その拾七 天を詠む歌

天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
巻第七 1068 詠み人知らず
(柿本朝臣人麻呂歌集より)
現在語訳

海のように広々とした天空に雲が波のように立っている。その中を月の船(上弦の月=船に例えている)が、星々の林に漕ぎ出でて隠れていくのが見えることだ

解説

柿本人麻呂は優れた歌人だったが、同時に優れた編集者でもあったらしい。優れた古歌を発見して、書きとめて置いたのだろう。万葉集に先行する歌集だ。しかし私の知る限りでは、残念ながら全貌は残っていないらしい。人麻呂自体、謎の多い存在である。「人麻呂の暗号」という韓流ブーム以前の時代に書かれた、古代朝鮮語で万葉集を詠むとどうなるか?という本が若い頃、ベストセラーになったが、どうやら、矛盾が多すぎて古代朝鮮語だと無理があるようだ。すぐ下火になって、どこかに消えてしまった。彼の時代には、既に日本語は独立した言語として、成り立っていたようである。古代朝鮮語が統一言語として成り立ったのは平安初期である。その前は百済語・新羅語・高句麗語など各国の方言があった。時代的に違う。当時、朝鮮半島は統一国家ではなかった事をここで指摘させて頂く。それに内容が余りにも呪いに満ちている。国家や権力者を呪う歌を高級官僚だった家持らが取り上げただろうか?いや、有馬皇子や大津皇子の歌でも、死刑になったことを悲しんでいるだけで、呪ってはいない。庶民である防人たちの歌や東歌でも、別れの悲しみや、苦労を歌っているだけである。普通なら、重税や重い課役に怒っても良いのに……と思うが。確かに、聖徳太子伝説や長屋王の祟りとされる事件もあったが……。彼らの歌にしても、呪いとは程遠い内容だ。
 前置きは長くなったが、長岡良子先生が漫画に二度も取り上げた歌だ。万葉集にしては、ロマンチックで想像力豊かな歌である。まるで「銀河鉄道の夜」を彷彿とさせる。宮沢賢治先生がこの歌を知っていたかは解らないが……。天空の広がりを海にたとえ、雲を波に、星々を遠くに見える陸の林に例えた、素晴らしい歌である。七夕の歌でもあり、送り盆の歌でもあるように私は個人的に思う。「月の船」に誰が乗っていたのか?今は亡き愛しい人や、親しい人の魂なら、救われるではないだろうか?古今変わらぬ思いだ。

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