その拾四 宴席中座の歌

憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 吾を待つらむぞ
巻第三 337 山上憶良
現在語訳

私、憶良めは、これにて失礼いたします。家では子どもが泣いておりましょう、えー、それ、その母親も、私めを待っておりましょうから……。

解説
 宴席での中座の歌である。ヨッパライ親父でも、照れがあるらしい。直接、我妹子(愛する私の妻)とは言えなかったのだろう。親父、と書いたのは憶良は遣唐使で当時先進国だった唐=中国に留学に行っていた。当時の留学は才能があれば、国費で行けたのだが、命がけで、何年も帰れないケースもあった。中には阿倍仲麻呂のように中国に骨をうずめた者もいる。
 彼の場合も、中国から帰って来てから官僚として宮中に仕えた。若くはなかったと思う。しかし、当時の女性の初婚年齢は12〜14歳。憶良の妻は若かったと思われる。しかも、婿入り婚である。「今日は早く帰ってきてね」と若い妻に言われたが、上司や同僚のいる宴席では言い辛い。そこで、宴席の余興に歌ったのだろう。
 おそらく、その後、それを真似て、例えば憶良の上司に当たるが「不比等らは 今は罷らむ……」(藤原不比等も自身の孫と同い年の娘が後妻の橘三千代に産まれていた)というような替え歌が流行ったのだろう。その情景が見えてとても面白い。

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