待ち合わせた駅の、中央出口で待っていると、俄かに緊張してきた。
 高校卒業以来、音信の途絶えていた友人。
 親友と思っていたのに、いつの間にか許してもらえないほど、怒らせてしまっていた。
 大学進学のために上京してからも、何度か手紙やハガキを出したが、すべて無視された。夏休みの帰省の時に勇気を振り絞って電話をしてみたが、留守で伝言を頼んだが、連絡はなかった。
 迷惑がられているとわかって、追いかけてまで理由を問い質す勇気もなく、そのまま疎遠になってしまった。
 嫌われてしまった理由を一生懸命考えてみたが、自分の言動のどれもが悪かったような気がしてきて、けれど突然とも言える豹変振りに至るまでの理由とは思えず、結局は自分も新生活に追われているうちに、月日が流れ諦めてしまった。
 その友人から連絡があった。
 会いたいなと言われて、素直に喜んだ。
 困っている、泊めて欲しいと頼まれて、喜んで引き受けた。
 それを大学時代の悪友に、嬉しくて報告すると、鳥羽はうーんと唸った。
『それ、いいように利用されてないか?』
 鳥羽の言い分によれば、宿泊先に困り、真っ先に秋良を思い浮かべ、秋良なら断れないだろうと踏んで、何事もなかったように連絡してくるなんて、図々しすぎるというのである。
『そんなことないよ』
 むきになって言い返したら、じゃあ謝ってもらえたのかよと訊かれてつまった。
 自分が避けられた理由を聞けない。だから謝ってもらえるはずがない。そもそも謝るのは自分の方なのではないだろうかと思う。
 自分が何をするのにも鈍く、人を苛立たせるのはよくわかっている。
 きっとその辺に原因があったのだと思っている。
 だとしたら、謝ってもらうより、許してもらえたことの方が大切なのだと思うのだ。
 今日までに何度か電話で話をしてきた。
 まるで高校時代に戻ったように話が弾み、過去の辛い出来事などはなかったかのように、楽しい会話をもてた。それで十分だと思っている。
 鳥羽には『精々気をつけろ』と忠告されたが、そんな心配は無用だ。
 そう思っていたのだが、いざ実際に顔を付き合わせる時間が刻々と近づいてくると、心臓が痛いほと緊張してきた。
『もう会うこともない』
 そう言われたとき、その意味すらわからなかった。
 何も言えず、問えず、悲しみも怒りも湧く前に、気がつけば教室に一人取り残されていた。
 あの瞬間からやり直すのかと思うと、指先が冷たくなるような緊張感に包まれた。
「安藤! 安藤だろ?」  中央出口から吐き出される人をぼんやりと眺めていると、大きな声で名前を呼ばれ、一人の青年が駆け寄ってくるのが見えた。
 少年時代の面影を感じさせるその顔に、秋良はほっとするような、怖いような、複雑な感情を抱える。
「鬼塚……久しぶり」
 春用の薄手のコートを着て、ボストンバッグを持った友人の姿を、秋良は笑顔で出て迎えた。
 鬼塚も秋良を懐かしむように笑顔で見つめていて、秋良は緊張を次第に解いていく。
「少し痩せたか?」
 高校時代より少し頬の線を細くした友人は、秋良のその言葉ににっと笑う。
「そういう時は、精悍になったねって言ってくれよ」
 ぽんぽんと秋良の肩を叩く。
 あ、変わってない。高校時代からの変わらぬ彼の癖に、秋良はますます緊張を薄くしていく。変わっていないことが懐かしく、嬉しく、喜びでもあった。
「疲れただろ? 荷物、持つよ」
 友人の持つボストンバッグに手を伸ばしたら、彼は笑いながらカバンを引いた。
「おいおい、いつの間にかすっかり紳士になっちゃって。俺は男だから、そんな気遣いをするなよ。中は軽いんだ。全然平気さ」
「そう?」
 すっかり明るい鬼塚の態度に、秋良も自然と昔のように親しい友人としての、対応ができるようになっていく。
「で、乗り換えはどっちだ?」
「あ、こっちだよ。車で来たんだ。荷物もあるだろうし、疲れてるだろうと思って」
 上京する移動距離と就職活動中という事情から、かなり疲れているだろうと考えて車で来たのだが、実際に鬼塚の青白い顔色を見て、車できてよかったと思った。
「車? そっか、免許持ってるんだ。ってか、運転、大丈夫なのか? 方向音痴だろ? 反射神経も鈍いしさ、こっちでみんなのスピードについていけるのか?」
 たいがい失礼な発言だが、秋良はもう昔と同じ関係に戻った彼の言葉に笑って答えるだけの余裕ができた。ぞんざいな口振りの中には、秋良に対する心配が隠れているのだ。
「大丈夫だよ。ずっと、無事故無違反」
「ペーパードライバーは、違反も事故もしようが無いからなー」
「失礼な。毎日とはいかないけれど、週に一度くらいはちゃんと運転してるんだから」
 二人で冗談を言い合いながら、駅前のコインパーキングに向かう。
 ブルーの車体のオートロックをはずすと、鬼塚は驚きに目を丸くした。
「って、ワーゲンかよ。しかもビートル。教師ってそんなに儲かるのか?」
 ある日、突然家にあったのだとは言えずに、秋良は苦笑いする。
