Peppermint Tea

2006.11.07 39版

さわやかなペパーミントの香りに寄せて、ちょっと書いてみました。これを読んで、ほっと一息入れていただければうれしく思います。

 久々の更新です。ペパーミントも半年振りの更新です。
 最近、苛めによる自殺がクローズアップされていますが、昔も絶対あった事と思います。私も小学校5〜6年の頃、苛めに会い、未だに男性恐怖症が治らず、その時の心の傷が、不惑になっても残っております。幸い、と言っていいのか解りませんが、私は自殺しませんでした。しかし、あの時死んでおけば……と思う苦しみもありました。苛められた者の心には、その傷が一生残ります。
 死んではいけないと新聞に談話を残した野球選手がいます。残念ながら、私にはそんな生意気な事は言えません。私が子供がいて、死にたがっているのなら、どうしても死にたければ死なせます。人生、自分が決めるもの。誰も指図してはいけないと思います。
 冷たいようですが、自分で死んでしまった子はその子の決めた事。親は諦めるべきだと思います。それより気付いてあげられなかった責任を感じるべきです。学校関係者も同じことが言えます。気付いていても何も出来なかった責任を目をそらさずに向かい合うべきと思います。
 私は子供はまだこれからですが、人を苛めるような子供には絶対なって欲しくありません。またそんな無神経な子供になったら、刺し違えても諌めようと思います。また、自分の子供が苛められたら、誰よりも早く気がつける親になりたいと思います。自分の子供が苛められていることに気付けない親も「恥」を知って欲しいし、マスコミには出てきて欲しくないですね。苛めていた子を持つ親も「恥」を知って欲しいのは無論です。マスコミも何故、苛めていた側の子供とかその親を出さないのでしょうか。むしろ、その馬鹿な加害者の苛めっ子の名前や馬鹿親の顔を出した方が、苛め防止に役に立つと思います。苛められた被害者や家族を保護しないマスコミの態度にも私は怒りすら覚えます。
 マスコミにも、苛めにまた拍車をかける行為はやめて欲しいと思うのです。
 苛めは集団であっても個人であっても犯罪だと思うのは、私一人でしょうか?
 昔も、絶対苛めによる自殺があったと思います。しかし、昔は今の様にマスコミやインターネットが発達していませんでした。それに、先生方の方も苛めは日常茶飯事という実態でした。「ドラえもん(原作の事です)」でのび太君がジャイアンに苛められるシーンがなんと多いことでしょう。だから私、「ドラえもん」はあまり漫画の方もアニメも見ませんでした。「サザエさん」にもカツオがワカメを苛めている。ととられてもおかしくないシーンがあります。アニメ版のカツオ君は、腕白ではあるが妹思いのお兄ちゃんという感じです。でも原作では結構ワカメやタラちゃんに対して苛めっ子的なところもあります。
 つい、原作と比べてしまう、これは私がテレビ世代に入りきれなくて、未だにテレビが好きになれないという所から来ているかもしれません。実は子供時代、貧乏でテレビは一日二時間ほどしか見られなかったような記憶がします。
 そうやって子供は鍛えられ、成長していくという定説もあったとさえ思えます。ある面、その通りですが、昔は、「ここまで」と制止してくれる存在(先生・両親・近所の小父さん等)がありました。(ジャイアンの場合『母ちゃん』です)今は両親も先生も近所の小父さんも、子供化していて、見てみぬふりをするか、事なかれ主義で逃げ回るかどちらかです。大人も子供です。昔は、20代で「小父さん」または「小母さん」と呼ばれ「お兄ちゃん」と呼ばれませんでした。「お姉ちゃん」はありましたが、未婚女性の場合です。ティーンエイジゃーでも結婚して子供がある場合は「小母さん」と呼ばれた時代です。それが平安末期から終戦まで続いていました。大人と子供の境界がはっきりしていた時代だったと思います。その是非はわかりませんが、今まで長く日本の風土に根付いてきました。それなら、それを見直し、大人としての境界を作って、不合格者は社会に出られないよう監視する位の制度をつくる。それから始めなくてはならないと思います。大人たちが変わらなければ子供も決して変わらないと思うのです。
 昔は中卒で就職しても何とか暮らしが立っていけたのに、今は、高校出でもなかなか就職出来ません。いや、最高学歴である大学(又は大学院)を出てもなかなか就職できないのです。それなのに、企業は即戦力を求めます。それなら企業も、中卒を多く雇って、育てて長く勤めてもらうという形に発想を転換したほうがいいと思います。勉強が嫌いなのに大学まで行かせられる今の子供たちがかわいそうです。それがエスカレートしている苛めの根源ではないでしょうか?
 勉強が嫌いでも漫画が好きなら絵の看板を書く、裁縫が得意なら仕立て屋と早くから目標を見出し、設定させるのが親の仕事と思います。欲を出さなければ、今はどんな職業でも食べていけます。折角、先人たちが命がけで勝ち取った「基本的人権」を利用せずに、何のための世の中でしょう。豊かな生活が出来るのは一握りというなら、どこかでその欲を捨てるのも必要ではないでしょうか。子供は親の一部ではありません。生まれたら別と割り切ることも必要ではないでしょうか?
 仏教国、タイの男の子は一度は出家してお坊さんになる。出家したら、もう親と子は関係ありません。親の所に托鉢に行くと、親は子に跪いて「ご苦労さまです」と食べ物を捧げます。僧侶の世界には親も子も、貧富の差もありません。親が富豪でも子は貧乏……かまわないじゃないでしょうか?子供がそれで幸せなら……。
 戦後、アメリカのうわべだけの「自由・平等」を取り入れて、日本が男が弱くなり、女が強くなったと言いますが、女性は変わらなかったと思います。虐げられているように見えてもたくましいのは女性です。心配なのは現代の女性の「男性化」だと思います。少子化も女性の「男性化」の副産物ではないでしょうか?女性は女性らしさを残した方が良いのではと思います。アメリカはプロテスタントの精神が行き届いている。プロテスタントでは女性は女性らしくと教えています。そのバックボーンがあって初めて「平等」の精神が行き渡るのです。残念ながら、現代日本はアイデンティティーと言うものがない国です。
 真の平等は決して横に並ぶことではないと思います。それなのにはみ出し者が出ると出る杭は打たれる式の「苛め」で自殺に追い込んで排除する。それではいけないと思うのは、元々「はみ出し者」の私一人でしょうか?
 本当の平等は自分の器を知って無理せず、満足をすると言うことだと思います。必要以上の欲は出さない。人の価値観を崩さない。人はそれぞれ皆違う。だからこそ思いやりが必要だ。それを家庭でも学校でも教育して欲しいですね。

