Peppermint Tea

2007.03.03 43版

さわやかなペパーミントの香りに寄せて、ちょっと書いてみました。これを読んで、ほっと一息入れていただければうれしく思います。

 信州の春は遅く、例年、3月下旬に梅の花、四月中旬にソメイヨシノが咲きます。今年は暖冬で、咲くのが早くなりそうです。
 花があまり好きではないつばさにとっては春は少々辛いシーズンです。
 今の所、私は花粉症ではないようですが、さくらんぼ君が軽い花粉症で、毎年、くしゃみ・鼻水などに悩まされます。今年もすぐそこに杉林があるので心配しています。
 何故、花粉症でもないのに春が嫌いかと言うと、春は花が咲く季節だからです。同じ理由で、夏も秋も好きではありません。実は、私の一番好きな季節は冬なんです。水仙ぐらいしか咲かないからね……。雪は綺麗だから好きです。
 女の癖に、花が嫌いとは変人の部類に入るのですけど、私は花があまり好きではないんです。いえ、綺麗な物は好きなんですが、枯れたり散ったりするのを見ると辛いんです。とくに切花は大嫌い。だって、実がなる前に、子孫を残す前に切ってしまうとは……とても残酷に思うのです。母や友達は好きなのでよく贈りますが、私は贈られるのは好きではないので……。
 実は、同じ理由で食べ物では野菜も果物も好きではないのですが、それでは生きていけないので仕方なく食べています。お肉も現物(生きている鳥や動物)を見るともうダメ。当然、お魚も好きではないです。辛うじて食べられる物は原型をとどめないように調理した物ですが……(パンとか、ご飯とかステーキとかお魚の切り身、秋刀魚などは頭を取ったの、サラダでも切ったのなら食べます)。踊り食いとか、生け作りは苦手です。骨付き肉など原型とどめているものも実は苦手です。食べないことはないのですが、心の中で念仏唱えながら食べています。結婚してから料理をすることになりましたが、秋刀魚など捌くのはっきり言って苦行でした。(T_T)
 人間とは他の命を犠牲にしなければ生きられない生き物なのです。それは解ってはいるのですが……。心情的にどうも苦手です。
 絶対食べられないものは長ネギですが、父の話だと父方の血筋?らしいです。(叔父、祖父、父たちは大人になったら食べていました。大人になっても嫌いなのは私一人のようです)玉ねぎは火を通したしたものなら食べられますが、生はちょっと……。
 それは私自身の醜さから来るひがみと言ってしまえばそれまでなのですが、私自身、日陰者の身の上で、おそらくこれからも芽が出ないだろうと思います。そして、これまで、努力をしても決して認められる事はありませんでした。だから食べ物に自分を投影してしまうのですね。
 多分、私のこの気持ちは誰にも解らないと思います。
 暗い話はさて置いて、春になると暖かくなるのは大歓迎です。緑は好きなので、新緑の季節は待ち遠しいです。
 ブルーベリーの木にも芽が膨らんできました。去年は実がなりませんでしたが、今年は去年より少し大きくなっているので、期待したいと思います。私は成っても見ているだけですがね……。食べるのはどうも苦手です。
 都会育ちの私は山菜知らずでした。しかし、ここに来て、3〜4月になるとたらの芽の天ぷらと言うものをだすそば屋さんがありまして、それで食べてみたら美味しかった。山菜にもいろいろあるのですね。
 わらび(万葉に出てました)やぜんまいは知っていましたが、その他は食べたことがなかったです。
 そういえば、ふきのとう……最近まで知りませんでした。煮付けにする蕗は知っていましたし、私も大好物なのですが……。庭に生えていることも知りませんでした。去年、知りまして、今年生えるのを見るのを楽しみにしていましたが、もうちょっと待たないといけないと思いましたが、昨日、「生えてきたよ」と母が言うのでカメラ持って探したら小さいのが……。早速撮ったのが下の写真です。
 しかし、この暖冬、地球温暖化の影響でしょうか?このまま進むと南極の氷や高山の氷河が解けて洪水にならないかと心配です。やはり日本の少子化は自然の摂理ではないでしょうか?人口を減らさないと、このままでは地球は破滅です。他の国でも少子化は見習うべきです。
 年金など問題はあるでしょうが、制度を作ったのは老人世代です。若い世代の私たちは私たちで、公的年金に頼らないよう、こつこつ貯蓄していく他、ないと思います。

