Peppermint Tea

2013.11.30 62版

さわやかなペパーミントの香りに寄せて、ちょっと書いてみました。これを読んで、ほっと一息入れていただければうれしく思います。

 近況に詳しく書いてありますが、ある事情により、私は鬱状態に入っています。それを脱却させるために「猫の試練2013」を始めました。
 始めて見て、驚いたのは、時間を工面することの難しさです。とにかく、只でさえ睡眠時間や物語を書く時間を減らしているのに、二週間と二日だけなのに、身体と精神的負担が大きく困っています。毎度、何処を直すかに迷い、どれだけ時間がかかるのかと焦り、また、間違いや誤字脱字はないかと神経すり減らしています。
 やめて、せめて一日置きか二日置きにしようかと思いましたが、それでは、年賀状作成が間に合いません。困りました。
 今年、更新履歴と雑記集が貧弱なら、来年のものと、一緒にしなくてはなりません。どうしてもそれは避けたかったからです。
 けれど、これで鬱状態を脱する事が出来るか、と言うと、そうではありません。そんな甘い考えで、そんな企画をすると言う事は、この頃はないのです。
 その事情が原因なら、その事情が解決しなければ、鬱状態は脱却できません。その解決までの暇つぶしの一環、と思っています。
 しかし、疲れているのでしょうか?試練中、一日、更新できなかったです。「暇つぶし」ごときのことで、身体を壊したなんてこと、信じたくないし、考えたくない。今もぎりぎりでこの文章を書いています。
 本題に入ります。勝手に私が北先生没後に師匠と思っている玄侑宗久師の「日本人の心のかたち」を読んで?と思いました。日本人は対になる物を作るのが上手い民族と言いますが、どちらでもない「中道」を考えるのが、日本人の「特性」であり、特徴ではないでしょうか?
 何より「あはれ」の対極である?「をかし」の事を全くと言っていいほど師の著書には触れていません。「ちょいと師匠、片手おちじゃないですか?」と文句言いたい程です。もちろん、両方とも元々の意味は「趣深い」のでありますが……。今は逆の意味になっています。
 確かに「をかし」なんて呑気な事を言っている場合ではない災害に遭われ、今も原発事故に不安を感じている師には、そんな余裕は一切なし、と言う事はよーく存じております。しかし、災難すら「をかし」と思ってしまう民族性も日本にございます。実際、「日本人」の民族性が確立したのは事実上の「鎖国」が行われた平安初期以降です。全く「天神様」もある意味偉大なお人ですなあ。唐から学ぶべきものを散々学んで置いて、さて、その唐が落ちぶれて来て「遣唐使廃止」と言い出したのですから……。皮肉になりますが、その為に造船業者が失業、貿易商人たちも廃業……。道真さん、あんた、何万人かの人々を路頭に迷わしたかとお思いでしょうか?そりゃ、当時は儒教や道教、仏教の考え方では、商業が卑しい職業とされてきました。でも、現実的に現在も、「お金」の世の中ではございませんか?職業に貴賎はありません。貴賎は後から出来て来たものです。道真さんの末路は、私に言わせればその反動。呪うなら彼らです。彼らこそ「天神」にまつられるべきでした。日本人はそれを教科書で全く言っていません。切り替えもしくは挿げ替えのうまい民族と言うべきでしょう。
 しかし、江戸時代まで、その「悪習」は続きます。江戸時代「名君」と呼ばれるのは吉宗・松平・水野とケチンボばかり、逆に商業を斡旋した綱吉・田沼・家斉なとは「暗君」と呼ばれています。
