テーブルに並べられた夕食に鬼塚は目を丸くする。
どうせ男の作った食事、焼くなり煮るなりしただけの簡単なものが並ぶと思っていたのだ。
それがサーモンのマリネ、ソラマメのスープ、鴨もも肉のコンフィー、ヒヨコマメのサラダなどが並び、ワインまでが用意されていた。
「おいしそう」
秋良は喜んで自分の椅子に座り、鬼塚に隣の席を勧める。
「すごいですね、これ、全部貴方が?」
「お口に合うといいんですが」
言いながら、洋也はワインの栓を抜く。自分のグラスに薄く注ぎ、薫りと味を確かめ、鬼塚のグラス、秋良のグラスへと注ぐ。
「では、二人の再会を祝って」
洋也の口火で乾杯をする。
そこからは一見、和やかに会食は進んだように見えた。
鬼塚は高校時代の話をし、地元に残った同級生達の近況を教え、卒業してからの経過を説明した。
会話は鬼塚と秋良を中心に進み、洋也はほとんど取り残された形になっていた。
途中から秋良はその状態に気づき、洋也にも話を振ろうとするのだが、鬼塚はそんな雰囲気に気づかないのか、強引に話を続けてしまう。
「ごちそうさまでした」
話に夢中になっていたためか、秋良はいつもより箸が進んでいた。反対に話の中心になっていた鬼塚はあまり食べていない。
「もういいの?」
「あ、あぁ、さすがにちょっと疲れたかな」
「じゃあ、お風呂に入って、寝たほうがいいかな。明日は面接なんだし、すっきりさせて行かないと」
本人よりも秋良の方がやる気に燃えているように感じられる。
「もうお風呂の用意も出来てるよ。先に入ってきなよ」
「でも……」
厚かましくはないだろうかと、ちらりと洋也を見る。
「お先にどうぞ」
秋良と一緒になどと言われると、何が何でも阻止するが、そうでなければ全く興味ないという風である。
「じゃあ、すみませんけど」
秋良が案内して二人がダイニングから出て行って、洋也は片づけを始める。
「ごめんね、自分達ばっかりしゃべってて」
鬼塚を風呂に案内した秋良が戻ってきて、片づけの手伝いを始める。
「久しぶりに会うんだし、また今度って言ったらいつになるのかわからないんだし、僕のことは気にしないで」
そう言いながら洋也は小さく笑い、秋良の唇にキスをする。
「あっ、もう」
怒りながらも、秋良も笑う。
「だってお帰りのキスもしてないんだよ? おやすみのキスも今してしまおうかな?」
甘えるような言葉に、秋良は楽しそうに笑う。
「僕、前払いしたと思うんだけど」
「あれには挨拶のキスは含まれてないよ」
「なんだか、貰えるものは全部貰わないと気が済まない子供みたいだよ?」
優しくキスされながら、秋良はくすぐったさに首を竦める。
「秋良に関しては欲張りになるんだよ」
あっさりと認めながら、洋也は気になっていたことを聞く。
「お酒は飲まない人なのか? 好き嫌いもある?」
最初に注いだワインも半分ほどしか飲まなかったし、食事もスープ以外は残していた。
「高校生の時に離れたっきりなんだよ? お酒をどれだけ飲むかなんて知らないよ。好き嫌いは……なかったと思うんだけど。小食なのは緊張しているからなんじゃないのかな」
「そうだね。明日はもう少し食べやすいものを考えてみるよ」
「ありがとう」
「お礼ならあとでまとめて払ってもらおうかな」
「それがなきゃな!」
二人で笑いながら片づけていると、鬼塚が戻ってくる。
「お先でした」
「ゆっくり出来た? もう布団も敷いてあるんだよ。明日のためにゆっくり休まないと」
秋良がにこにこと友人を連れて出て行くのを見送って、洋也は小さな溜め息をついた。
秋良と寝室を別にすることになって、一人寝の寂しさを紛らわせるためにと、仕事を夜型に変えた。
客の予定を聞くと、秋良と一緒に家を出て、帰りも待ち合わせて帰ってくるということなので、昼に寝て夜に仕事をすることにしたのだ。
今までにも仕事が立て込んでくると、同じようにしていたので差し支えることはない。
書斎にこもり、ゲームのプログラムを組んでいると、夜の時間もさして長くは感じない。むしろ一日が短く感じられるくらいだ。
キリのいいところで手を止めて、熱いコーヒーでも飲もうかと廊下に出たところで、カタリと音がして足を止めた。
秋良は一度眠るとよほどでないと目が覚めない。ならば鬼塚がトイレにでも起きたのだろうかと廊下を進んでいくと、洗面室の電気がついていた。
秋良が気分でも悪くなったのだろうかと心配になり、少し開いていたドアを押すと、鬼塚が驚いて振り返った。
