Peppermint Tea

2011.08.02 59版

さわやかなペパーミントの香りに寄せて、ちょっと書いてみました。これを読んで、ほっと一息入れていただければうれしく思います。


 暑中お見舞い申し上げます。

 ご無沙汰して、申し訳ありません。実は親類や身内に不幸や入院などが重なりまして、ネットお休みしていました。
 詳しい(そんなに詳しくないですが)事情は、近況の方に書きますので、そちらをお読み下さい。ただ、ブログの方が詳しいです。断続的にはなりましたが、細々とでありますが、ブログと書店の更新は毎日のように続けております。

 私には、物語創作と読書以外は、これと言って趣味はありません。しかも、その物語も、この頃は、シリーズ物一辺倒で、ろくな物を書いておりません。ホームページは、前職が、コンピュータ関連会社に勤務していたので、仕事の延長線上で始めました。今でも夫のさくらんぼが、同じ系列会社に勤務していて、ソフト開発関連の仕事をしている関係で、仕事から帰ってきたさくらんぼから良く話を聞いています。だから、未だに会社、辞めた気がしないんです。電話や接客、他人と話をする場合は、ビジネストークとなってしまいます。お勢津ちゃんからは、「そんなに難しく言わなくてもいい」といわれますが、十年の習慣でそうなってしまいますね。技術職のさくらんぼにも、「その言い方、きついから仕事では直せ」とか言ってしまいます。元、総務の何でも屋だったのですが、どうしても……ね。
 十年経つと夫婦間の会話がなくなってくる。とよく聞きますが、うちは相変わらず、話が続きますねえ。お勢津ちゃんがあきれ果ててますよ。(笑)
 ただ、指示や伝令は「あれ」「これ」で解るので楽です。(そこは、お勢津ちゃんも不思議がっています。何で解るの?って感じで……)

 そんな私が、習い事を始めました。しかも、職業とは別の分野で。何と、唯一、細々とやっている手芸、ビーズです。習い事、と言うと、お茶とかお花が一般的ですが、それははなっからあわないし、剣道などは運動神経0ですから、はじめっからあきらめていました。
 安心できる所にと思いまして、去年、百貨店のイベント講習会で出会った東京の先生が、長野にいらっしゃって月一回、教えていらっしゃるということを聞きまして、その教室に入りました。先生のお人柄に引かれまして……。あとで、ベネティアン・ビーズの第一人者と知りまして唖然、でしたが……。デザインが素敵だったので、つい教えていただいちゃったのですが……。実はベネティアングラスはイタリアに旅行した時、知っていましたが、ビーズに関しては全く知らなかったんです。おバカでしょ。私って。
 ただ、私は針仕事が出来ません。その分野はお勢津ちゃんや死んだ父だのみでした。家庭科の時も出来なくて、結局、作ってくれたのはお勢津ちゃん。それほどです。ビーズにも針と糸を使うステッチがあると言うことを知らなかった私、困りましたね。いや、針仕事やミシンが出来れば、とっくの昔に父親の跡ついで仕立屋やってましたって。(とほほ)四苦八苦しながら針と糸持ってビーズと格闘する羽目になりました。小さい頃のように、お勢津ちゃん手出ししてくれません。もともと、彼女はアクセサリー嫌いのようです。最新作は、失敗を重ねて何と一週間かかりました。

 なぜ、ビーズ細工を始めたか?というと、きっかけが笑えます。さくらんぼ、照れ屋でアクセサリー屋に行けないんです。長野には、名古屋のように栄など大きな繁華街がありません。当然、私もそんな店、知らない。そこで、本屋で見つけたビーズキットを買って、やったら出来ちゃったんです。自分、不器用で、手芸無理と思いこんでいました。せいぜい、出来るのは鉤針編みでマフラー程度。で、天然石ビーズや道具をそろえて、ぼつぼつと自分のするアクセサリーを作っていました。たまにお勢津ちゃんや友達やさくらんぼの従姉さんの子にあげましたが……。