ふきのとう
いつもは出るのは3月下旬なのに……

近況

 最近、トップに書いたのですが、「老醜」という言葉が思い浮かぶニュースが多いです。某大臣の連続失言、小さい頃好きだった森進一さんと作詞家との争い。首相官邸でのしまりのなさ。それとゴミ屋敷騒動……。みんなお年寄りの「傲慢」がよくあらわされています、「長く生きているから俺の方が偉いんだ」とでも言いたそうな態度です。そういうエゴの塊の人たちが今の日本を作ったと思うと、若者たちの無軌道ぶりもこの人たちのせいかと暗澹となります。まだ若者たちの非常識などは可愛いもんですよ。全く……。
 マスコミもそれをあおっている風潮ですね。某作詞家の先生、いくらお年寄りだからって記者会見するのにあの普段着はないでしょう。(怒)それに少なくとも床屋さんに行って、身だしなみはちゃんとして人前に出るのが、礼儀ではないでしょうか?作詞の真似事をしていて小説らしきものも書いている私にとっては傲慢としか見えない態度でした。もっとも、森さんの態度も引っかかりましたが。それにしても何で今になってでしょうね。
 彼らと同じ年頃のお勢津ちゃんも、これには眉を潜めて「死ぬ前なんだから、仏さんの様にしていた方が良いのにねえ」とため息をついています。私には、スランプ時の悪あがきとしか言いようがないです。同じ文筆を志す者として、大先輩に手厳しい批判をするのは不本意ですが、あえて書きました。
 一方、同じご高齢の方ですが三遊亭円楽さん、あなたは見事でした。引き際というか、限界を解っていらっしゃいます。それと、東国原知事、あなたも、素敵だと思います、たけし軍団の一員で通用するのは若い頃だけ。タレントとしての限界をさとって引き際を示した。ただ、危惧するのは我らが長野県前知事、田中さんの二の舞だけです。ま、田中さんと違って外来語や文学用語を多用しないのが救いですね。やはり解り易い言葉で話してくれないとこちとら、無学なんで困ります。その点は保守であまり好きではないですが、今の村井さんの方が解り易いです。あとは村井さんも引き際ですね。
 私も不惑を過ぎてしまいました。そろそろ人生の引き際を模索する時期です。お勢津ちゃんは「あんたらはまだまだ人生これからなんだから」と言いますが、脳性まひというハンディを抱えた私、かなり無理をして生きてきました。人生80年とは言いますが、私の場合、父が死んだ頃が人生の折り返し地点だと思っております。とても今のお勢津ちゃんの年までは生存していないでしょう。はっきり言って余命10年がいい所ですね。(子供産めばさらに縮まると思います)
 その10年で何が出来るか、考えました。ボランティアで編集の仕事があるというので、乗りかけましたが、万葉集の研究、詩作や物語を書くために、辞めました。医療事務も中断しました。優先順位としては、詩作と物語、余った時間で家事、詩作・物語が終り、することなくなったら仕事を探すと言うことにしました。母はともかく、さくらんぼ君は私の良い理解者で解ってくれます。彼を大事にしたい、今はそれだけです。いい伴侶を与えてくれた人生に今は感謝しています。私は何と運がいいのでしょう。生活費の事を考えずに好きなこと(?)が出来るのですから……。
 もうすぐ父の13回忌です。北名古屋に帰省しますが、まだ、法要の日程は未定です。そろそろ、三人だけですが家族会議でも……と思っています。
以上

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