リベラ・オルドーニェス(Rivera Ordon~ez)

por 上田 京

 

 1974年1月3日、マドリード生まれ。本名、フランシスコ・リベラ・オルドーニェス。

始めての闘牛。1991年8月7日。ロンダ。17歳。

ノビジャーダ・コン・ピカーダ(見習い闘牛士)、デビュー。1992年5月31日。18歳。

トマール・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士認定式) 

 1995年4月23日セビージャ(21歳)。パドゥリーノ、エスパルタコ。テスティーゴ、ヘスリン・デ・ウブリケ。

コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士確認式)

 1996年5月23日。22歳。パドゥリーノ、ホセリート。テスティーゴ、エンリケ・ポンセ。

マドリード、ラス・ベンタス闘牛場。7回出場。耳1枚。

−−−ラス・ベンタス闘牛場「プログラム」から−−−


 「かのパキーリの息子にしてアントニオ・オルドーニェスの孫。ルイス・ミゲル・ドミンギンとクーロ・バスケスの甥。まさに闘牛士になるべくして生まれてきた」。紹介の決まり文句である。あまりにも有名な闘牛士一族の血をひいている。乳は70年代から80年代の人気闘牛士パキーリ。母は、作家ヘミングウェイの親友であった。

 大闘牛士アントニオ・オルドニェスの娘。そして、『日はまた昇る』に登場する美青年闘牛士のモデル、カジェターノ・オルドーニェスは曾祖父にあたる。幼少から闘牛士になることだけを考えていた、と言う。「闘牛場で、出場前の乳と一緒にいるのが大好きだった。衣装を着けた父は偉大に見えた」。

 所が、10歳のときに父が牛の角にかかって命を落とすが、祖父オルドーニェスに見守られて闘牛士の道を歩み始める。1995年セビリアの春祭りで正闘牛士デビュー、耳2枚をとる。3日後、再び耳2枚をとり、95年春祭りの最優秀闘牛士となる。その後も活躍はつづき、「一族の後継者」「伝統は続く」と騒がれ、1年目にしてスター。

 甘いマスクと育ちのよさで女性の心を魅了し、正統かつ若者らしいスタイルで闘牛通の支持を得て、早くも大スターの座についたかに見えるが「マエストロと呼ばれるには、まだまだ」と謙遜。今秋、アルバ公爵令嬢と結婚の予定、など何かと話題の多い花形闘牛士である。

 

注)アントニオ・オルドーニェスは60年代に一時代をきずいた名闘牛士。ルイス・ミゲル・ドミンギンは40年〜70年代に活躍。父、兄弟とも闘牛士。二人がヘミングウェイの小説『危険な夏』の主人公。

−−東京闘牛の会、会報 『闘牛』 Vol.5より−−


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