夕食が済んで食器を洗っていると秋良の電話が鳴り始めた。
 ごくりと息を呑んで電話を見つめる秋良を、洋也は心配そうに見つめる。
 秋良は覚悟を決めたのか、子機を持ち上げて通話ボタンを押す。
「安藤ですが」
『安藤? 俺、わかるか?』
 ずいぶん久しぶりな、懐かしい声に、秋良はごくりと息を呑んだ。
「鬼塚?」
 高校の卒業式以来、音信の途絶えていた鬼塚忠博の声は、記憶の中のものよりも少し大人びているように思えた。
『あぁ、お前んちに電話して、お袋さんにこの番号聞いた。……迷惑だったか?』
「ううん。久しぶり。元気にしてた?」
 鬼塚の声がただ懐かしむような響きだったので、秋良はほっとして、自然な笑みがこぼれた。
 洋也もその笑顔を見て安心でき、旧交を温める会話の邪魔にならないようにと、リビングを後にした。
 お風呂の用意をし、書斎で仕事の書類整理をしていると、コンコンとノックの音がした。
「どうだった?」
 ドアを開けて秋良を招き入れると、秋良は洋也の胸に飛び込んできた。
「秋良?」
 緩く抱きしめて髪を撫でると、秋良はほうっと溜め息を零した。
「昔さ、自分でもわからないうちに、あいつのこと怒らせていたみたいなんだ」
「秋良が?」
 そんなことは信じられないと、洋也は眉を寄せる。
「うん。僕ってさ、どうも周りのことに気配りができないし、不器用だし、側にいていらいらさせていたんじゃないかな」
 自分のことを謙遜を通り越して卑下する秋良に、そんなところなどないと教えてやりたい。
「でも、許してくれたみたい」
「そう、良かったね。で、久しぶりの電話は何の用事だったの?」
「別にたいしたことはなくってさ。今どうしてるのかとか、そんなことばかり」
 本当にそれだけだろうかと心の中で訝しむ洋也だったが、今は安心している秋良に余計な心配はさせたくなくて、そのまま抱きしめる腕の力を強める。
「また昔通りに仲良くやっていけるといいなぁ」
 何の疑いもない秋良に一抹の不安を抱きつつ、その喜びに水を差すことは忍びなくて、洋也は自分の胸の中にそれを押し込む。
 どんなことがあっても、秋良のことだけは守るのだと、決意と一緒に。

 それからも数日に一度の割合で、鬼塚から電話がかかってくるようになった。
 たいていが短いものだったが、時には長く話し込むこともあり、内心では苛立ちながらも、秋良の嬉しそうな様子に、イライラをぶつけることもできずに、黙って見守るしかできなかった。
 今までの断絶の分を話し終われば、こんなに頻繁に電話がかかってくることもなくなるだろうと思いつつ、秋良があまりに楽しそうにすると、苛立ちというよりも嫉妬心に胸を焦がしてしまう。
「あのさ……お願いがあるんだけど」
 おやすみと交わしたキスの後で、秋良が申し訳なさそうに切り出した言葉に、洋也はとうとうきたかと腹をくくる。
 そのうちに田舎に帰りたいと言い出すのではないかと、予想はついていた。これだけ話して、会わずにいられるわけがないと思っていたのだ。
「何?」
 横抱きに肩を抱いて問いかける。
 田舎に帰るというのなら、その時は自分もついていこうと、半ば覚悟を決めていた。旧友と会うのに同行はしないが、離れていたくないという気持ちが強かった。
 けれど秋良のお願いというのは、洋也の予想とは少しばかり違っていた。
「今度友達を三日ほど、ここに泊めてもいいかな?」
 秋良の頼みというのがあまりにも意外で、洋也はちょっとの間、返事を躊躇ってしまった。それを秋良はどうやら、NOだと受け取ってしまったらしい。
「やっぱり駄目だよね」
「そうじゃなくて。秋良、その友達って、鬼塚という人?」
 最近連絡を取り合っているのなら、彼しか考えられないのだが、いきなり泊まるということが何を意味するのか、洋也にも判断はつきかねた。
「うん。こっちにね、就職活動で出くるんだって」
「就職活動?」
 この年で?と自分の年齢を思い浮かべる。
「そう。今まで勤めていた会社が倒産してしまったんだって。それでさ、色々と調べて、こっちの方が今までの技術を活かせるかもってことで、こっちで何社か面接を受けるらしいんだ。今は無職になってしまうだろう? だから、少しでも出費を抑えたいらしいんだよ」
