ませて帰るつもりで、洋也は日曜日のスケジュールを考える。
「だって、その後、打ち上げとかあるんじゃないの?」
「打ち上げって言ってもねぇ」
 一度その手の会に出てみたが、あまりにも下らなかったので、早々に引き上 げた記憶がある。
 洋也にすれば、どうして酒の席というだけで、日頃の紳士を気取っている人 が醜態を晒せるのだろうかと不思議なのだ。
 飲むなら静かに、一人か、よほど気心の知れた友人でなければ嫌だ。
 秋良に言わせれば、それはストレスの発散のためだという。
「そういう席で人柄がわかって、打ち解けたりするんだよ。それに、新しい仕 事の話も出たりするかもしれないし」
 秋良の気遣いに、洋也は形だけは同意しておく。仕事の付き合いは仕事だけ で充分だし、新しい仕事は断わっているくらいなので、増えても困る。
「なるべく早く帰るよ。食事の用意は……」
「僕がしておくけど……、本当に打ち上げに行かないの?」
「行かないくていいよ」
 洋也が気軽に言ったので、秋良も特に気にすることもなく、相変わらずどち らが先に風呂に入るか、一緒に入る、入らないで揉めて、その夜は洋也が先に 入ることになった。

 会場までの道が道路情報よりも混んでいて、余裕を持って到着するはずが、 結局少し予定より遅れてしまった。
 駐車場の入り口で、関係者パスを見せて、一般とは別の駐車スペースへ誘導 される。一般のほうは、駐車場へ入るのにも渋滞になっている。
 九月に入り、陽射しはきついものの、そよそよと吹く風が秋の気配を感じさ せる。
 車から降りて通用口へと向かう。
 会場正面の入り口は、入場制限が敷かれており、二重三重に並ぶ列が長く続 いているはずだ。
 だが、通用口のほうは、そんな喧騒が嘘のように静かだ。
 洋也をどうしてもと誘った、ゲーム会社の部長に、挨拶だけして、適当に帰 るつもりだった。
 時間にすれば一時間もかからないだろう。
 帰り道が混まないうちに出て、夕食を秋良と一緒にと思いながら歩いている と、前方の通用口の所で、数人が険悪なムードで睨み合っていた。
 最初は睨み合っていると思ったのだが、近づくにつれ、スタッフジャンパー を着た青年が、通用口のドアに背中を押し付け、三人の若い男に睨み付けられ ているのだとわかった。
 男の手が青年の肩にかかり、ジャンパーの襟首を掴む。
「なぁ、いいだろう。3人くらい、通したってわからねーって。だいたいさー、 何時間並ばせるつもりなんだよー。足を傷めて、明日仕事に行けなくなったら、 どうしてくれんだよー」
「困ります。ここは、関係者以外は、通行禁止なんです」
「困りますー、だってさ」
 男は青年の口真似をして、げらげらと笑う。どうやら男達は、正規の列に並 ぶのが嫌で、ここから通せと脅迫に近い行為をしているらしい。
「俺らも困りますー。もう、並びたくないですー」
 一人が言うと、また下品な笑いが起こる。
「何をしている」
「なんだよ、おっさん」
 普段ならバカを相手似せず、絡まれているほうも弱いのが行けないと無視を する洋也だが、とにかく早く用事を済ませて帰りたい。そのためにはここを通 るしかないので、退けとばかりに声をかけた。
「苦情があるなら、本部が表にあるからそちらに行けばいい。ここは関係者の 入り口だ」
「えらそうじゃん、おめー。だったら、あんたがここ通してくれよ」
「警備員を呼ぼうか?」
 洋也の言葉に、男達はバカにしたように笑った。
「警備員だってさー。呼びに行けるかなー?」
 言うと同時に、男の拳が飛んできた。
 洋也の頬に命中するとばかり思っていた拳が跳ね返された。驚く間もなく、 その手を捩じ上げられた。
「いっ、いててて、いてーっ!」
 さっきまでの威勢はどこへいったのか、男は悲鳴を上げる。
「こ、このやろー!」
 仲間が殴りかかってくるのを、もう一方の手で止める。反対から足が蹴りあ がってきたが、それには腕を捩じ上げた男をぶつけて、二人同時に転ばせた。