赤い実をつけた木(何の木か?)

近況

 当たり前といえば当たり前ですが、家は無事、出来上がりました。
 しかし、さくらんぼ君が6月、急性胆嚢炎で入院。何とか退院しました。
 私は、と言うと……、夏以来、引きこもり症候群でした。書けるのはつまらない「青衣の天使たち」シリーズで発表不可の作品群ばかり。勉強の本を開いたり、自分の部屋を出ると気分が悪くなる状態でした。それでさくらんぼ君に任せようとした「改築奮闘記」ですが、どうやらさくらんぼ君、情報発信に興味なしで、ダメ。よって折角リターンマッチした勉強も今年中になりました。
で、やっとの事で先月、合流に漕ぎ着けた母は、「私は年だし」と暖房すら私任せ。とは言ってもうちの暖房。パネルヒーターの最新式で寒がりのさくらんぼ君に任せると暑くなりすぎになります。とほほです。
 どうやら、つばさに皆かかってきそうです。
 しかしながら、家事は母がまだ元気なので、何とか苦手な掃除はやってくれます。ですが、まだ未完成の飾る予定のジグソーパズルや未整理のダンボールが残っています。とほほの状態です。何とか引きこもりは治ったようですが、当分、風邪と身体の不調と荷物の整理に悩まされそうです。
以上

 

バックナンバー目次へ 企画室へ