「これは友人のだよ。借りてる。さすがに自分じゃ買えないから」
 秋良の車だよとは言われたが、名義だって自分のものなのだが、自分の車だという自慢はできなかった。もちろん大切には乗っているが、どこか借り物だという気持ちは拭えない。
「そっか。親切な人だな」
 助手席に乗った友人がシートベルトを着けるのを見届けて、ゆっくりと車をスタートさせる。
「晩ご飯はどこで食べる? 帰る途中にいい所あるか?」
「うちで食べようよ。そのつもりで用意してるんだ」
「安藤が作ってくれるのか?」
 無邪気に聞かれ、秋良はごくりと息を呑んだ。覚悟を決めるように。
「僕じゃなくて、……友達が。言っただろう? 一緒に暮らしている人がいるって。この車も彼のだし、夕食も彼が作って待っててくれてる。家に着いたら紹介するよ」
 今はまだ友達としか言えなくて、心の中で洋也にごめんと謝る。どういう関係なのかと聞かれれば、その時には恋人として暮らしていると答えるつもりではいるが、進んでカミングアウトするのはまだ慣れていない。
「そうかー。本当に親切な人なんだな」
「うん。とっても……」
 紹介する前に洋也の印象を良く持ってもらえた様子にほっとする。
 やはり実際に会って、洋也を見てもらい、とても優しくて思いやりに溢れた人物だとわかってから、この人だから好きになったのだというほうが言い易い。
 明日からの予定などを聞いているうちに、車は秋良たちの住む家へと到着する。
 リモコンでガレージを開けて、車を乗り入れる。秋良の停めたビートルの横には、銀色のアウディが置かれている。
「これもその友達の車なのか?」
「そうだよ。そっちがメイン」
「一体、何やってる人なわけ? 確か、同い年だって言ってなかったか?」
「同じ年だよ。今は大学院生。それでコンピューターのソフトとか、ゲームとか作ってる」
「この家もその人の?」
 鬼塚は家を見上げ、見渡しながら、ほーと感嘆の声をあげる。
「そう。こっちが玄関だよ」
 秋良は先に立って歩く。友人は庭や家を見ながらついてくる。
「すげーな。……ぞう……うだ」
 ぽつりと呟く声に、玄関のノブに手をかけていた秋良が、何か言った?と振り返る。
「なんでもない。お邪魔しまーす」
「どうぞ」
 そういった秋良は既に腕の中に何かを抱えていた。
「え、なに、それ。ネコ?」
 今か今かと秋良の帰りを待ち構えていた仔猫は、玄関を開けるなり「抱け、抱け」とねだる。
「こんにちは、ミルクです」
 秋良がミルクの前脚を軽く掴んで、手を振る真似をする。
「ちっちぇー。こんにちは」
「こんにちは」
 ミルクにかけた声に被さるように挨拶したのは、もちろん仔猫ではない。
 低く響く美声に顔を上げると、黒のワンショルダーのエプロンをかけた、背の高い男だった。
 栗色のゆるいウェーブのかかった髪と、切れ長の涼しげなつり目。高い鼻梁と薄めの唇は、絶妙なバランスで男の端整な男らしい顔を美しく飾っていた。
 自分達より一段上に立っているとはいえ、それでも背が高いことはすぐわかる。
 迫力のあるその視線に見下ろされ、鬼塚は無意識のうちに一歩退いていた。
「彼が高校時代の友人の鬼塚だよ。鬼塚忠博。で、こっちが今一緒に暮らしてる、三池洋也。さっきも話していたけど、同じ年だから」
「お待ちしていました。どうぞ」
 まずは自分から世話になることに対して挨拶を述べなければならないのに、圧迫感のある迫力に飲まれて、何も言えなくなっていた。
 この威圧感はなんだろうと思う。
 同じ年? 信じられないくらいの貫禄に、とても同じ年とは思えなかった。
「五日間お世話になります」
 予定では五泊六日。今週いっぱいを就職活動に充てると、秋良には説明してあった。最初に予定していたより伸びた日数をどう説明したのかはわからないが、家主は何も言わなかった。
「これ、お土産です。俺らの故郷の銘菓なんですけど、お口に合うかどうか」
 荷物中から用意してきた包み物を渡す。
「ありがとうございます」
「あ、これ、洋也の苦手な奴だ」
 餡のたっぷり詰まったお菓子に、洋也は一つ食べるのにも苦戦する。
「え、すみません。安藤は昔から甘いものが好きだったので、これだと喜ぶかなと思って」
「いえ、秋良が喜びますから、喜んで戴きます。たいしてお構いもできませんが、ゆっくり滞在して下さい。どうぞ」
 スリッパを並べられて、鬼塚は靴を脱ぐ。
 一歩を踏み出したところで顔を上げると、しっかりと目が合った。
 自分を半ば睨み、半ば探るようにして見つめてくる、友人の同居人。
 薄い茶色の虹彩に、心の奥まで見透かされそうな気がして、次の一歩がとても重く感じられた。
 負けるものか。
 鬼塚は気合いを入れて、廊下を進む。
 もう踏み出してしまった。
 あの時止めた時間を、自分の意思でまた進めてしまった。
 もう一度止めることは……もうできない。



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