 そこでようやく、騒ぎを聞きつけた警備員が駆けて来るのが見えた。
 警備員の姿が見えると、男達は慌てふためいて、転げるようにして逃げ出し た。
「あの、ありがとうございました」
 背後から声をかけられて、洋也は振り返った。
 青年はぴょこんとお辞儀をして、顔を上げて洋也を見た。
 彼を見て、洋也の目が驚きに見開かれる。
 彼はまだ若かった。大学生のバイトなのかもしれない。
 はじめて会った青年の、その容姿を形容するとしたら、洋也の場合ただ一言 しかない。
 ……秋良に似ている。
 どこがどうとかではなくて、彼は秋良を大学生に戻したような……、それほ ど秋良に似ていたのだった……。







「あの、ありがとうございました」
 秋良によく似た青年が、洋也を見上げている。
 背は秋良よりいくらか低いだろうか、髪は秋良よりは少し長めで、秋良は染 めていないので艶のある黒髪だが、青年は今風に明るめの栗色にしている。ち ょうど洋也の髪の色と同じくらいに。
「あの……」
 洋也が驚きと共にじっと秋良との相似点を見ているものだから、青年は困っ たように首を傾げた。その傾げ具合がまた、秋良に似ているのである。
「大丈夫でしたか?」
 駆け付けて来た警備員が洋也に尋ねる。胸の関係者パスを見ているので態度 は丁寧である。
「ここにも警備員を配置したほうがいいな」
 つい、秋良が困っているような気がして、洋也は普段なら相手にもしないア ドバイスを出したりする。
「ええ、手配します」
 警備員はレシーバーで本部に連絡を取り始めた。
「あの、どちらの会社の方でしょうか。僕、案内します」
 青年が元気良く言うので、洋也は口元を緩めた。出会う前の秋良と話してい るような、嬉しい錯覚に僅かな時間浸ってしまう。
「持ち場を離れてもいいのか?」
 青年が通用口の監視に立っていたのではないかと、洋也は少し厳しい目つき になる。
「いえ、僕達は案内係なんです。もう一人いるんですけど、今お客様を案内し ていて。だから、貴方は僕が案内いたします」
「N社なんだが」
「わかりました! こちらです!」
 青年が嬉しそうに笑う。洋也が少し残念だと思ったことは、その唇が秋良と は違う。
 青年が先に立って歩き始める。
「強いんですね。何か武道とかされていたんですか?」
「昔に少しだけ」
「へー、そうなんですかー。カッコ良かったです」
 背後から見れば、秋良と似ているところは何も見えない。洋也はそれが少し 残念に思う。
「こちらです。N社の方の控え室になります」
「ありがとう」
 洋也がドアをノックしようとした時、ドアが勢いよくこちらに向かって開い た。あわてて身体をずらしたが、青年は洋也の背中に隠れてそれが見えなかっ たのか、逃げ遅れてぶつかってしまう。
「うわっ!」
「大丈夫か?」
「え? あっ、ミツヤ先生!」
 三人の声が重なった。
 洋也は転びそうになっていた青年の腕を伸ばして支えていた。青年はひどく 驚いているようだった。
「大丈夫ですか? ミツヤ先生。そろそろお着きになると思って、駐車場にお 迎えにあがろうかと」
「ミツヤ先生?」
 N社の社員の言葉に、青年の声が重なる。
「ミツヤ先生って、あのミツヤヒロム先生ですか?!」
 助け起こされた恰好のまま、青年が裏返った声で叫んだ。
 洋也は苦笑して、青年の腕を離した。
「君、アルバイトは黙っていなさい。お客様に迷惑だろう」
 青年はあっと口を開いて、慌てて頭を下げた。
「すみませんでした! 失礼します!」
 顔を赤くして、青年はバタバタと駆け去った。若い頃の秋良をもう少し見て いたいような気がしていたのだ。
「何か失礼なことをしませんでしたか?」
「何も」
 洋也は表情を戻して、N社の制作部長の河北に向き直った。
 彼が洋也をこのゲームショーに引っ張り出した張本人である。
