事務所を出たところで呼び止められた。
「すみません。至田さん、ですよね?」
 振り返った先には、若い男が不自然なほどにこやかな笑顔で立っていた。
「僕、こういう者です。至田さんにちょっとお話を伺いたいと思いまして」
 差し出された名刺には、森下圭祐という名前と携帯の電話番号が書かれているだけだ。
 どうして俺の所に。とぼやきたくなる気持ちを隠し、「話って何?」と面倒そうに訊き返す。
 ジーンズのポケットから携帯電話を取り出して、ストラップを持って横に振る。
「ちょっとお時間いただけますか? そこの喫茶店でお茶でも」
「いいけど……。30分だけだな。俺にも仕事がある」
 ちらりと時計を見る。
「はい。あまりお時間は取らせませんから」
 愛想よく笑う森下という男に、至田はうんざりした様子を隠さずについていった。

「僕は少年犯罪について、非行に走る少年たちが、児童期をどのように送ったのかが深く関係しているのではないかと、それを検証してルポルタージュにまとめようと考えています」
「だったら、俺には関係ないね。俺はたかが町の学習塾の講師だ」
 さも興味がなさそうに携帯を弄る。弄っているふりをしながら、メールを作成する。
「安藤あきよしさんをご存知ですよね。大学の同級生の」
「あ? 安藤? あぁ、いたな。ぼやっとしたのが」
「今何をしているか、ご存知ですか?」
「知らないねー。毎日の生活に必死でさ。塾の経営は苦しいんだ。学友達がどうしているかなんて、交流している暇もない」
 音は消しているので、ただ携帯を弄っているだけに見えるだろう。簡単な文章を作る。
「安藤さんは今、小学校の教師をしています。そこの生徒が先日、万引きをしましてね」
「万引き?」
 さぁ、お前は何分で来る?
 くすりと笑いながら、登録したアドレスの中から、友人の名前を選び、送信する。
「はい。それでですね。その少年から話を聞きまして、安藤先生の指導や人柄に問題があったのではないかと、僕は考えたわけです。そこで、安藤先生を知る人にお話を伺いに回っている訳です」
「そりゃ俺にとこに来るのは間違いだわ。俺はアキ……安藤とはそれほど仲が良かったわけじゃない。鳥羽って奴に聞きに行くんだな。奴が一番仲が良かった」
「その方も教師でしょ? 学校の先生は身内を庇いますよね。本当のところが聞けないんじゃ、正確な記事は書けないと思いまして」
「正確ねぇ……」
 失笑してしまう。正確さを狙う記者が漏らした失言は、もう少しあとで追及してやろうと、意地悪なことを考える。
「思い出される範囲でいいんです。先ほどぼやっとしたとおっしゃっていましたが、頼りないという意味でしょうか」
 いかにもな感じでシステム手帳を広げて書く用意をしている。
「俺の名前はもちろん隠してくれるんだよな?」
「はい。もちろんです。至田さんのお名前は決して出しません」
 相手が意気込んで答えた時、メールが返ってきた。中身は至極短い。
【すぐ行く】
 散々玩んでいた携帯をパタンと閉じて、居住まいを正す。
 至田の様子に森下はどうしたのだろうと不思議そうにする。
「君、ちょっと訛りがあるよね。俺の田舎と同じじゃないかな。長野出身なんだけど」
「長野ですか? 近いけれど違います。僕は山梨の方なんですよ」
「へー。そっちかー。しかし、田舎から出てきて、その若さで、一本のルポを書くのって大変だろう。俺も報道を目指したことがあるんだよな。だけど、あまりにも大変そうで諦めたくちだ」
 ちょっと自尊心をくすぐってやるが、相手は曖昧に笑うだけだ。謙遜というよりも、そのことについては触れられたくないというように見える。
「それで、安藤先生のことなんですが……」
「あぁ、安藤ねぇ。そうだな、いい奴だった。それ以外に覚えてないなー」
 のらりくらりと肝心の部分をかわすと、次第に森下が苛立ち始めたのがわかる。
 ちらりと時計を覗き見ると、既に約束の三十分近くはたっている。
