その拾五 夕暮れの歌

木綿畳 手向の山を 今日超えて いづれの野辺に 廬せむ我
巻第六 1017 大伴坂上郎女
現在語訳

逢坂の手向の山を今日超えていったが、すっかり夕暮れで、家も畳んで(閉まって)いるだろう、どこの野の隅に、仮屋を立てて泊ろうか 私たちは……。

解説
 短歌は限られた字数の中に、色々な意味を込めなければならない。その典型的例の歌がこの歌である。大伴坂上郎女は万葉集の編者の中心人物(今では家持一人ではなく、発案者らしい父旅人、叔母の郎女ら、そして部下たちや友人たち、子どもたちも、万葉集の編纂に導入させられたという説が有力である)とされる家持の叔母だが、流石、掛け言葉で夕方になってしまったことを上手くあらわしている。木綿(ゆふ)とは今の木綿ではない。今の木綿は、室町末期から安土桃山時代に南蛮から中国を経由して渡ってきた新しい繊維である。多分、当時庶民の服に用いられていたコウゾやミズナラなど、繊維の柔らかい木の皮を使った織物の事だろう。
 旅館やホテルなどというしゃれた物は当時ない。庶民の家にも泊れない。おそらく高級女官だった郎女はお付きの女中や護衛たちと賀茂神社に行ったのだろうが、簡易防水テントのような物が既に当時あったらしい。蝋や油は当時もあったから、それで固めればある程度防水出来る。それを畳んで携行して行き、柱はその辺の木の枝を使えば可能だ。ただ、使えるのは上流階級の人のみだったのだろう。
 それにしても、当時は野には狼も出た。藤原京〜平城京で都会暮らしだった郎女には心細かった事だろう。そう思うと、この歌は巧みである。あたりに人里のない夕暮れの心細さと、途方にくれた一行の様子が思い浮かぶ。

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