 その説明にどこか矛盾はないだろうかと、洋也は考えてみるが、自分が直接聞いたわけではないので、どうとも真偽はわからなかった。
「ごめん、迷惑だよね」
 洋也の無言に、秋良は早々に諦めてしまったようだ。
「迷惑じゃないし、駄目でもないよ。その間、僕は三池の家に戻っていればいいのかと思っただけで」
「洋也が嫌じゃなければ、一緒にいてほしいんだ」
「僕はいいけれど……。秋良こそ、いいのか?」
 秋良自身の部屋はあるし、一つの家をシェアしているという言い訳はできるような形態をとってはいるが、二人でいることを勘繰ろうとすればいくらでも悪く取られる心配はあった。
「その……さ、一緒に住んでいる人がいるってことは、言ってあるんだ。相手が同じ年の男だってことも。まだ……その……恋人だとは言ってないけれど、どんな付き合いなんだって聞かれれば、隠したくないんだ、僕の友達には」
 秋良のその気持ちが嬉しくて、洋也はぎゅっと抱きしめた。
「ひ、洋也」
 秋良は驚いて、洋也のパジャマを握りしめる。
 秋良の大学時代の友人は、洋也の登場の仕方が唐突だったので、二人が付き合う経緯から既に隠しようがなかった。
 それでも暖かく二人の関係を受け入れてくれている。
 それだけでも充分洋也は有り難かったが、秋良は自分の友人たちにも洋也のことを隠したくないと思ってくれているということが、何にも変えがたく嬉しいことだった。
「ありがとう、秋良。気持ちだけで嬉しいよ」
「ちゃんと言えなくてごめんね?」
 全然謝ることじゃないよと、洋也は秋良の額に唇を寄せる。
「それで、いつから泊まりにくるの?」
「……来週。……いいかな?」
 あまりにも急な話なので、秋良は言い難そうだった。
「来ても多分、ここには寝るくらいだと思うんだ。向こうは面接とか、他の企業も回りたいって言ってたし」
 なるべく洋也の邪魔や負担にならないようにと、秋良なりに心配してくれているとわかって、それ気持ちが嬉しかった。
 こんな秋良のどこが嫌になって、向こうから交流を断ったのだろうかと、そちらのことの方が気になった。が、そのことを持ち出して、秋良を落ち込ませたくないので、そっとしておく。
 今自分の傍にいてくれる秋良こそが洋也のすべてだった。
「でも、寝室は別にする?」
 念のために尋ねると、秋良はうーんと唸る。
 洋也は最初からそのつもりだったし、秋良もそうするだろうと思っていても、敢えて確かめたのは、三日間は『別居』になることに対して、少しばかり拗ねたい気持ちからだった。
「何も言わずに一緒の部屋で寝たりしたら、やっぱりびっくりするよな」
「だろうね」
 洋也が肯定すると、秋良は本当にすまなそうに洋也を上目遣いで見つめる。
「ごめん……」
 予想通りの答えに、洋也は苦笑しながら、秋良を抱き寄せた。
「だったらさ……」
 悪戯っぽく囁く。
「だったら?」
「その分、前払いしてもらおうかな」
「前払い?」
 何のこと?と洋也を見た秋良の唇を塞ぐ。
「んっ!」
 突然のことに驚いた秋良は、洋也の胸を押し返そうとする。その手首を握って、首を回すように導く。
「んん……」
 チロリと唇を舐めると、薄く開いてくる。割るように舌を差し入れると、滑らかな舌先が当たる。
 パジャマのボタンを外しながら、息さえも奪うように口接けると、秋良の喉が苦しそうに鳴った。
 激しいキスが嘘のようにゆっくり唇を離すと、まぶたが震えながら開いた。潤んだ瞳が洋也を見つめる。その中に非難の色はなく、ちろちろと愛欲の火が燃え始めているのを感じる。
 濡れた唇を指先で拭うように撫でる。
「……洋也……」
「愛してる、秋良」
 三日分なんてしないよ、と安心させるように微笑む。本当は一生分だってしたいけれど。
 パジャマを脱がせながら、現れた鎖骨に唇を寄せた。



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