その拾参 雨の歌 

とほるべく 雨はな降りそ 我妹子が 形見の衣 われ下に着り
巻第七 1091 読み人知らず
現在語訳

雨よ、下まで濡れる程に降ってくれるな。私の大事な人が、旅の間無事を祈ってくれた着物を私は下に来ているのだから……

解説

 「我妹子」とはもちろん今でいう妹の事ではない。恋人、特に大事な恋人の事を男性から呼んだ言葉である。多分、正妻か、許嫁だろう。それ以外は「妹」となる。当時は、母系社会で、異母兄弟が結婚する事が多かった。(ただし、同じ母の兄弟の場合は、父親が違っても結婚出来ないようだ)万葉の時代になると、良くて従兄妹や他人同士の場合がほとんどだったが、呼び方だけ残ってしまった。
 ついでに言うと女性側から夫や恋人を呼ぶ場合は「背」となる。それも「兄(え)」が変化した言葉だ。それも、数人通っている男がいる場合は正式な夫の事である。
 当時は洋服のように、男物、女物の区別はそれほどなかった。そこで旅に出る時、着ていた着物を交換して、両方の無事を祈っていたのだろう。もちろん、雨具も蓑などはあっただろうが、それほど強い雨には対応出来なかった。五百年後の室町時代にさえ、古典落語「道灌」のモデルになった逸話のように貧しい所には蓑もない家もあった。
 それに、洗濯ともなると、今の和服もそうだが、ほどいて、洗い張りして、また縫うというご大層な代物。そうそう、替えも持てないだろう。
 だから、昔の人は、今のように着物を沢山持てなかった。着物と言えども、今の感覚とは同じではない。よごれたら大変だ。

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