「すみません、秋良かと思ったので」
「あ、あぁ、……俺こそ、すみません。勝手に」
彼が手にしていたのは、洗面室に置いていたコップだった。
「喉が渇いたのなら、言ってくれれば……」
「いや、うがいをしただけですから」
ことんとコップを置いてから、じっと洋也を見つめてきた。
「何か?」
決して友好的とは思えないその険を含んだ視線に、洋也は不快さを感じながらも、それを表に出すことはせずに、ゆっくりと相手を見返した。
「この家、ずいぶん立派ですよね」
「ありがとうございます」
「車も二台もお持ちで」
「ええ、それが?」
一体何が言いたいのかと、洋也はドアに手をかけたまま、目を眇めた。
「安藤は家賃と生活費を渡していると言ってました」
受け取らなければ、秋良が納得しない。だから一旦は預かり、秋良の名義で貯金をしている。だがそれは鬼塚はもちろん、秋良でさえ知らないことだ。
「貰ってますね」
「この家じゃなければ、家賃だって、生活費だって、もっと安く済むと思うんです。この家は普通の教師じゃ贅沢すぎると思えます」
「そうですか? どの程度が普通かなんて、人それぞれだと思いますけれど。不満があるのなら、秋良から言うでしょう」
夕食の時から秋良と親密な態度を見せつけようとし、洋也が会話に入りにくいようにした相手だ。かなりうんざりしながらも、この言いがかりに反応すれば、相手の思う壺なので聞き流す姿勢でいた。
「安藤はそういうことを言えない性格だから。引っ込み思案なんですよ」
「高校時代はそうだったかもしれませんね」
今は違うとばかりに、きっぱりと言い返す。
たった三年ではないか。自分はもう、それ以上の月日を一緒に暮らしているのだと気づかせるための台詞に、鬼塚は悔しそうに視線をはずす。
「性格なんて、そう簡単に変わりませんよ。それじゃあ、おやすみなさい」
腹立ちまぎれのように洋也の脇を押しのけるようにして、部屋に戻っていく。洋也はうんざりしながらも電気を消そうとして、足元のゴミ箱からこぼれでた小さな紙屑に気がついた。
ゴミ箱に入れようとしてそれを摘んだ手が止まる。
銀紙の切れ端に刻まれたアルファベットと数字に、眉間に皺を寄せる。
その文字を記憶してゴミ入れに捨て、書斎に戻ってインターネットで検索する。
似たような文字列は出てくるが、一致するものがない。
見なかったことにすればいい。どうせ一週間もすれば出て行くのだ。本人だって隠そうとしているのだ。
そう思ったが、疲れた目と食欲のなさを思い出して溜め息をつく。
「この時間なら起きてるか……」
できる事ならば一番頼りたくない相手だが、この場合最も相応しいのはその人以外にいない。
携帯電話のメモリーから名前を選び出した。
徹夜で仕事をして、いつもの時間に朝食の用意をする。
秋良を起こしに行く前に、客の方が起きてきた。
「おはようございます」
まだ疲れの濃い鬼塚の様子に、朝食をどうするのか聞く。
「どこかでモーニングでも食べて行くつもりでしたから」
「もうすぐ秋良も起きてきますから、よければ一緒にどうぞ」
「すみません」
恐縮する様子を見せながらも、鬼塚は洋也を見るとき、瞳を冷たく暗く光らせる。
挑発しているのかとも思ったが、それにしてはその光は弱い。
今までにも秋良に思いを寄せた女や男から睨まれたことはあるが、似ているようで違うのだ。
鬼塚が身支度に行くと、廊下で秋良と朝の挨拶を交わす声が聞こえてきた。そろそろ起こしに行こうと思っていたが、もう起きてしまったらしい。
朝の楽しみが一つ減ってしまったが、これも一週間のことだと我慢する。
「おはよう、洋也」
「おはよう。朝食の用意は出来てるよ」
「ありがとう。あ、今朝は和食なんだ」
いつもは朝が弱く、ほとんど食べられない秋良のため、フレンチトーストやフルーツ中心になる朝食だったが、今朝は客もいることだしと和食にした。ただ、秋良や遠出で疲れている客のために、消化のよいメニューを並べたつもりだ。
野菜粥と温泉卵、魚も焼くのではなく、身だけを多目の汁で煮崩した。
それでも秋良は多くを食べられず、二人とも洋也からすれば半分ほどを残して、申し訳がりながらでかけていった。
そのまま洋也は戸締りをして仮眠をとった。
一人で眠るベッドはシーツが冷たく感じられて、また一つ深い溜め息がこぼれた。
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