「そうですか。それじゃあ仕方ないですね。ありがとうございました」
 至田では駄目だと判断したのか、森下は話を切り上げようとした。
 鳥羽が到着するまでには最低でもあと10分は必要だ。
「あぁ、そういえば、安藤の奴、教師を辞めようとしていたときがあるって聞いたなぁ」
 浮かしかけていた腰を下ろす。
「それって、今の高校2年生を受け持っていた頃のことでしょうかね? 万引きしたのが、安藤先生が一年目で受け持った生徒なんですよ」
「さぁ? そこまでは。安藤が田舎に帰るらしいって、風の便りに聞いただけだからなぁ」
「どなたからお聞きになりましたか? 誰とも付き合いがないって、さっきは」
「だからさ、卒業したての頃はそれなりにみんなが情報交換するものじゃないか。俺のところにも今何をしているんだって、お節介が聞きにきて、そのついでに話を聞いただけだよ。なんなら、そいつの名前を教えようか?」
「えぇ、ぜひ」
 勢い込んで前のめりになった森下に、至田は開いたばかりの喫茶店のドアを見て、にやりと笑う。
「じゃあ、紹介してやるよ」
 にやりと笑った至田の横に一人の男が座った。
「あの?」
 森下は不審気に至田と鳥羽の顔を見比べている。至田は貰ったばかりの名刺を鳥羽に見せてやる。
「ビンゴ。山梨出身だってよ」
 鳥羽は名刺の表も裏もじっと眺めて、それをテーブルに滑らせた。
「至田さん、この方は?」
「さっき話しただろう? 鳥羽だよ。一番仲のよかった。君の知りたい事なら何でも知ってると思うよ。ただし、話してくれるかどうかは保証しないけれどね」
「話すわけがないだろう」
 憮然とした様子で鳥羽はきつい眼差しで森下を睨みつけた。
「ルポライターなんて嘘だろ。秋良の何を調べてる?」
「アキラ?」
 不思議そうに名前を呟いた森下に、至田はふふんと笑う。
「ちゃんと調べてから来いよ。お前が調べたいのは安藤秋良。アキヨシなんていう名前じゃないんだよ」
「そっ、それは……」
「で、お前、何者だ?」
「ルポライターです。名前を読み違えたのは、名前の漢字って間違える事が多いじゃないですか。それくらい、よくあることでしょう」
「だけど、さっき俺に言ったよな。万引きした生徒、って。仮にもルポライターが万引きなんていう言葉を使うかなー?」
 至田の指摘に、森下はそれのどこが悪いのだとむっとしている。
「万引きなんていう犯罪はないの。ルポライターなら、窃盗という言葉を選ぶだろうな」
「最初に窃盗未遂の一人の生徒に接触して以来、三人に声をかけたがみんなに逃げられた。それで聞き込みの相手を大学時代の友人に変えた。最初に太田に声をかけたが断られて、至田に来たんだよな」
 鳥羽に詳細に自分の足取りを説明されて、言葉を失くす。
「山梨出身ねぇ。秋良と同じだな。年はまぁ、俺たちよりは若く見えるけれど、そんなにかわらねぇだろ」
「本当は何を調べたいんだ? これから先、どれだけ調べようとしても、誰にも話なんて聞けないぞ。さっさと白状しろよ」
「な、なんで……そこまで?」
 焦る森下に鳥羽たちは呆れたように笑った。
「リサーチ不足だな」
「ただの向こう見ずだろ」
 ガタンと急に立ち上がった森下の腕を、鳥羽がぎゅっと掴んだ。
「逃がさないぜ。ぜひともお前には白状してもらう」
「自分達だって、何も話さなかっただろう!」
「当たり前だって」
「じゃあ、聞き方を変えてやるよ。鬼塚って知ってるよな?」
 腕を掴んでいた鳥羽には、その名前に森下が過剰に反応した事がわかった。
「さぁ、話せよ。本当のことを。正直に喋ったら、悪いようにはしない」
「秋良にばれないようにするためだろう?」
 鳥羽のとりなしを、至田がばらしてしまう。
「それのどこが悪い?」
 悪びれもせずに、鳥羽はしれっと聞き返した。






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