待ち合わせの駅に着くと、友人は固い顔をして立っていた。その表情に決意の色が伺える。
 さっきまで顔を合わせていた彼の自信の源がわかったような気がする。
「安藤」
 名前を呼ぶと振り返る。強い意志のこもった瞳は、過去の映像と結びつかない。
「帰る前に、ちょっといいかな」
 秋良の指差した方向についていく。駅前の商店街を一つ入った通りは静かで、秋良は雰囲気のいい喫茶店に入っていく。
 一番奥の席に着くと、秋良は店の主人にコーヒーを頼んだので、鬼塚も「一緒で」とオーダーした。
 店の中には緩やかなクラシックのメロディーが流れているし、グリーンが多く配置されているので、隣同士といえども会話は届きにくくなっている。
 コーヒーが運ばれてきて、一口、口をつけると、秋良は覚悟を決めたように口を開いた。
「僕は鬼塚と一緒には住まない。洋也とずっと一緒にいるって、決めたんだ」
 きっぱりと宣言すると、ほうっと息をついた。
「あの人とはどういう関係なんだ?」
 何て応えるのだろうかと、少しばかり興味があった。その目を見ていれば、答えなどわかっていたのだけれど。
「恋人だよ。ずっと一緒にいるって誓い合った」
 迷わずに答える。まっすぐに見つめられたまま。
「俺が気持ち悪いって言ったら? ご両親にばらすぞって言ったら? 安藤は間違ってるって言ったら?」
 ずいぶん安易な反抗。馬鹿らしくなる。
「鬼塚の気持ちは、僕たちに関係ない。僕の両親は知っているよ。洋也のこと、認めてくれてる。誰にわかってもらえなくても、僕たちは間違ってないと、胸を張って言える」
 この強さはどこから来るのだろう。ほんの少しでいいから分けて欲しいくらいだ。
 鬼塚は泣きたい気持ちで笑った。
「鬼塚?」
 肩を小刻みに揺らせて笑う鬼塚に、秋良は心配そうに名前を呼んだ。
「なぁ、俺さ、実は就職活動に来たんじゃないんだ」
 唇が戦慄く。自分は何を言うのだろう。
「……え?」
 全く疑っていなかったのだろう。秋良がきょとんとしている。
「俺は毎日、会社訪問するふりをして、県立医大の付属病院で、点滴を受けていたんだ」
「どこか……悪いのか?」
 心配そうに聞いてくれる。騙されていた事実よりも、友人の身体を気遣ってくれる。こんなところは昔とちっとも変わらない。
「悪いところならいっぱい。一番悪いのは、ここ」
 鬼塚は左胸を指差した。
「心臓?」
「なんだかとても厄介な病気らしい。病名も一度じゃ覚えられなくてさ。ついでに言えば、日本じゃ治療できないんだってさ」
 秋良の顔が急激に曇っていく。
「移植するしか道はないらしい。もうすぐアメリカに行くんだ」
「それが成功すればいいんだよな」
「成功率20%だってさ」
「大丈夫だよ、きっと!」
 今までの空気も忘れて、秋良は必死で言い募る。まるで自分が病気のようだ。
「俺はさ、もうそんなのいいって言ったんだ。成功率は低い。成功したとしても、その後どうなるかわからない。それよりは残りの時間を自由に生きたいって思ったんだ」
 秋良は今にも泣き出しそうだった。テーブルの上に乗せた手が震えるほどに強く握り締められている。それだけでもう報われたような気持ちになる。
「なのに、父も母も何とかするって言って……っ、家も土地も売っぱらって……、借金までして………、……っ、費用を作っちまいやがった」
「……鬼塚」
 涙は堪えているが、それはほとんど無駄な努力となっていた。
「だからさ、安藤。アメリカに行くまででいいんだ。それくらいなら、三池さんもいいって言ってくれるんじゃないか? 友人同士、最後の親交を深めるだけだ。何も俺と付き合えって言うわけじゃない。だからさ、安藤、それまでの間、一緒にいてくれないか?」
 震える秋良の手を握りしめる鬼塚。
 秋良は驚きに目を見開き、赤い目をして、じっと見つめてくる。
「俺さ、お前のこと、ずっと好きだったんだ。高校生の頃、それが怖くて、お前から逃げ出した。ずっとずっと後悔していたんだ。頼むよ、安藤。俺の最後の望みだ。聞いてくれないか?」
 説得する口調は哀願となっていた。
 彼に詰られて、諦めていたはずなのに。
 諦めたからこそ、惜しくなったのかもしれない。
 秋良はゆっくりと瞬きを繰り返した。三度目にゆっくりと目を閉じた時、涙がポツリと零れた。
「……ごめん、鬼塚。……それは、できない」
 悲しそうに告げられる声。けれど迷いはないようだった。
「安藤……」
「僕は……洋也から離れられない。洋也を裏切るようなこともしたくない」
「何も恋人になれとは言ってないだろ」
「同じだよ。ううん、もっと酷いかもしれない。気持ちの上で裏切ることになってしまう」
「そんなに堅苦しく考えるなよ」
 秋良はゆるゆると顔を横に振った。
「君の病気のことには同情する。気持ちも嬉しい。でも、僕にはそれに応えられない。応えられない以上、君の領域に踏み込んじゃいけない。そして君にも僕たちの関係に踏み込んで欲しくない。僕たちは色んなことを乗り越えて、今の生活を築いたんだ。どんなことをしても守りたい。例え誰かを酷く傷つけたとしても」
 秋良は鬼塚の手から、自分の手を引いた。
「手術が成功することを祈ってる。それしかできないけれど。君は僕よりも、もっと周りの大切な人と過ごすべきだと思う。こんな所に居ちゃ……駄目だよ」
 …………秋良は貴方の頼みを断る……
 憎らしい声が甦る。
 彼の言うように、友人はもう、あの教室に置き去りしてきた友人とは違うのだ。
 大切な友人を得、恋人を得、色んな経験をし、大人になった。
 身を竦ませ、逃げ出した過去にこだわり、成長できなかった自分とは違う。
 けれど、彼の言うように、自分は今、止めていた時間を進めたのだと思った。
「ありがとう、安藤」
 突然聞かされる感謝の言葉に、秋良は不思議そうに鬼塚を見返した。
「ちゃんとした気持ちでアメリカに行けそうだ。両親も大切にする。投げやりになったりしないよ」
 鬼塚は笑えた。
 反対に秋良は泣きながら、うんうんと頷く。
「それにさ、本当は俺にも恋人が居るんだ」
「えっ?」
「こんな病気だから自由にしてやるつもりで別れたんだけど……、なんか、俺のこと、探してるみたいでさ。もう一度……話し合ってみるよ」
 秋良は本当に嬉しそうに笑い、新たな涙を零しながら、また深く頷いた。







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