その拾弐 夏の雑歌

夏草の露分け衣着けなくに わが衣手の乾る時もなし
巻第十 1994 読み人知らず
現在語訳

夏草の露を分けていく時の着物もないのに、私の衣の袖は、乾く時はない(あなたが恋しくて)

解説
当時は、結婚の形態が今と随分違っていた。男性が女性の元へ通う形式。妻訪婚である。財産分与方式も違い、男性は、父親から地位を。女性は母親から財産を受け継ぐ。
只、例外は宮中。宮中には女性が入る形である。もちろん、身分がある人は部屋がもらえるが、身分のない人は采女と呼ばれて数人で固まっていた。もし、その中で天皇の愛を受けて子供が出来ても「王」と呼ばれる事が殆ど。壬申の乱で天武天皇と戦った大友皇子は珍しい例外だ。
 この読み手の人はおそらく中流以下の役人と思われる。
 当時もレインコートのような撥水型の服は存在した。しかし、塗っていたのはおそらく蜜蝋。当時は高価でなかなか手に入らないし、夏草にはとげや刺す虫がいる。今はアスファルトの道だが、当時の道は土を踏み固めただけの道。当然、夏には草原同然となってしまうこともあったのだろう。そこを歩くだけで命がけのケースもあったに違いない。だから女性の元を訪れる事が出来なかった。そこで袖を涙で濡らしているという表現だ。男性が、泣くのは「恥」とされたのは武家社会になる鎌倉時代以後。当時は男性でも、表情豊かだったらしい。ちょっと大げさなようだが、この歌をもらった女性は、母性本能をくすぐって、慌てて丈夫な服を作って男性に送ったかもしれない。そう言う事を考えると面白くなる歌である。

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