Peppermint Tea

2007.11.15 50版

さわやかなペパーミントの香りに寄せて、ちょっと書いてみました。これを読んで、ほっと一息入れていただければうれしく思います。

 このコーナー、果たして連続して見ている方がいるのか疑問ですが……。あえてネット界で忌み嫌われる、重いテーマと、長文で書き続けてきました。ただ、重いテーマでも、読みやすいようにである調を使わず、話し言葉でよく使われるですます調、中学生程度のお子様にも読めるよう、固有名詞や特殊な語以外は当用漢字を使うよう、心がけてきました。段落も読みやすいよう、短め似しています。
 何故、そのような不人気の原因となるようなことを続けてきたのか、と申しますと、日本語の乱れが激しいからです。
 もっとも、その日本語、きわめて流動的で、皮肉なことに、一番乱れたのは明治時代というんですから、皮肉なものです。かの文豪、夏目漱石は、歴史的仮名遣いを正しくマスターしていなくて、担当編集者や校正者泣かせだったとかいう噂もあります。今の表音的仮名遣い(新仮名遣い)は、意外に新しく、戦後からです。
 てふてふ、けふと書いても、今の子供さん方には何の事だか、解らないと思います。何のことはない、蝶々、今日の事なんです。これは歴史的仮名遣いが成立した奈良時代末、奈良地方の発音なのです。
 歴史的仮名遣いは、平安時代に確立しましたが、その前から「仮名」はありました。私が、個人的に好きな「万葉集」「古事記」「日本書紀」等に使われている当て字、「万葉仮名」です。当時は、日本には固有の文字はなく、中国からの漢字しか、文字はありませんでした。で、主に助詞を当てたんですね。
 だから、奈良時代末期に万葉仮名が成立して、平安から戦国時代初頭まで、日本語は大きな変化はなかったことになります。で、鎖国して江戸末期まで、少し不自然ながらも、その言葉は書き言葉として使われてきました。方言はありましたが、木簡などでの筆談で何とか通じていたと思われます。
 正確に言うと、現代の時代劇ドラマは、言葉遣いも発音も正しくないことになります。ある程度、現代風にアレンジしないと、視聴率取れない問題もあるのでしょう。
「時代劇の王道」と言われる今、放送している風林火山にしてみても、時代に本当に忠実に演じるなら「今日」なら「けふ」と発音しなければなりません。現代の殆どの世代で、外国語のように聞こえたでしょう。それに当時は、公家と武家とでは、着付けが全く違います。三条の方と由布姫とでは、着付けも全く違ったはずですが……。同じに見えますね。それに、三条の方は既婚。眉をそり、お歯黒をつけなければなりません。一方、側室は当時は側女(そばめ)とよばれ、名目上は独身でした。だから眉をそらない。当時は一目で既婚か独身か、正室か側室か、または公家か武士か農民出身かまで解ったのです。
 その上、当時は男性でも、虫歯予防のため、身分のある(=経済的余裕のある)者はお歯黒をつけていました。取った首を女性にお歯黒を塗らせて、褒賞の水増し請求する武士もいた程だそうです。さらに公家、及び京都の身分の高い武家の場合は、元服後は眉をそっていました。これじゃ、男か女か、?の人もいたでしょうね。当時の着物は、身体の線を隠すから、なおさらです。
 今川義元など、お歯黒をつけ、眉をそっていても、おかしくはないのです。太っている人も、当時は恰幅のいいと褒められました。
 昔の時代劇を見たとき、流石だな、と思ったのは、役者さんが身分により、着付けの違いを心得ている。遊女なら、しどけなく、武家の女房なら、きちんと着物を着こなしている点です。それから、腰元でも、大名家の石高毎に衣装も違ってくる。それも心得ています。間違っても、今の時代劇のように、花魁と大奥の女中が、同じような着付けで出ていた、なんてことはありません。微妙な差、と言うのを心得ています。そして、古い着物を使い回ししています。
 中には、お歯黒をつけ、眉をそっている女優さんもいて、すごいなあ、と思いました。
 今で言う、OLと水商売の女性の違いでしょうか?しかし、今はたまに水商売か?と思われる私服を着ているOLもいますから、一見しただけで職業は解りません。現代の横並びの風潮は少し、残念に思います。
 それに当時の人権無視の風潮を忠実に再現しています。今は制限が多すぎます。
 時代劇なんだから、それぐらいは仕方がないと思うのですが……。その時代の風潮を最初に説明して、後で断りを入れればすむことではないでしょうか?「今はその言葉は使うと人権侵害になります」と字幕にでも入れればいいと思います。
 ただ、欧米では、年齢やステイタスにより、持ち物や身なりが決まっています。日本の様に、一部のモデルさんや女優さんなどの例外以外は、若いうちはブランド品に身を固めるなんて、軽薄なことをしません。若いうちは、安くて地味な服装で過ごします。そしてある程度、年配でステイタスが高くなって初めて、ブランド品を持てるのです。
 そして、そのブランド品は一生、大切にされ、死ぬ時に親から、ある程度、年を取った娘か嫁に受け継がれるのです。
 バッグや靴のブランドの会社が元々、軍馬の馬具を作っていたという所が多いのも、丈夫で長持ちするからでしょう。
 子供に、欲しくても自分に相応しくなるまで、我慢させること。そして物を大切にすることを欧米人は、こうして教えるのかもしれませんね。私たちも、見習わなければ……。戦後、使い捨て文化にどっぷりと漬かってしまいましたから……。
 私はまだ、子供がいませんが、出来れば女の子が欲しいです。娘なら、私の天然石のビーズをばらしてその子自身が作り変える、と言うことも可能ですからね。物を大事にして欲しいと思います。ま、男の子でも良いように、地味な石も買っていますから、良いのですけどね……。男の子もおしゃれになっている時代ですから……。
 戦国時代もカブキ者など、男性のくせに、女性の服装をしている人がいました。上杉謙信のマントなど、目が点。真っ赤でした。信長のマントは黒でしたから、妙に納得したものですが、謙信の服は……女性説が出てもおかしくないと思いましたね。ま、井伊の赤揃えや緋縅の鎧など、戦闘服は目立つ赤でも良いのですが……。謙信の普段着であるピンクのパッチワークの胴服……あれは打掛と言ってもおかしくはありません。私などは「あれ、センスいいな。着たいな」と思いましたもの……。
 ただ、おかしなことに、謙信はカブキ者という噂がありません。新し物好きなだけで見かけは地味だった信長でさえカブキ者と言われたのに、謙信は保守派と言われています。女性だったという説もうなずけることは頷けるんですが……。500年経った今となっては解りませんね。
 今回は大好きな歴史でまとめてみました。日本人は、物を大事にするという美徳があったのに、今は使い捨て。賞味期限切れの商品が捨てられている昨今です。それにしても、偽装はいけませんが、少々古くなっても腐っていなければ、食べちゃう私にとっては、賞味期限というものほど、いい加減なものはないと思うのですが……。
 物を大事に使うことこそ、命や人を大事にすることにつながると思うのですけど……。どうなんでしょう?
 それとある程度、人間、我慢が必要と言うことです。そこのブランド物で身を固めている若いネーちゃん、分をわきまえるって事をしないと、馬鹿にされますよ。綺麗なものや流行物を欲しいという気持ちは解りますが……。その格好で、ヨーロッパ行って御覧なさい。成金と思われて、狙われて騙されたり、盗難に遭うのがオチです。気をつけましょう。

