セバスティアン・カステージャが剣刺しでプエルタ・グランデを逃す!

2010年6月3日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の今年40回目の結果。フェリア・デ・アニベルサリオ4日目。

19時開始、21時19分頃終了。

プレシデンテ、マヌエル・ムニョス・インファンテ。満員。

ビクトリアーノ・デル・リオ牧場の牛(1頭目〜5頭目)、コルテス牧場の牛(6頭目)。

   全体として、上質の牛が出た。
   1頭目、。2頭目、良い牛。3頭目、
   4頭目、良い牛。5頭目、良い牛。6頭目、良い牛。
   

闘牛士

エル・フンディ 沈黙、罵声。

セバスティアン・カステージャ 耳1枚、挨拶。

ホセ・トマスに代わり、ミゲル・アンヘル・ペレラ 沈黙、沈黙。

 晴時々曇。暑い。ビクトリアーノ・デル・リオ牧場(牛Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、ファン・ペドロ・ドメク牧場)。闘牛士、エル・フンディ、セバスティアン・カステージャ、ホセ・トマスに代わり、ミゲル・アンヘル・ペレラ。満員。テンディド6バッホにてビデオ撮影しながら観戦する。

 エル・フンディは、あれが精一杯なんだろうなぁ。自身の2頭目の牛は良い牛だった。パセの時に腰が動くし牛を扱えていない。次どうすれば良いかの発想がない。フィグラがやる牧場でやること自体が間違っているのかもしれない。所詮あなたはコリーダ・トゥーラ。そういう牛を相手に腰が揺れても良い牛を相手にしかしてこなかったのだから。ホセリートと同期でも余りにもレベルが違いすぎる。セバスティアン・カステージャとミゲル・アンヘル・ペレラの引き立て役だ。

 セバスティアン・カステージャは、何なんだろう。彼の闘牛に観客は知らず知らずのうちに引き込まれていく。どうだ俺はやっているぞというような所がない。淡々とだが、自身と牛との真剣な対峙から全てが始まっている。甘えや妥協がない。カポーテを持っても観客はセバスティアンに注目する。ムレタの始めの部分だけで、観客は心がとろけるようになって引き込まれていく。危険で勇敢なパセは、無謀というのは本質的に違う。セバスティアンのそれは、危険で勇敢なパセだ。無謀ではない!それはしっかりとした技術に裏打ちされているからだ。牛の扱いは超1流。観客の受けを気にしないで闘牛に集中している。クルサードしていないといってテンディド7が口笛を吹いていたが、クルサードだけが闘牛じゃないだろう。パセ・デ・ペチョの時に体の真下を牛を通している。それも2回3回と続けて。ああいう真摯な態度と気迫が観客にダイレクトに伝わるのだ。だから熱狂する。

 細かいことはゴジャゴジャ言わなくてもセバスティアンの闘牛を観れば解る。これが闘牛だ!ホセ・トマスと同じように客受けを気にせずに淡々と闘牛をやる姿が、自然に観客に伝わるのだ。彼こそが本当のフィグラ!ペレラとはレベルや技量も違うが、もっとも違うのは自分と牛との関係性の中で闘牛を深めようとしている所だ。尊敬に値する。そういうのを感じられないのが、ミゲル・アンヘル・ペレラ。セバスティアンは2頭目の牛のファエナも素晴らしかった。誰もがプエルタ・グランデだと思っていた。しかし、剣が決まらず耳が出ず。観客の溜息が残念さ無念さを言い表している。

 ホセ・トマスに代わり、ミゲル・アンヘル・ペレラが出場。ペレラは普通に見れば良い闘牛士だ。セバスティアンにライバル心をもってキーテ合戦を挑んだ。中々良いガオネラだった。足が揃っていたし姿勢も良かった。カポーテ捌きも良かった。だがそれだけだ。感動がない!緊張感がない。セバスティアンの危険な緊張感とはまるで異質の闘牛だ。闘牛に引き込まれていかないのだ。教科書をなぞったような闘牛だ。くそ面白くもない。もっともそういう闘牛だって凄いけど。でも、そこでレベルが止まっている。セバスティアンはもっと上の所で闘牛をやっている。考え方を変えないと闘牛の質も変わらないだろう。

 セバスティアン・カステージャとミゲル・アンヘル・ペレラの違いがはっきりと解る闘牛だった。ペレラは受けを狙って闘牛をやっている。どうだ、俺はこんな事が出来るぞ、これも出来るぞ、見ろよ!みたいな闘牛だ。でも、セバスティアン・カステージャの闘牛は静かに自分の世界の中で、真摯に牛を向き合うところから始めている。だから、受けるとかそういう事じゃない。牛との対話をカポーテやムレタで確かめているのだ。だから観客は余計なことを考えずに引き込まれていくのだ。こういうところのレベルはホセ・トマスと同質だ。非常にレベルが高い。

 闘牛が終わった後、番長、榎本さん、M夫妻、Yさんと立ち話をした。フンディの悪口やセバスティアンとペレラの違いなどを話した。今回初めて番長にあった。寿美さんは犬の世話があるためにすぐに家に帰ったそうだ。Yさんは残念そうだった。剣が決まっていればプエルタ・グランデが出来たからだ。こんな良い闘牛観れて良かったでしょ。残念さを押し殺して言ったのが印象的だった。M婦人は、セバスティアンはレベルが違うと感心しきり。Mさんは、クルサードがどうのとか言うけど、それだけが闘牛じゃない。そうじゃないところで、技術的にも非常に上質な闘牛がある。それがセバスティアンの闘牛だと言っていた。今日は良い闘牛が観れて幸せだ。セバスティアンに乾杯だ!


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