 挿げ替え・切り替えのうまい民族、日本人の本領を一番発揮したのは終戦後のゴタゴタな時代です。戦犯なら、当時、最高司令官であった今の天皇陛下のお父上が一番先に裁かれ、絞首刑になるはずでした。しかしながら、東條首相がなってしまった。補佐役が身代わりです。当時天皇は「幼帝」ではありません。立派な不惑を超えた分別盛りの「大人」です。狂気の沙汰と言うべき、アメリカとの軍事衝突を、避ける事が出来たはずです。操られたとはとても思われません。「豚もおだてりゃ……」で慢心されて、当時の風潮に乗っちゃったとしか考え……。いえ、失礼しました〜。
 まあ、過ぎた事は仕方ありません。でも、西洋人は驚いたはずです。あれだけ、お国の為に死ぬ事を誇りにしていた日本人が、今度は「戦争反対」と叫び始めたのですから……。しかし、庶民にしては、思想等、どうでもよく、夫や親類を取り上げ、人殺しさせた挙句「名誉の戦死」と称して死なせた国の方が、立派な「仇」だったのでしょうね。たしかに私が西洋人なら「お前たちのアイデンティティーはないのか?」と詰め寄りたくなります。
 東洋の教えは儒教など一部の教えを除いて、「中道」という逃げ道を作っています。仏教でいう「中道」は親鸞の浄土真宗でしょうか?「正道」の臨済宗の僧侶であられる師からは到底、「中道」という考えは出て来なかったと思われますが……。ただ不二という言葉からは「ふたつではない」という意味もあります。なら三つ目の道もあるということもありうるのではないでしょうか。
 日本人は「をかし」の文化もあります。「あはれ」が知的階級、上流社会の専科なら「をかし」は当初上流や知的階級もありましたが、時代が下っていくと、庶民専科となります。「をかし」は今も生きています。漫画やアニメの文化、そしてお笑いの文化にです。ただ、今の芸なし芸人で、只、口先だけの芸人もいますが……。元はタイコモチ。幇間からと思います。
 日本発祥ともされる漫画やアニメは絵巻物に端を発します。最初の漫画の元祖は何と言っても「鳥獣戯画」ではないでしょうか。実物は私は見た事はありませんが、動物の擬人化などは、西洋のキリスト教の感覚ではありえない事。日本独自の考え方でしょう。狼、また山犬に育てられた人の話も「日本霊異記」に書いてあると聞きました。その書物、日本最古の「怪談」として有名です。今もSFや古代を舞台にしたファンタジーの下地になったりします。
 中国では絵巻物はあってもまず、そんな描き方はしないでしょう。犬に人間の衣装を着せたら「なんじゃこの不埒な」と思ってしまいます。虎と仙人と子供の絵でも、虎は虎です。西遊記で、動物由来の妖怪は出て来ても多くは悪役。孫悟空にしても最初は悪役でした。玄奘自身が、あまりにスーパーマンだったので、派生した伝説でしょう。
 中国にも「をかし」の文化はありましたが大衆の物になってしまいました。しかし、伝統の文化に昇格させたのは、日本が初めてではないでしょうか。落語は国の伝統芸術に指定されていると聞きます。人間国宝がいるとか……。私は、落語は本で読んで、「笑点」を見ているだけで実は良く知りませんが……。本で読んだ限りは、江戸時代の「御隠居」って、何でも知っていて尊敬を集めていたんですね。いまの邪魔っけにされる御隠居方と違って……。たしかにこのお笑いは「芸」と呼べます。棒読みでは笑えませんもの。
 一昨年の大震災の時、お笑い芸人さんたちも慰問に訪れました。こんな大変な時に「お笑い」なんて不謹慎なとまわりの批判もなんのその、好評だったと言います。確かに「災害を笑い飛ばす」だけのたくましさは、災害の多い日本人には必要だと思うのです。
 まあ、神話の時代から、そうです。天の岩戸にアマテラスオオミカミが御隠れになった時、普通なら困って暗ーい顔をして「出て来て」とお願いする所ですよね。ところが神様たちは違いました。アマノウズメに滑稽な裸踊りをさせて、笑い転げさせ、なんだろうと出て来たオオミカミを騙して出て来させます。古事記と日本書紀にも多少の相違があれ書かれている有名なお話です。
