Peppermint Tea

2008.05.25 53版

さわやかなペパーミントの香りに寄せて、ちょっと書いてみました。これを読んで、ほっと一息入れていただければうれしく思います。

 故郷は遠きにありて想うもの、と言いますが、私は全然思いません。帰りたいとも何とも思いません。むしろ、出来れば避けて通りたいほどです。
 名古屋に通勤・通学時代は楽しかったのです。ですから、名古屋には時々、行きます。でも、実家の方にはあまり、行きたくないですねぇ。名古屋と混同される方が多いのですが、私の実家がある北名古屋市は、名古屋市ではありません。あんな閉鎖的な村社会を大都会の名古屋と一緒にしてもらっては、本家本元の名古屋市が大迷惑です。急ぎ、市名を変更してもらいたいほどです。
 何でも受け入れる名古屋文化と対照的に、北名古屋では、地区からして、古くからの人たちと、新しい人たちとでは明確に分かれています。挨拶もしないし、子供たちの世界でも明確に分かれていました。名古屋市に近いのに、反動なのでしょうか?
 まあ、戦前からの封建的社会の生き残りでしょう。まだしぶとく戦前世代が生き残っているので、今はダメでしょう。しかし彼らが「お陀仏さま」になる頃には、そんなわだかまりなどない社会になってくれている事を祈ります。それでないと、地方都市は生き残れません。(松代も同じ事がいえますけど……)
 それは置いておいて、名古屋には、独特な文化があります。三英傑が出た愛知県。最終的に天下をとった徳川さんだけは三河ですが、息子を尾張に出張させています。残念ながら尾張からは将軍は出なかったのですが、「お上が何だい」という反骨精神だけは、皆さん受け継いでいます。
 例えば、県歌。愛知県から長野県に移住して、一番びっくりしたのは「信濃の国」という県歌を歌えなければ「長野県人」、いや「信州人」ではないということです。愛知県ではとても考えられません。
 愛知県の人たちは県庁の職員でもない限り、自分の住んでいる県歌をうたえません。「管理教育」で有名な愛知県ですが、学校でも習いません。「管理教育」つまり杓子定規の詰め込み主義で塾が沢山あるのに、肝心な県民なら知っていなければならない事をどうして教えないのか?と、結婚した当時、生粋の信州人のさくらんぼに不思議がられました。
 いや、私たちも小さい頃、県歌を教えてもらったかもしれません。しかし、成長するにつれ、反骨精神を植えつけられて忘れられてしまったのです。「東京が何さ、大阪が何さ、私は私。ゴーイングマイウェイ」という気質が愛知県人なのです。当然、あるだろう県歌がなんだか可哀相になって来たほどです。
 ただ、校歌と学園歌だけは歌えますが……高校が女子校から男女共学になり、市制になってしまったので双方とも変わってしまった事でしょうね。
 名古屋弁を悪く言った人に、タモリさんがいます。しかしタモリさんも当時、名古屋を知らなかった思います。今は売れっ子(ただ、人気も下火でフジ系列と朝日以外、あまり出ている形跡無しですけど……)しかし、名古屋でブレイクした芸人や芸能人は、必ず全国でもブレイクします。
 板東英二さんがその典型的な例です。彼は中日ドラゴンズの選手時代からラジオのDJや地方局のアナウンサ顔負けの司会、はたまた「燃えよドラゴンズ」を歌って、歌手までやっていました。引退して一時、野球解説者をしたりしていましたが、関西で再ブレイク。で、今は全国的なスターです。
 ただ、歌手やミュージシャンには厳しいですがね。他の土地ではアンコールは一曲だけなのに、三曲以上演奏しないとブーイング。次から、名古屋に行くと席はがら空きって事あります。そこは宗次郎さんは頭が良い。最初からアンコールは三曲。しかも代表曲でした。喜多郎さんは豊橋出身なので良く知っていて、最初からこの形式です。愛知県出身以外の新人ミュージシャンさん、名古屋公演は気をつけよう。
 ついでに言いますがタモリさんが非難したのは下町系の名古屋弁です。他県の、特に東京からの人たちが熱田区や中区あたりの名古屋弁を聞くと「きれいな言葉遣いですね」と言われます。確かにそちらはニャーニャーは言いますが、ぎゃーぎゃーは言いません。それにあたる言葉は「なも」と「りゃあ」などです。
 「いりゃーせ」(いらっしゃいませ)など、やわらかくて良い言葉だと思いますが……。そもそも江戸弁は元は三河と尾張のちゃんぽん+独特に作られた廓言葉です。
 名古屋弁を悪く言うなら、日本語全体を悪く言うのと同じ、と言っても過言ではないですよね。
 私など、名古屋離れて七年以上になりますが、未だに名古屋言葉(しかも学校が熱田なので……そちらの方)が出ます。ま、親が三河なので三河弁も交じっていますね。長野の人にえ?と思われますけど……。逆に長野の人の方言交じりの言葉に戸惑ってしまいます。
 え、さくらんぼとはどうしているかって。「あれ、それ」で大体解りますよん。お勢津ちゃんには「あんたら、何十年連れ添っとんのかね」と聞かれますが、お勢津ちゃんは頑固親父には「あれ、それ」では最後まで解らなかったそうです。
 そっちの夫婦の方が二十五年以上一緒だったにしては、解らないのが、不思議なんですがねえ。
 ま、昔からお勢津ちゃんは、どっちかと言うと気が回らない所が、ありまして。そこが私とは違うんですよ。私は動作が亀でも、十年後・二十年後を見据えて常に行動しているのとは違って、お勢津ちゃんは場当たり的な言動で危なっかしい所があります。
 さくらんぼも、まだまだってとこでしょうか?
 たとえば、私がうんうんと熱が高くてうなっていても、氷枕一つ出してくれません。お勢津ちゃんは食事は持ってきますが、どうもピントっ外れなのよね。高熱には、食事なんかより、氷枕とか、飲み水だっちゅーの。まったく……。食事は二の次、三の次です。食べる元気があれば下の台所に行って食べられます。皆さんもご家族が高熱の場合は、それ覚えて下さいね。食事も大事ですが、まず、体温を下げて、元気を取り戻させること。脱水症状には、特に注意です。
 動作は彼女の方が早いので、そっちの方は羨ましいです。
 ただ、体力が無い時は食欲も無いのです。無理に勧めるとアウト。かえって簡単に食べられるものをお勧めします。
 名古屋は交通の要所で、異文化の受け入れや、障害者への社会進出などにも寛大でした。が、一歩田舎に入った北名古屋ではまだまだと言う感があります。当時は町でしたが……。
 当時、まだ町だった時代です。例えば私が会社に入った時の手続きに役場に行った時など「何処の施設に?」と聞かれましたし、社名をいうと「えー」という顔をされました。まあまあの会社だったからです。会社に入ってはいけないのかと突っ込み入れたくなりました。以来「何ヶ月続くのか」ともっぱらの噂だったらしいです。ただ、図書館では難しい本を借りていくので、一目置かれていましたが。
 一方、名古屋は、大都市らしく、私がとことこと会社に行っても、初めのころこそ意外そうな顔をされましたが、その内、慣れて来たと言うか、気にしないと言うか、そんな感じでしたね。さっぱりした感じで良いです。
 今の長野市では、旦那が生粋の長野人のせいか、それとも慣れているというか、こちらも差別と偏見全くなし。さっぱりしていていいです。
 ですから、私が、北名古屋時代を忘れたいのは、その為です。小学校時代、ひどい苛めを受けても、先生からも助けてくれなかった事もありますが……。まだ生まれた所の別の町の高架橋の下の方が、懐かしいと思います。
 ま、辛い過去のカミングアウトになりましたが、書くことでいくらかモヤモヤ感がすっきりしました。隣の県でも私があまり実家に帰らなかったのは、そういうわけです。幼い頃の心の傷とは、なかなか治らないものですね。それに、偏見とは、なかなか治らない。
 長野に引っ越してきて、良かったと思います。