 新作のゲームを依頼されたのだが、あまりにもスケジュールが過密になるの で、断わったのだが、その埋め合わせに、先日発売されたゲームのファンのた めに、10分程度、話をして欲しいと頼まれたのだ。
 洋也はそれまでは断わることもできずに、本当にその間だけと念を押して、 出かけてきた次第であった。
「もうほぼ準備はできております。午後12時ちょうどから始めてもよろしい ですか?」
「取材と写真は入りませんね?」
 事前にそれだけは絶対駄目だと言っていたことを、確かめるように聞いた。
「はい、もちろんです。純粋にお客様だけにブースに入ってもらっていますの で、ご安心下さい」
 河北に案内されながら、洋也は展示場に足を運んだ。
 今も入場制限はされているのだろうが、場内は人と熱気で渦巻いていて、人 に酔いそうな騒々しさだった。
 これでは秋良を連れてこなくて良かったと思った。疲れさせてしまうだけの 結果になっただろう。
 出番を待ちながら、河北の歯が浮くようなお世辞を聞かさせる。うんざりし かけていると、ようやく出番になった。
 半透明の黒いサングラスをかける。それだけで人相を隠せるはずもなかった が、昔から顔をじろじろと見られるのが嫌いなので、こうすれば少しだけまし なような気がするのだ。
 学生時代から、自分の無表情に近い、感情のない顔が好きではなかった。
 周りの人間にも興味がなかったので、自分と周囲を遮断するサングラスは、 必需品に近かった。
 秋良と出会ってからは、あまりかけなくなっていたのだが、こんな場所に来 ると、視線が集まるのが耐えられなかった。
 洋也の外見だけを見て、中身を見ようともしない。女性は外見だけに惹かれ、 なのに冷たいと洋也を恨むようになる。男性は嫉妬なのか妬みなのか、洋也の 実力を見ようともしない。
 そんな社会に対する蔑みもあった。秋良がいなければ、とうに日本に収まっ てはいなかっただろう。
 抽選で選ばれた50人ほどの観客は、洋也が登場すると一生懸命拍手をして 出迎えた。
 場内に設けられた小さなブースなので、舞台と言っても観客席とはかなり近 い。10センチほどの段があるだけで、本当に手を伸ばせば、客席に届きそう である。
 そんな客席の隅に彼がいるのが見えた。
 今はスタッフジャンパーを脱いでいるが、その顔を洋也が見間違えるはずが ない。
 彼は懸命な目つきで、舞台の洋也をじっと熱く見つめていた。







 いささか誇張気味の紹介をされてから、インタビュアーに答える形で、シナ リオ通りのトークを進める。
 制作段階の苦労話や、秘話といった話題はファンにとっては垂涎ものらしく、 身を乗り出すように聞いている若者の姿が目立った。
 現在人気を得ているN社のゲームの続編は予定がないと洋也が告げると、残 念そうなため息が会場のあちこちから聞こえた。
「待ち望んでいるファンも多いですから、ぜひ、続編もお願いします」
 インタビュアーの声に、会場のファン達が拍手する。
 洋也は苦笑しながら、返事を濁した。
 続編を作るつもりではなかったそのゲームは、続編を出せばシナリオに無理 が出るのはわかりきっている。キャラクターに頼るだけのゲームは絶対作りた くなかった。
「先生、本日はありがとうございました」
 その言葉に洋也が立ちあがると、客の幾人かが手を上げた。質問があるとい うアピールだろう。
 インタビュアーが物言いたげに洋也を見たが、洋也は会場に軽く頭を下げる と、あっさりと舞台を下りた。
 最初から質問は受け付けないと言い渡してある。それが今回出演する際の絶 対条件だったのだ。
 洋也の退場に軽いブーイングも起きたが、まったく気にすることなく、幕下 に戻ると、満面笑みの河北が揉み手で洋也を出迎えた。
「ありがとうございます、ミツヤ先生。お陰様でわが社のブースは大盛況でご ざいます。S社の悔しそうな顔が目に浮かびます」
 常にシェアを分け合うライバル会社の名前を出して、河北はホクホク顔であ る。