 この話を読んで、オオミカミ様って好奇心が強いお方だったのかしらと幼心に思って、笑っちゃいました。太古から「をかし」の文化があったのですね。しかもストリップとは過激な……。まあ、男女の交合の図を「笑い絵」などと言って性教育にも使ったらしいから、日本人はおおらかと言うか……。(こらこらと超マジな誰かさんから言われそうですね)ともあれ、その伝統、今でも続いているとは驚きです。
 悲しい時ほど、笑い飛ばそうと言う文化が日本に遭ったと言う事を「をかし」は教えてくれます。「あわれ」なら余計、悲しくなっちゃいますよね。
 売名行為でも何でもいい。そういう時は、若いアイドルやお笑い芸人さん、ボランティアにどんどん行って下さい。復興はまだまだと見ます。暗い人たちを明るく前向きにさせる事は、神代の昔からの伝統です。頑張って下さい。(と、ここで言っても、お笑い芸人さんが見てくれていると言うことはまずないですね。とほほほ……)
 私自身、「可哀そうにね」とあわれがられて、みじめになって余計泣いてしまったことが多々。「それでも、ちゃんと就職して結婚したじゃない。あんたは幸せだよ」と言ってもらった方がよほど力になります。寄付よりも、行って何かその土地の名産を一つでも買った方が良い。私はこの頃、それが復興の第一歩だと思うようになりました。
 真面目な玄侑師は、多分、「をかし」の方を不謹慎な……と思い書かれなかったと思います。庶民の芸能・文化ですから……。でも、それの上流化が狂言です。能と狂言はセットで演じられる事も多いです。ただ、「あわれ」は消えても「おかし」は、極端な話ですが、日本と言う国が中国に併合され、無くなっても日本人の心に残るような気がするし、対極にあわれも残るような気がするのです。どんなに日本人の形が洋風化、言葉が英語になろうとも「心」は残る、それはそれで良いのではないでしょうか?
 お正月の初もうで。それが典型的な例です。神社にも、お寺にも双方行く人いるでしょう?神道の考え方で、本来の仏教の方は正月(門松)は「冥土の旅の一里塚」めでたくもありめでたくもなしでしょ?喪中が神道の考え方で死は穢れとするのも神道からの考え方とは知りませんでした。
 本来、喪中はがきってのは喪は穢れと言う考え方以前に、「悲しくて明けましておめでとう、なんて言ってられるか」と言う時に使うのであると思います。ある意味、親戚でもない美空ひばりさんの大ファンだった漫画家の赤塚不二夫先生、美空さんの亡くなった翌年の年賀状を喪中にしたって話、正しいと思います(嘘かホントか解りませんが)。本来、誰でも良いんです。喪中って言うのは……。赤の他人でも、喪中にするべき人を持っていた赤塚先生は素晴らしい人と、思いました。そう言えばこの人にも「不二」ついてましたよね。ぐうぜんでしょうか?
 本来、形のない「こころ」に形をつけた玄侑師の著書にはちと無理があるにしても、この頃、「忠臣蔵」の方が変わって来ました。あまり劇化されません。単なる私闘で押しこみも同然。同情すべきは吉良の方。という私の与太説、利いているのかしらね?そもそも、忠義とい考え方が薄れて来たように思います、
 そう言えばもうすぐ打ち入りの日。吉良では吉良義央公の法要が今年も行われるのかしら……。「赤馬の殿」の資料集めもままならぬ私は、吉良どころか北名古屋の父の墓参りもままなりません。門外不出の「青衣の天使たち」シリーズと違って出来たら電子書籍化を考えていますが……。出来るのが早いか私が死ぬのが早いか、果たしてどっちが早いのか?