典厩寺 閻魔大王像
禅宗(地獄も極楽も否定している)のお寺のはずなのに
合戦図は川中島の本陣近くで良いとしても、
何故か閻魔様と四天王、地獄絵がありました。
そりゃ、合戦に明け暮れ、殺生を重ねた信玄の弟、信繁が、
死後、極楽に転生できる可能性は低いのですけど……。
信繁さん、転生後は極楽に行って下さいね。合掌。

近況

 近況はブログに詳しいのですが、ここんところ、休日に風林火山ブームで、さくらんぼと二人で、川中島合戦関連のお寺めぐりをしています。それと、ジョージアのゲームにはまってしまって、ポイントもたまるので、せっせとポイント稼いでます。よって、ネット友達の皆様には一部以外はご無沙汰しています。
 もう、デジカメが5年前の代物で、幸い、壊れてはいないのですが、古く、そろそろ買い替えなきゃならないのですけど……。どうしても天然石ビーズの方にお小遣いの予算を多く取っちゃいますね。よって、憧れの高性能デジカメへの道はあと1〜2年後になりそうです。(涙)
 しかし、天然石ビーズ・関連材料もそろそろ、買い止め。作る方に行かないと……。全部、使わずに、一生終りそうです。でも、天然石ビーズって思わぬ所で役に立ちます。一年前、母が仏壇を修理する際、私のアイディアで使いました。
 しかし……。超不器用な私でも、出来そうなビーズの本ってないのかしらん。本屋行っても、かなり高度な技術を要するものばかりでした。まあ、そもそも、本屋にあるのは、健常者用。手先が不自由な肢体障害者がビーズをするなんて前提はないのですから、仕方ないですね。皆さんが簡単と言うのも私にとっては無理な場合が多いのです。
 ま、せいぜい、「宝石箱」レベルの作品が限界です。
 それと、スランプ中の物語の方も、推敲からそろそろ次の作品を書きたいのですが……。歴史物は、資料がかなり要りますので、時間がかかりますね。とほほ……。とりあえず、資料の殆ど要らない、シリーズ物からウォーニングアップと行きましょう。
 で、ここんところは何も行事無しです。そろそろ年賀状の絵の下書きに入るのですが、清書は絵の心得のある母(とは言っても油絵模写レベル)に任せましたが、なかなか良いアイディアが出ません。
 大体、構図は決まっていますがね……。今回はずっこけ路線になりそうです。とほほ……。
 このペパーミントティーも50版になりました。残念ながら、初期約一年分が残っていませんが、バックナンバーも残っている限り、アップしましたので、成長記録としてお読み頂ければ幸いかと存じます。この版入れて41版。意外と残っているものです。
以上

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