スペインの、ある日本人闘牛士の記録

(下山敦弘さんの事)

−−出会う前−−

闘牛を始めるまで

por 斎藤祐司

98年9月28日 

 97年スペイン滞在中にバルセロナで強盗にあって骨折してマドリードの部屋で悶々としていたときだったと思う。闘牛雑誌に10月19日にセビージャ近郊のアルカラ・デ・グアダイラで日本人闘牛士、“エル・ニーニョ・デル・ソル・ナシエンテ”(日の出ずる国の子供)こと下山敦弘さんの為の慈善闘牛が行われると書いてあった。

 下山敦弘さんの事は、月刊 『プレイボーイ』 紙上で佐伯泰英氏の文章で知っていた。

 しかし、読んだとき、佐伯氏の「闘牛士として成功すると思う。それは、私が多くの闘牛士を見てきた感覚だ」言うようには、思えなかった。下山さんの闘牛を見たわけではなかったが、闘牛とはそんに簡単なものではないと、感じていたからだ。

 下山さんは、95年8月16日ペドロ・ベルナルドで、コヒーダ(牛に突かれて)大怪我をする。

 それは、実に特殊な怪我だった。角は彼の右首をかすった。激痛が走った。すぐに医務室に行って内出血した血を抜いただけだった。大した事故だと思わなかったのでその日はペドロ・ベルナルド村に泊まり、翌日セビージャに戻った。

 アポデラード(マネージャー)のジョン・フルトン(アーネスト・ヘミングウェイの本に出てくるアメリカ人闘牛士で画家)の家へ行った。部屋に入ると下山さんは「口が動かない」とか「手の感覚がない」とジョンに言った。そして、体を休める為にソファーに横になって両手を頭の後ろで組んで枕代わりにして寝た。

 横になってからわりとすぐに、左手がだらりと垂れ下がり力が入らなくなった。腕が痺れ痙攣が起きた。ガタガタ振るえる唇で「何か起きた」と言ったきり下山さんの記憶はなくなる。

 セビージャで一番大きいビルヘン・デル・ロシオ病院の集中治療室に運び込まれる。4日間意識不明になる。

 彼を病気にした原因は、右首を擦った牛の角だった。病院の検査の結果は、右頸動脈の内側が傷ついて血栓が出来、血が脳に行かなくなった為に右脳の細胞が一部が死んでしまった。

 その為下山さんは、左半身不随になってしまった。

 闘牛場からすぐに病院に行っていればこの様なことにはならなかったが、本当に特殊なケースで、担当した医師は、「傷が表に出ないだけにどんな名医が診ても見落としかねない症例で、非常に珍しいケース。闘牛場の医務室で発見する事は出来なかったでしょう。こんな症例はこれからも恐らく出会うことはないでしょう」と、言った。

 それだけ特殊で珍しい症例だった。運が悪かった。でも、そうとばかりも言えない気がする。何故なら下山さんは、今とても幸せに暮らしている様に見えるからだ。

 病院のベッドで目覚めると彼女(まゆみさんは、今下山さんと結婚している)が泣いていた。下山さんはどうして泣いているんだろうと思ったと言う。この時まだ自分の状態が分からなかったのだ。

 半身不随になったと分かってから、「自分には将来がない。と思って死ぬことばかり考えていた」と親しくなってから私に話してくれた。

 それから、下山さんのリハビリが始まるが、それまでの話もまだある。それは、次の時に。   28-Sep-98


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