 日本語ももともと、文字がない言葉でした。それでは古代の人はどう残したのかって?語り部と言う記憶者集団に暗記させていました。それを輸入した、中国の漢字に宛てたのが「古事記」。天皇の命でかなり編集が入っていますが、体系化したのが日本書紀です。古事記の原型の聖徳太子が編纂したとされる「天皇記」は残っていません。おそらくそれは漢訳でしょう。そこで、聖徳太子も架空の人物とされる学説が主流ですが、私は聖徳太子は「いた」という説を支持します。ただ女帝の時代なのでアマテラスを女神としたのは変わらないと思います。
 形がない言語を漢字仮名交じり文で後世に残そうとした先人は、すごいと思います。それに少し勉強すれば昔の言葉も解っちゃう。日本人って案外「すごい」民族と思うのです。
 日本人はこれからも、どんどん変わっていくと思います。しかし、ボーンというか骨格というか、変化に柔軟な所は、変わらないと思います。変わるなら変わるで良いんではないでしょうか?それはおそらく不要な物なのですから……。
 私が着物を「不要」と持たなかったように。そう言えば、シンプル・オブ・ペストというのも日本人独特の考えです。私も、日頃気がつかなかったのですが、日本人だったんですねえ。
(玄侑師、これを万一、読まれて怒らないで下され。馬鹿がぼさいていた事と、一笑して下されば幸いかと存じます)

善光寺 
古い写真ですが、二月の灯明祭りの頃です。
暗いのでボケてしまいました。

近況

 春に東京に二度行きました。念願のラファエッロの絵画を見て、感動しました。「体力が残っているうちに、大学に行きたい。そして勉強して、もっと書く作品に幅をつけたい」とふと思い立ちました。ラファエッロは自分の一生で一度、実物を見たいと思っていた画家です。念願かなって、自分の人生で足りなかったのは、大学に行って知性を身につける事と思いました。
 勉強をし始めようとして、唖然。国語と社会・科学はともかく、英語・数学は小学校レベルからやりなおさなくてはなりません。とりあえず、一番苦手な計算から始める事にしました。掛け算の原稿を作り、100の段まで丸暗記する事にしました。
 ありがたいことに、インド式計算の本を友人から頂き、ボツボツと始めました。
 しかし、その矢先です。うちのお勢津ちゃんが倒れてしまいました。初めは意識がなくなって、私とさくらんぼが呼べど叫べどダメです。救急車で運ばれて、診断された結果は「低血糖」。無事退院です。しかし……。その二週間後、何と腰が痛くなり、「病院で診てもらおう」とお盆休みだったさくらんぼと私は渋るお勢津ちゃんを連れて病院に……。今度は「尿路感染症」。抵抗力が年と共に弱くなってきているそうです。退院後、叔父たちが来て、渋る彼女の部屋に無理矢理、ベッドを置きました。だが、ようやく少し、歩けるまでに回復しましたが、私たちでは、とても介護は無理。主治医の先生に相談したら「介護認定うけたらどうか?」との事。手は動くので、「ダメ元で……」とお願いして、色々手続きもありましたが、要支援という段階で認定がおりました。それでも、デイサービスで、施設でさまざまな指導が受けられ、一日中、気の合わない娘と顔を突き合わしていても仕方ないし、すでに素人目にも鬱病の症状が出ていましたので「気分転換に……」とまた気の乗らないお勢津ちゃんを説得。行く事にしました。ようやく、彼女も鬱から脱しかけています。
 しかし、家事負担が増えたのは私。毎日、苦手な料理や掃除・洗濯に時間を取られてしまい、勉強どころではなくなりました。それに、週末以外、引きこもり状態なのでこちらも鬱。大学入試勉強どころか、大好きな物語や、ビーズ、ようやく、少し出来るようになった袋作りも中止状態。ストレス発散しようにも外出は出来ず、こちらも鬱状態で疲れが貯まっています。(私のいない時に限って、お勢津ちゃんは無理をしがちです。で翌日、容体悪化……の悪循環で、安心して遊びや本を借りに出られません)しかも、平日はさくらんぼのお弁当作り。苦手なので早起きのお勢津ちゃんに任せてあった事なのですが、それも私の担当に……。さくらんぼを起こす作業もありますので、お勢津ちゃんがする作業の時間で言うと二倍です。さくらんぽ、起こしても起きて支度出来るまで何と一時間。どうしても、最低で5時ジャストに支度を始めないと、バスに間に合いません。それに毎日、火傷や手の怪我の危険があります。まあ、メニューは毎日、同じなので、迷わなくていい所がマシかと思います。彼は揚げ物は胆のう炎を起こして以来、嫌っていますので、作りません。揚げ物は私の苦手分野です。
 夢は諦めませんが、治るものなら、治療して、何とか自分の好きなものを作れる位にお勢津ちゃんが治ってくれることを願いますね。大学の入試勉強や、物語やビーズなど、趣味は細々とやれる時にやりたいと思います。それには、私自身の鬱状態を少しずつ治したいと思います。ただ、今回の猫試練は楽なのにしましたが、それでも過労状態です。
以上
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