山田牧場

近況

 珍しいのですが、月2回の更新です。実は1〜4月に更新していなかったので、そのお詫びと言うことで猫の試練2のスケジュールに初めから2回分組み込んでいました。
 その間、車検。無理がたたってお勢津ちゃんが風邪で寝込む、で、何時もはおっとりと動かない私が久しぶりにあっちこっちに飛び回ってました。
 その疲れが出たのか、木曜日、倒れてしまいました。いやー、困った。で、結局薬局、金曜日、医者嫌いのつばさが医者に行ってきましたよ。参りました。
 義父の十三回忌、何とかやる事に漕ぎ着けました。ところが、困った事に、喪服が行方不明。金曜日の深夜にやっと探しましたよ。
 まあ、こっちも法事の件は、できるならやらずに済むならそうしたいってのが本音なんですが、やらなきゃならない事情もありまして……。現に、2人だけだった七回忌はお墓参りだけでした。まあ、まだ調子の悪いお勢津ちゃんは置いて、二人だけで行く予定です。
 よって、アップは、土曜日の深夜になります。まだ、寝ているより書いていた方が楽という事もありまして……。
 しばらく、また、疲れと執筆で更新できない事態に陥るかもしれませんが、まあ、少なくとも歴史館は企画倒れにならないようにしたいと思いますので、長ーい目で見てやって下さいね。尚、内容は変えるかもしれません。宜しくお願い致します。
以上
バックナンバー目次へ 企画室へ