「いかがですか、この後、ちょっとした席を設けさせて頂きました。本日のお 礼も兼ねまして、常務もご一緒させて頂きたいと申しておりまして」
「仕事の合間を抜けてきましたので、これで」
 洋也はサングラスを外して、冷たい声で短く挨拶をする。
「あっ、ミツヤ先生!」
 なんとか引き止めようと追いかけてきた河北を、冷ややかな視線一つで止め て、洋也はさっさと引き上げた。
 関係者通用口には、先ほどの青年はいなかった。彼が言っていたもう一人の アルバイトが所在無げに立っているだけである。
 洋也が通るとこちらを伺うようにお辞儀をした。
 警備員は配置されておらず、いい加減な反応に少なからずむっとする。
 だが、自分にはもう関係のないことだとばかりに、洋也は車に戻ってエンジ ンをかけた。
 結局、秋良に似た青年とはもう会えなかったが、偶然の幸せな出来事に、洋 也は家路を急いだ。

「おかえり、ほんとに早かったねー」
 玄関で出迎えたくれた秋良に、洋也はほっとする。≪自分の≫秋良がここに いて、こんなふうに出迎えてくれることが本当に幸せだと感じる。
「ただいま」
 エプロン姿の秋良を抱きしめ、唇に帰宅の挨拶をする。
「んーーー、もう!」
 あまりに長い挨拶に秋良は洋也の胸を押し返そうとするが、その手を器用に 除けて、強く抱きしめる。
 確かに挨拶以上のキスを仕掛けたのは洋也だが、いつまでたってもそれを恥 ずかしがる秋良が可愛くて仕方がない。
 そんな秋良を見たいがために、さらに恥ずかしがることをしてしまう。
 恋人の甘い香りを吸い、クスッと笑う。
「なに笑ってるんだよ、もうー。誰かが入ってきたらどうするんだよ、玄関で、 もうーーー」
 赤くなった唇を尖らせ、秋良が睨みつけてくる。もちろん、洋也には可愛い と思えるだけで、怖くも何ともないのだが。
「今夜はシチュー?」
 秋良の髪に少し移った匂いから想像して告げると、秋良はどうしてわかるん だろう?と首を傾げる。
 その愛らしい様子に、洋也はまた笑ってしまう。
「今夜の洋也、変に笑ってばかりで気持ち悪い」
 秋良は眉を寄せて、顔を顰めると一人でさっさとキッチンに戻った。
 気持ち悪いといわれて、洋也は肩を竦めると、スーツを着替えるために自分 の部屋に戻った。
 仕事を言い訳にさっさと帰ってきたが、あまり嘘ではなく、確かに仕事は残 っている。
 だが、それは恋人が寝てからにして、どんな料理よりも美味しい秋良の手作 りの料理を楽しむために、ダイニングへと向かった。

『先生申し訳ありません。先日イベントでお礼と書類をお渡しするはずだった のですが、うっかり忘れてしまいまして。実は先生の担当のものが長期の休暇 を取っておりまして、新しい担当を紹介させて頂きたいので、先生のご都合の いい日にお礼とお詫びを兼ねて、お伺いしてもよろしいでしょうか』
 河北からの電話はイベントの翌日にかかってきた。
「ちょうど他に出向くところもあるので、明日にでも僕が出社します」
 自宅にどんな人間かもまだわからない新しい担当など招き入れたくなくて、 洋也は自分から出向くことにした。
 河北は平身低頭の様で洋也の申し出を受けてくれた。
 仕事を断わったので、新しい担当もすぐには必要もないのだが、繋がりを切 りたくない会社としては必死なのだろう。
 気の進まないまま、洋也は新しい担当と顔つなぎをして、N社のビルを出た。
 ビルのガラスドアを出て、ポーチを横切って駐車場に方向転換をした時、歩 道から飛び出してきた人影とぶつかった。
「す、すみませんっ! ごめんなさいっ! あっ! あぁぁぁ」
「君は…………」
 ぴょこんと頭を下げた青年は、自分がぶつかった相手を見て、驚きの声を上 げる。
 秋良によく似た彼が、目をいっぱいに見開いて、洋也を見上げていた。



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