 それが、沢山になっちゃいました。ぶきっちょな私の作品です。んなもん魔除けで商品価値ないし……と、めちゃくちゃに入れていました。当然、使う時に絡まったり、しまい忘れて探します。それを見かねたお勢津ちゃん、いろいろ、袋など作ってくれましたが、しまいには、整理箱を買ってくれました。それが、昔のお医者さんが持っている薬箱風。さくらんぼもお勢津ちゃんもその整理箱がきた時は、笑って「お医者さんごっこ」と持ち運ぶ有様です。

 とりあえず、半年で辞めるつもりでしたが、一年、続ける羽目になりました。
 いや、完璧に先生や他の生徒さん(先輩ばかりです)の足引っ張っているじゃないですか。そのことを先生に相談したら、先生、「あなたは遅いけど、ちゃんとやっているから、もう一期(半年)やってみない?」と仰いました。うーん、筋は全然ないと思うのですがねえ。さくらんぼに相談したら「月一回ぐらいなら、長野出るのも良いと思うよ。何ならお金、やろうか?」とさ。会社員時代のお金、まだ残っているからとさくらんぼの援助の方は断りました。確かに、目下無職の引きこもりだけど……続けるのもどんなもんですかね〜。一応、続けることにしましたが……。



最新作。苦労しました。(佐藤理恵先生デザイン)


近況

 

 ここでも改めまして、ご無沙汰して申し訳ありません。

 ブログに書いた通り、昨年九月に従弟を、今年一月にさくらんぼの大叔母に当たる人を亡くしました。従弟は愛知だったし、沢山の人が見送っていたので、母だけお葬式に参列です。私は後からお参りに行きました。
 従弟、コンピュータ好きは私以上でした。自作パソコンを、何台も持っていました。ホームページも、成人向けでしたが、作っていたようです。私は、主張が違うと言うこと、親類はリンクしないというコンセプトでリンクしませんでしたが……。私と違って、何度もアドレスが変わって、ネットでも疎遠になってしまいました。しかし、ネット界ではこちらも、私と違ってかなり有名人だったようです。後で母に聞いたところ、ネットでも現実のお葬式に来られない友人たちが、パーチャルでお葬式をやっていたそうですから……。今は、そんなことができる時代になったのですねえ。
 と、言うことで、実は、彼とは幼少の頃、彼の家庭の事情で一時期、ほとんどうちが預かっていた状態があったように記憶しています。親類からもあまり、相手にされなかった私でも、親しくしてくれた数少ない従兄弟たちの一人です。
 それがショック、と言うこともありまして、一年近く、ホームページを放ったらかし。辞めようかと一時、思ったのです。最初は大したことはないかと思ったのですが、叔父・叔母の状態を見て、慰める言葉もありませんでした。それもショックでした。
 大叔母の方はお葬式から四十九日まで参列。長寿の大往生だったそうですが、その時もさくらんぼが色々言うので嫌だったです。全くつまらない事を気にしすぎる人ですよ。うちのさくらんぼは……。色々な思惑があるのは当たり前です。人が多くいれば、そんなもんですよ。

 それと、そのショックが直ってきた矢先に母が肺炎で入院。一時はダメか、と思いました。でも、さすがに私たちが密かに「五倍速の女」とあだ名を進呈したお勢津ちゃんだけあります。一週間で退院。今では、家事を一手にしてくれています。ただ、私が運転して通院や買い物、というパターンが多くなりました。たまに、私が調子が良くないときはタクシーを使いますが……。まだ、気管支の方が良くないようです
 一難去ってまた一難、とはこの事です。今度はさくらんぼがぎっくり腰。(笑)でも、女同士のお勢津ちゃんとは違ってこっちの方が、まあ大変。下のお世話までやりました。で、無理かと思った介護、何とか出来そう、と思いましたよ。でも、お勢津ちゃんのご協力に感謝です。
 気が紛れる、と習い事を四月から始めましたが、みなさんの足を引っ張る、と辞めようとしました。その話は本文でしましたよね。
 とにかく、今月は、お寺、大叔母の新盆、と行事があってまあ大変。今度は私がダウンしないか……うーん、そろそろ更年期?にさしかかっているし……いささか心許ないこの頃です。
 今のところは、家族三人が何とか生きているのが救いです。はい。

以上

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